六話
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、定期的に少しずつ上げていきます。
入部届けをもらってくるという静森さんとは、自習室の前で別れ、帰途についた。
「ついて行こうか? 待ってるよ」
と俺が言うと、
「クラブ活動について聞きたいこともありますから」
とやんわり断られた。
校舎を出ると、外はすっかりオレンジ一色になっていた。
長く伸びる影法師をぼんやり見下ろしながら、静森さんのどこか寂しげな表情を思い返していると、聞き覚えのある声が耳朶を叩いた。
耳を澄ますとその声は、校舎の物陰から聞こえていることが分かった。
「校長先生~いいですよ、お食事。今日の十九時から駅前で待ち合わせましょう。今すぐ向かいますね。え~、お寿司屋さんに連れて行ってくれるんですかぁ? 嬉しい~~! 今から楽しみです。それじゃまた後で~」
ピッ――。
「教頭先生~今日のお食事楽しみにしてますよ。二十一時からですよね。酔いすぎちゃったらどうしよ~~。え、先生が介抱してくれるんですか? 嬉しいな~でも、ちょっとドキドキしちゃいます~~」
不穏当な会話に変な胸騒ぎを抱き、そっと声の主を覗き見る。
声の主は我がクラスの担任、白姫先生だった。
男なら誰しも腰が砕けそうになる甘え声で、通話している。
内容から察するに、校長と教頭のダブルヘッダーらしい。
俺はようやく、とんでもないものを目撃してしまったのだと自覚した。
もうしばらく観察しようか、すぐさま立ち去ろうかと逡巡すると、タイミング悪くポケットのスマホが振動する。
「誰かいるの?」
冷然とした鋭い声色。
それを発したのが白姫先生だと、すぐには分からない豹変振りだった。
とても先程と同じ人間から出た声とは思えない。
剣呑な雲行きにたじろぎ、得体の知れない恐怖に襲われる。
身を翻し逃走一歩目を踏み出すのと、殺意を有した五指が左肩にめり込むのは同時だった。
「テメェ、……私のクラスのやつか。どうやら今の会話聞いちまったようだな。チッ」
自己紹介で見た柔和な笑顔など、そこには存在しなかった。
舌打ちし、眉間に何重も皴を作り、胸倉を掴もうとしている女が、俺の知っている白姫先生と同一人物だとは、とてもじゃないが信じられない。
その尊大な雰囲気は、第一印象とのギャップで余計に怖い。
白姫先生は遠慮無しに俺を校舎の影に引きずり込み、高圧的に体を壁に押し付け、
「チッ。おいッ、このまま平和に高校生活送りたかったら、誰にもチクるんじゃねェぞ? 分かったかッ! 聞いてんのか? おらッ!」
睥睨する白姫先生は乱暴に声を荒げて、力任せに俺の体を揺する。
舌打ちが癖のようで、俺はそれを聞く度全身が震えた。
ママ、助けて!
何かしらリアクションするべきなのだが、喉がカラカラに渇いてしまって、上手く言葉が出てこない。
どんどん鋭利になっていく白姫先生の眼光に、「早く何かを……」と気持ちばかりが急く。
自由にできる箇所を探した結果、コクリと首を縦に振るのが、精一杯だった。
完全に固まってしまっていた俺の僅かな反応に、先生はしばらく思案顔だったが、
「チッ……まァいい。テメェみたいなバカにはしては、上出来だ」
粗暴に掴んでいる制服から手を放した。
支えがなくなった俺は、力なくその場にへたり込む。
悪魔のような顔を慄然と見上げると、制圧的な瞳がゴミ同然と言わんばかりに、俺を見下ろしていた。
有無を言わさない、圧倒的な威圧感を残して悪魔は去っていく。
結局俺は、徹頭徹尾震えていただけだった。
白昼夢にうなされた心地。
虚脱感の抜けない中、今しがたの恐怖体験の契機となったスマホに目がいく。
中学一年生になった妹の小冬からだった。
兄よ、女の人が自分を良く見せるために、表向きは可愛く演じることを何というのだっけ?
まだ若干震えている指をぎこちなく動かし文字を打つ。
妹よ、それは腹黒と言うんだよ、と。
打った文章を読み返しつつ、先程の悪魔のごとき形相を思い出し、再び背筋を凍らせた。
何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。
またお会いできることを祈っています。