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挿話――吟遊詩人様と私

“歌神の申し子”ミルディン様といえば、魔界でも絶大な人気を誇るお方です。

 多彩な作風を彩る、甘いマスクに甘いお声。すらりとしたお姿に立ち居ふるまい。なにより巧みな語り口は、女性ならずとも心奪われてしまいそうになります。

 そんなお方が一介の平凡な執事に、一体なんのご用でしょう。

 胸騒ぎを押し隠しつつ、私はお部屋の扉を叩きました。


「お待たせいたしました、ミルディン様。

 吟遊詩人の誉れ高きあなた様が、不肖私めに御用、とは……」

「かけてください、セバスチャン殿。

 いまは執事と客人としてではなく、取引相手同士としてお話をさせていただきたいのです」


 白銀の長髪をさらさらと肩に流した、妖精のように美しい男性が、あやしく笑んで席を勧めてこられます。

 私がご婦人であったならば、そのままふらふらとかけてしまったところです。

 ですが私は齢528の堅物男です。丁重に一礼し、そのお申し出を保留とさせて頂きます。


「失礼ながら、私めはあくまで、当家の所有にございます。

 あなた様の取引相手となれるか否か、それはお話の内容いかんで決めさせて頂かねばなりません身の上にございますので……」

「なるほど、やはり老獪なお方でいらっしゃる。

 ならば、単刀直入に言いましょう。

 あなたの物語を、わたしに語らせていただきたい!」


 一瞬耳を疑いました。

 重ねて申し上げますが、吟遊詩人ミルディン様といえば、28975歳のドラゴニュートのご婦人から、生後2ヵ月半の子猫様までご存知の、超有名吟遊詩人でいらっしゃいます。

 わたくしも単刀直入に、その疑念をぶつけますと、頂いたのは意外なお答えでした。


「実は、前作の発表から時間が経ってまいりまして。

 そろそろ新たな作品をと、ご婦人方に所望されるのです。

 この物語ならば、皆々様を大いに楽しませることができること請け合いでございます。

 無粋な話と思われるでしょうが――」

「いえいえ、我ら魔界の民とて生き物です。くらしの糧が必要である、このことはようっく、理解申し上げているつもりでございます」

「でしたら話が早い! いかがでしょう……」


 するり、透き通るように白い手が、卓上に滑らせてくる紙片。

 表に返さずともわかりました。驚くほどのゼロが連ねられた小切手でございます。

 ですか私はその手をそっと優しくとどめます。


「その前にお聞きしたいのですが。

 語らせていただきたい、とは」

「その通りの意味です。他意などひとつも……」

「この物語を『あなたさまの手になるものとして』、世に問わせていただきたい、ということでございましょうか?」


 正直に思いました。なにを、馬鹿なことをと。

 この程度の物語を世に問うなど、恥さらしもよいところでございます。

 ひいては、ミルディン様の御名をも穢すこととなる。

 私はやんわりとお断り申し上げようとしたのですが――


「あくまでわたしが語る、それだけにございます」

「作者の名は、語られているのですか」

「それはあらかじめ興行主が語っているはずですので。ご安心くださいませ」


 ――やはり、そうでしたか。

 昨日、そしてさきほど。ミルディン様はなぜかこっそりと外出をしておられました。

 そして、疲れた様子で戻っておいでになる。


「ふむ。

 すでに貴方のものとして、物語は世に語られてしまった。

 そこで私が『それは自らのもの』といっても、もう遅い。

 吟遊詩人として著名な貴方様と、無名な私。

 それを書面におこした貴方がたと、ただ記憶にとどめるのみの私たち。

 物語がどちらの手になるものか、世の判断は決まっていると――」


 そう、どうやらこの方は私から聞いた物語を、そのまま町の劇場で語っていらしたようでございます。

 それも、ご自分が創りし物語として。


「私が残りの物語を提供せねば、自らを傷つけ公演中止し、当家への賠償を訴え出る。

 それを防ぎたくば、これと引き換えに残りの物語を提供せよと。

 それでお間違いは、ございませんね?」


 ミルディン様は、笑っておいでです。

 なるほど、そういうことだったようですね。


 吟遊詩人の多くは、得意な作風が一つか二つ。多くとも、三つ程度に限られることがほとんどです。

 しかしミルディン様は、その枠を飛び越えた、万能の作風をお持ちと言われております。

 しかも、短期間でつぎつぎと、精力的に作品を発表しておいでです。

 それこそが、この方を人気の吟遊詩人とした一番の要因だったわけですが――


 なるほどこの方は、思ったよりもおもしろいお方だったようでございます。

 なれば、私もゆき方を考えることといたしましょう。


 私はあくまで当家のしもべにございます。

 私は全力を挙げ、守らねばならぬのです。

 お優しい旦那様と奥様、家族とも思う使用人たち、可愛らしい猫の母子。

 そして、なにより愛しい坊ちゃまの明るい未来と、しあわせないまを。

 そのためならば――



「『その程度』でよいのですか?」


 わたくしはゆっくりと椅子にかけ、静かに問いをかけました。


「ええ。わたしはしょせん、暮らしの糧がほしいだけの小物。

 きれいごとなど、いらないのですよ。

 どうなさいます、セバスチャン殿。

 この家の未来は、いまや貴方様にかかっているのですよ――執事殿」


 白銀の麗人は卓に身を乗り出して、甘くわたくしにささやきます。

 わたくしの頬に伸びて来る、しなやかな御手をやんわりと押しとどめ、わたくしは問いかけます。


「わたくしが申し上げているのは、その程度のことではございません。

 ――専属契約を結ばれませんか」

「は?」

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