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彼女は百合  作者: 小野寺 大河
8/30

八話

 さて、実はあまり時間的に余裕がない。

 押している。

 スマホを見ると、愛子との待ち合わせの時間は、とっくに過ぎているではありませんか。

 出掛けに小冬からじゃんけんを吹っ掛けられて、つい熱中してしまった。

 何か賭けるわけでも競うわけでもない。

 何故俺はただの手遊びで、あんなにも時間を忘れる程、耽溺できたのだろう。

 いや、考えるまでもないか。

 妹のことが、好きだからだよ。

 そう言えば、中学の卒業式の日もじゃんけんしたような。

 何で遅刻が望ましくない日に限って興じようとするのだろう?

 偶然だよな。

 卒業式の日も今日も、小冬には時間の余裕があるのもきっと偶然だ、うん。

 頭の中では小冬の顔から、怒り心頭の愛子の顔に変わる。

 正式に陸上部に入部するまでの間は一緒に登校しようということになり、入学式の日同様、お互いの家の中間点に位置する公園を、待ち合わせ場所に設定した。

 公園の入り口に、幼馴染の姿を確認した。

 その細身のシルエットのウエストは簡単に折れそうで、スカートから伸びる黒のニーソックスに包まれた脚は、程よく引き締まっているのが分かる。

 身長は平均より全然下なのに、立ち姿がやたらかっこいいのはそのためだろう。

 仁王立ちの愛子の前で倒れこむように急停止し、肩で息をしながら爽やかに手を挙げる。

「ごめんな、愛子。ちょっと遅れちゃった」

「……遅いよ。何してたの? 二度寝?」

 その顔には、不機嫌が張り付いている。

 片方でまとめられている髪を揺らし、俺の顔を覗き込んだ。

 拗ねたような表情になると、余計幼く映る。

 申し訳ないと思いながらも、まさか妹との無目的な手遊びに心酔していたなんて言えるわけもなく、

「小冬いるだろ? あいつにさ、『おにぃちゃ~ん。もう少し小冬と一緒にいて~』ってせがまれたんだよ。新しい学校にまだ馴染めないのかな? きっと、心細いんだと思うんだよ。可愛い妹の頼みだし、兄としては冷たくできないだろ」

「小冬ちゃんが?」

 愛子と小冬は旧知の関係だ。

 ちなみに、愛子にも小冬と同い年の妹がいて、小学校、そして中学校も同じ。

 もう何度目か、一緒のクラスだそうだ。

 俺と愛子は、お互いの家庭環境も把握しているし、俺の発言を信じてくれるだろう。

 疑う余地なんか無いもんな。

「この瞬間、世界が崩壊するより信じられない」

「訂正しろッッッ!」

 愛子は半眼で怪訝そうに眉をひそめ、

「どうせ『あっち向いて、しよ』とか誘われて、バカ面して呆けてたんでしょ?」

「あはははは。強いて言うなら、惜しいね」

 そんな高度な遊びではない。

 じゃんけんで終わって、「あっち向いてほい!」までいかないのだから。

 視線を泳がせる俺に、愛子ははき捨てるように言う。

「シスコン!」

「シスコンの何が悪い!」

「行き過ぎると気持ち悪いっていう話よ」

 小冬のことは納得行かないが、遅れたのはこちらに非があるので、素直に頭を下げる。

「悪かったよ。何でもするから許してくれ」

「じゃあ学校着くまで鞄持って」

 言うと同時に、学生鞄を放り投げてきた。

 突然だったので自分の鞄を放し、飛んでくる愛子の鞄を落とさないように捕まえる。

「走って行こ! 間に合わないよ」

 足元に落ちた自分の鞄を拾い上げ、愛子の後姿を追いかける。

「鞄持つだけでいいのか?」

 前方の真っ直ぐに伸びる背中に呼びかけると、愛子は軽く振り向き、

「夏人にはそれくらいが適任でしょ? もしかしてそれも荷が重いの?」

「んなわけねぇだろ! おい、待てって」

 俺は何とか追いつこうと速度を上げ、前を見据えた。

 綺麗なフォームだな、と感心する。

 ぶれない体幹。たなびく髪から離されないように食らい付いていく。

 待ち合わせに遅れたことは、後でジュースでもおごってちゃんと謝ろう。

 ただ、拗ねた顔がちょっと可愛いから、あと一回くらいは待たせてもいいかな?


 俺と愛子が教室に着いたのは、朝のホームルームが始まってすぐだった。

 二人して「遅れました」と頭を下げて自席に着くと、白姫先生は、

「遅刻はいけませんよ? 今度からは気をつけてくださいね~」

 柔らかく注意をした。

 いつもの柔和な笑顔だ。

 やはり、昨日のは夢だったのか?

