(3)
背後から思いっきり抱きつかれた衝撃に耐えきれず、私はバランスを崩して、前方に倒れこんでしまう。運良くスクバがクッションになってくれたから助かったが、危うく顔面を強打するところだった。
「うわあっ!? マ、マナちん大丈夫!? 」
当の本人は、慌てた様子で私の顔を覗き込む。
女子の中でも比較的高めの声が、教室中に響く。
「う、うん…大丈夫……」
若干フラつきながらも、自力で立ち上がる。そして、自分の席に向かって歩く。
芳村 詩音。
この学校ーーというか地域では、よく知られている名前である。決していい意味ではないが。
可愛らしい容姿、運動神経抜群、多彩、素直で裏表もほぼ無い性格。
ーーーなのだが、この樹林高校の人間からは敬遠されている。生徒からも、教師からも。
理由は単純に、彼女(以下詩音)は明るいというよりも、"空気が読めない"という方が正しいからだろう。
例として、授業中にいきなり大声で歌いだすとか、体育の授業で一人だけ勝手に木登りを始めるとか。さっきのブレイクダンスも多分含まれる。
簡単に言い表すと、ただの"バカ"である。
おそらく誰も、彼女の奇想天外・とんちんかんな言動について行けないのだろう。本人に悪気はない分、余計にタチが悪い。
「聞いて聞いて! 詩音ね、昨日すごいことがあったの! 」
さっきの心配そうな表情から一変、ぱっと眼を輝かせた詩音が、思い出したように話を振りだす。
「…何かあったの? 」
一応話を聞いてやるとしよう。あくまで聞くだけだ。
「あのねあのね! この間の日曜日に水族館に行ったんだけど、そこに珍しい牛がいてね…体が青とか黄色とかで、凄く綺麗なんだ! 」
うん、その話昨日も聞いた。ってかそれは、牛じゃなくてウミウシだと思うんですが。水族館に牛なんているわけないでしょーが。
「へーそうなんだ…すごいね…」
私は適当にあしらう。悪いけど、こいつの話をまともに脳に取り入れるつもりは毛頭ない。
何でこんな空気みたいな奴に絡んでくるのだろう。さっさと一人にして欲しいんだけど。
まだ詩音が得意げに話す声が聞こえてくる。ああ…周囲からの視線が痛い……。
「なぁ、水園さんって芳村と仲よかったっけ? 」
「言うて最近からだよな」
「そうか? 大人しそうだなと思ったけど、もしやあの芳村と同類なのか? 」
「まさか、あんな非常識人に自分からイケる奴なんてそうそういねーよ」
「…でももしそうなら、ちょっと幻滅だわー」
「まぁ普通には見れねーよなぁ」
…あの、全部聞こえてるんですけど。
さらっと私とこのバカを同類にするのやめてくれません?
ここまで注目されてしまっては、空気になるもクソもない。
「でね、その珍しい牛入りカレーが超美味しくてさー!! 」
まだ言ってる。そのまま体調でも崩して1年くらい学校休んでくれればいいのに。
ーーーーガラガラガラッ…ドンッ
「はい静かに、ホームルームを始めますよ」
そう言って教室に入ってきたのは、担任の高尾だ。その一声で、詩音含むクラスメイト達が、それぞれの席に座る。
た、助かった…。
詩音からは解放されたが、朝から結構精神を削られてしまった。これでは本戦前に戦闘不能になりかねない。最近いつもこの調子だ。
このままでは、私の理想の空気生活が崩壊してしまう…どうにかしないと…。