(14)
慌てた様子で、私の口に人差し指をあてるリョウ。
どこか彼の目に、まだ希望を感じさせるようなーーーというより、確信に近い光が宿ったように見えた。
「……? どうしたの? 」
立ち上がり、戸惑いながら尋ねてみると、
「今聞こえたんだよ。遠くでガハガハ笑う男の笑い声が」
「……? 」
声が聞こえる方を指差しながら答えるリョウ。
男の笑い声……まぁ私も聞こえてはいたけど、雑音程度にしか聞こえなかった。
それにこれだけの客数。この中からピンポイントで犯人を見つけるのはほぼ不可能。それも声だけで。
「それで……その人が犯人だって? 」
「多分ね。オレのゲーマーの勘がそう言ってる」
勘かよ。しかもゲーマー関係ないし。
確かにこのパニックの中、ひとつ笑い声がしたら目立つだろうけど。
「勘って……」
「まぁ心配しなさんな。いざって時には姉ちゃんのバッグ投げて犯人止めりゃいいんだし」
「…おい、今さらっと聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど」
「だ、だいじょぶだって! それは最終手段だから」
だとしても他にもっといい手がある気がする。
ってかバッグ投げてってどうすんの? 中身まで盗まれでもしたらたまったもんじゃない。その前にシャーペンの1本か2本折れそうな気がするけど。
私が呆れながらソファーに座りなおすと、
「あっほら来た来た! アイツだ! 」
リョウの声とほぼ同時に、一人の中年男性が、ガハガハと割れ鐘のような声で笑い、リョウの指差した方に大股ガニ股で歩いていた。
紺色の着物を羽織り、水色っぽい袴も履いている。さらに、その着物がはち切れるのではないかと思うほど太っており、推定120キロはあるんじゃないかと思わせる程。その体型だけ見れば、見習い中の力士に見えなくもなかった。
…まぁ髪型はボサボサで、口周りに無精髭まで生やし、着物はお世辞にも立派とは言えない代物だったけど。スニーカーとか履いちゃってるし。
男性はずっと同じ調子で笑っている。
その男性が通り過ぎた後の場所は、忽ちしんと静まりかえり、怪訝そうに男性を凝視する人々がいた。無理もない。
「……明らかに怪しい」
その男性を見て、リョウが独り言のように呟く。
確かに普通ではないと思うけど、流石に犯人と決めつけるのは早過ぎる。単にご機嫌な事があっただけなのかもしれないし。
そんな感じの言葉をリョウに伝えると、リョウは煮え切らない態度で、
「いやー…ぜってーそうだと思ったのになぁ、違ったのかな? 」
顎に手を当てて唸る。
しかし、しばらくすると自然と納得してくれたようで、
「まぁそうだよな、流石に強引すぎたかな。あの太っ腹の中に財布がぎっしり詰まってるんじゃないかとか考えちゃってさ…何かゴメンな」
苦笑いし、右のこめかみを人差し指で掻きながら謝ってきた。
「いや謝んなくていいよ、また別を当たろ」
私はそう言って再び立ち上がり、軽く伸びをした。
くるりと向きを変え、男性とは反対側に進もうとしたが、
「ガハハハハハハ!! 愉快じゃ愉快じゃ!! 」
ふと後ろから、つまり先程まで私たちが向いていた方から、地割れのような野太い声が響いた。
声の持ち主は、あの男性。さっきの異様に太った、ガハガハ笑っていた中年男性だ。
私たちは揃って肩をビクッと反応させ、おずおずと振り向いた。
「いやはや、まさかこうもすんなり計画が上手く行くとは思わんかったぞぉ!! 」
どこぞの悪徳商人のような口調が、モール中に反響する。男性はその場に立ち止まっていた。
彼の隣を通り過ぎた人々は、例によってそそくさと早足で離れたり、ドン引きしたり、内緒話をしたりしていた。
……っていうか、今「計画」って……?