「全員揃ったので、今日は席替えをしたいと思います。皆はどうかな~?」

 反対する者はいなかった。

「え~と、先生こんなのを作ってきましたぁ~」

 教卓の中から、天辺に穴を開けてある箱を取り出す。

 説明によると、教室の左前方を〝一〟そこから後ろに〝二、三、四――〟と続き、一番後ろに到達すると、左から二番目の前列、そこから後ろまでいき、埋まると三番目の列――といった具合に便宜的に番号をつける。

 箱の中に番号の振られたクジが入っていて、引いたクジの番号に従って席が決まるという寸法らしい。

 白姫先生は「それでいいかな~」と採決をとるが、今やこのクラスで白姫先生の提案に物申すやつなどいない。

 出席番号順に、箱からクジを引いていく。

 皆それぞれ思惑があるのか、喜んでいるやつもいれば、がっかりしているやつもいる。俺の番がやってくる。

 静森さんのいないこのクラスには、何の興味も好奇心も無いので、せいぜい後ろの方か窓際になればいいなと、漫然と教壇の前に立つ。

 ふと、白姫先生と目が合った。

 近くで見るとホント可愛い。

 図らずも見つめ合ってしまうと、その薄紅色の唇が俺の耳元に接近してきた。

 甘い匂いが鼻をくすぐる。

 吐息がかかる距離、白姫先生は俺にだけ聞こえるように耳打ちする。

「……箱の中、上部に貼ってあるのを引け。特等席だ」

 俺は即座に距離を取り、先生の顔を凝視する。

 あるのは「公明正大でしょ?」とでも言いたげな、完璧なスマイルだけ。

 この、悪魔め!

 やはり、昨日のは夢なんかじゃなかったんだ!

 昨日は咄嗟のことで主導権を握られたが、今回はそうはいくか!

 俺は誰にも屈しない!

 振り向き、クラスメートたちを見渡してから、

「皆、聞いてくれ! 俺は皆に伝えなきゃならないことがある! この女は、白姫七羽は腹黒だ! 可愛い顔して、俺たちを懐柔しようとしているんだ! 俺は知ってる。このままだと、このクラスはおろか学校ごと篭絡されるぞ!」

 俺の告発に、全員きょと~んだった。

 背後から柔和な声がする。

「左塔くんたら、可愛いだなんて先生照れちゃうわ~。でも、あんまり酷いこと言われたら悲しいよ?」

 悪魔は器用に瞳を潤ませ、泣きまねをした。

 するとクラスメートたちは一斉に、

「何言ってんだ左塔!」

「白姫ちゃんが可愛そうだろ!」

「裸で詫びろ」

「黒髪美少女とはどういう関係なんだ!」

「灯下さんはどうするの~?」

 と口々に言い放ち、俺はその嵐のようなブーイングを一身に浴びた。

 後半は今関係ないだろ!

「土下座! 土下座!」とシュプレヒコールが鳴り響く中、悪魔がまた俺に襲い掛かる。声を潜め、先程よりさらにドスを聞かせた声で、

「次ィくだらねェコト喋ったら……………………殺す」

 ――俺は大人しく指示に従い、行儀良く席に着いた。

 もういい。

 俺は無力だ。

 現に今も、席替えのクジを自由に引く権利すらない。

 俺は土下座コールに包まれて特等席――中央最前列に鎮座した。

「これから中間テストが終わるまではこの席でいきましょ~。あ、左塔くんは一番前の真ん中かぁ~。先生、左塔くんが近くでドキドキしちゃうな~」

 周囲から「うらやましいぞー」と聞こえるが、俺は膝に置いた拳を握り締めるしかない。言いたいことは山程あるが、何一つも語らない。

 もう何もかも無駄だと悟った。

「あ、これ、左塔くんにお手紙。私からのラブレターだよ?」

 動物を模したシールで閉じられた、可愛らしい封書が机に置かれる。

 表は「左塔くんへ。ななはより」と可愛い字で書かれていた。

 俺は、ただの暴言になっているクラスメートたちの声を背に、教室を出た。

 トイレに駆け込み、中身を確認するため、恐々と封を開ける。

 震える手を制御し、一枚の便箋を取り出した。

 そこには、おどろおどろしい字でこう書き殴られていた。

「これからお前を私の監視下に置く。今日からテメェは私の舎弟だ。お前はこの三つを守れ。逆らうな。歯向かうな。言うことを聞け」

「きゃああああああああああああああああああああああ――――」

 いたいけな少女のような悲鳴が、早朝の男子トイレにこだまする。

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