挿話――吟遊詩人殿とわたくし
20190318
中盤の、ミルディン『様』がミルディン『殿』となっている部分を修正しました。
わたくしが便箋を手に取り、さらさらとしたためた条件に、ミルディン様はたいそう驚かれたご様子。
それはそうでしょう。敵対的買収を仕掛けたはずの会社が、タダ同然の価格で親会社まで進呈してきたようなものですから。
もちろん最初は疑わしげなお顔でしたが、同じ理由を掲げれば、ご納得をいただけました。
「わたくしどもも、つねにくらしの糧を求むる身の上でございます。
貴方様ほどの名声と、わたくしどもの富。
あわせて当たるならば、多少の無茶は踏み消して、新たな歌と富とを集めることもできましょう。
――貴方様のような方をお待ちしておりました。
ぜひとも今後、われわれの所有する劇場で、専属契約の吟遊詩人として働いていただきたい。
“われわれ”の利益のために。……いかがですか」
「も、もちろん! 契約します!!
なんだ、脅かさないでくださいよ……はは、セバスチャン殿もお人が悪い!」
「では、こちらにサインをいただけますか。
仮の書面とはなりますが……
いまの興行主との交渉も、お急ぎになりたいことでございましょう?」
「もちろん、これさえあればなんとでもなりますとも!」
ミルディン様は頬をかすかに上気させ、流れるようにペンを走らせます。
まるで魔法のように、麗しい字体のサインが仮契約書を彩りました。
「なんとでもなってしまうのですか?」
「それはもちろん。なんたって天下の――」
わたくしも当主代理としてサインをしたため、さあ、契約成立です。
これでこの方は私どもの――当家の所有と相成りました。
「では、雇用主代理として最初の指示を致しましょう。
今この瞬間から、当家敷地を一歩でも出ることを禁じます」
「は……?」
「ご安心ください。交渉は当家代理人が行いますので」
ミルディン様はぽかんとしておいでです。ですが、私は忙しくなりました。
魔線通話機を起動し、お抱えの文書官を呼びます。
彼の到着を待ちつつさらさらと、べつの一枚にペンを走らせます。
もちろん、顔は笑顔で。
あくまでも、紳士らしく。
ジェントルに、スマートに、そしてエレガントに、でございます。
一分も経たぬうちドアが叩かれ、少女にも見える少年が、にこにこと顔を覗かせました。
「クロエ、参りました。お呼びでしょうか、セバスチャンさま」
「ご紹介しましょう、ミルディン様。
これはクロエ、あなたさまの交渉の代理人を務めさせていただく者にございます。
若輩ながら腕の立つ、もとい、腕のよい文書官なれば、どうぞ安心してお任せを」
「クロエでございます、ミルディンさま! よろしくお願いいたしますっ!
あっ、ちなみに男です!」
「はあ……どうも……えっ、男?! えっ?! おとこ?!」
クロエの“もはや詐欺まがいの男の娘”っぷりに、ミルディン様はお目を白黒とさせていらっしゃいます。
しかしその間にも、私は全速力でペンを走らせます――書いて、書いて、書いて――さあ、できた。
わたくしはそれをミルディン様にお示ししました。
「そして最初の公演で、謡う内容はこれでお願いいたします」
「!」
すると、はて、どうしたことでしょう。ミルディン様は真っ青です。
内容ですか? 今の会話の内容。そっくりそのままでございますが……
「どうされました? 面白い筋書きだと思いますが……
ああ、差し上げた物語のほうはご自由にどうぞ。
ただし、続編はかならず、10まで発表していただきます。
それらは『あなたさまのご自由に、おつくりください』」
「えっ……」
「あなたさまのご自由に、『おつくりください』。
ここを専用のアトリエとして整えましょう。ご希望ならば、専属のメイドも。
どうぞ、遠慮なく超えていってくださいませ、最初の物語を。
期待しておりますよ、ミルディン殿」
「セ、セバスチャン、殿?
わたしがっ、そんな、……自分でこんな物語の続編を、作れるわけがないでしょう!
そんな腕があれば、こんなこと……」
「大丈夫ですよ、万が一に駄作となってしまっても、ステージに『は』出られます。
なんといっても、あなたには専属契約者であるわれわれの劇場と、財力とがあるのですから。
ご安心ください、もしもお怪我をなさっても、喉をつぶされてしまっても、最高級の医者と薬を用立てましょう。
まちがって死んでしまっても大丈夫、蘇生薬もたっぷりと所蔵してございますゆえ」
「っ……」
どうされたのでしょう。ミルディン様はがたがたと震えておいでです。
血の気のないお顔には、涙が伝いはじめています。
「そんな……そんなの……晒し者じゃないですかっ!!
死ぬことさえも許されないで!! 籠の鳥にされ、ない才能で謡わされ、人々にさげすみを受けつづけろというのですかっ!!
頼む、たのみます、今のはなしにっ!!
ちゃんと、貴方様の物語だとあすのステージで言います! どうか、おねがいいたします……」
それは、ひどく哀れにも、美しくも思われました。
儚げな美貌の青年が泣き叫び、伏して懇願する姿。
私が齢528の堅物男でなければ、ここで違ったこととなったかもしれませんが――
すくなくとも私には、おなかを出した子犬をはたくような、人でなしの趣味はございません。
震えるその背にそっと手を添え、上げられたお顔にあたたかく笑みを向けました。
「きちんと、言ってくださいね?
そうしたら、いっしょに考えましょう、ミルディンさん。
――私たちの、建設的な関係を」
そう、彼はすでに、当家の専属契約者なのです。
執事たる私が、悪いようにするはずなど、ないのですから。
お読み頂き、ありがとうございます!
明日、14:00=午後二時台に最終話をお送りします。
セバスチャンのおとぎばなしも、このお話もついに大団円です。
どうぞ、よろしくお付き合いくださいませ!