「今にも店内中のバカ共は、財布が無くなって大騒ぎしとる頃合いじゃろう……どいつもこいつも無防備・不用心すぎるぞい!! 」
リョウさん…あなたの推理(?)、もしかしたらもしかするかも……。
「その大騒ぎの原因が、このワシだとはだーれも思わんじゃろう!! バカ共が油断しとる隙に、ワシが財布を盗み取り、この『お相撲さん風お着物』を羽織れば、だーれにも分かるまい!! ガハハハハハハ!! 」
男性の……いや、犯人の元から離れていた他の客も、いつの間にか静まりかえり、彼の周りを取り囲んでいた。
しかし、犯人は気付かずにまだ喋り続ける。ここまで来ると、もはやネタでもヤラセでも何でも良くなってくる。
「しっかし、影武者を何人か雇って正解じゃったわい。彼奴らはじき捕まるじゃろうが、財布を持つワシだけが逃げ延びれば良い話!! そうと決まれば早速脱出を…………あら?? 」
犯人はやっと自分の置かれた状況に気づいたらしく、彼を取り囲んでいる客を、恐る恐る順に見つめていき、次第にその表情が青ざめていく。
犯人さん、あなたの方がよっぽど大バカです。
「い、いやぁ皆さん……良いお天気ですなぁ…ハハ」
「もう夜なんですけど」
犯人が声を震わせながら、何とか誤魔化そうと試みるが、男性客に冷たくツッコまれる。
「テメーだったんだな、財布盗んだの」
「全部バラしてくれたお陰で、状況理解の手間が省けたわ」
「よかった、これで心置きなくブン殴れるぜ……歯ァ食いしばれやゴルァァァァァァァ!!! 」
ついに買い物客の怒りが爆発。狂ったような怒号が飛び交い、客が大勢犯人に襲いかかろうとする。
しかし、犯人はそれらを慌てながらもジャンプで躱す。意外にも動きは軽やかだった。
「じゃ、犯人確保は彼らに任せるってことで」
「異議なーし」
私とリョウは、しばらくその様子を傍観していた。
「バ、バカな!? 何故ワシの完璧な作戦がバレちまったんじゃ!? 」
いや、完全に声に出てましたから。
「……クソッ!! 」
完全に狂人と化した客の群衆を、無傷で抜け出す犯人。
腐ってもスリ犯。細かい身のこなしは一流っぽい。
「そっち行ったぞー!! 捕まえろォ!! 」
男性客の声を聞き、慌てる犯人。
そして、こちらに向かって一目散に走ってきた。
……まずい、こっちに来る! どうする? やっぱり捕まえるしか……?
いや、この状況とはいえ、変に目立ってしまうのは避けたい。ましてや『極悪スリ犯逮捕! 正義の女子高生ヒーロー! 』なんて報道されてしまった日には、私は学校に行けなくなる。
ここはやはり様子を見て、買い物客の皆が捕まえてくれるのを待つのが無難か? でも……。
あれこれと考えを巡らせていると、
「姉ちゃん、それ貸して」
リョウが私のバッグを指差す。
まさか、私のバッグを投げつけて、足止めを狙おうと本気で考えてるのかコイツは。
「ちょ、ちょっと! 私のバッグは最終手段じゃないの? 中身壊れたらどーすんの! 」
「姉ちゃん、ゲーマーってのは…気まぐれな生き物なのさ」
訳が分からん。もうお前一生財布盗まれてろ。
何とか交渉しようとする前に、リョウは私の肩からバッグをぶん取られていた。このままコイツに盗まれましたと通報してやりたいんだが。
そうこうしているうちに、私たちと犯人の距離は縮まる。足音がどんどん大きくなる。
「えーっとリョウ? あの…私のバッグを投げつける以外に何か方法は」
言い終わらないうちに、リョウが私のバッグを両手で抱え、女の子投げする態勢が整っていた。
足音迫る通りに向けて、私のバッグが大きくアーチ状を描いて飛んで行った。




