四話
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、定期的に少しずつ上げていきます。
「夏人おかえり。担任の先生どんな人かな?」
出席番号順で定められた、とりあえずの自席に着くと、犬ならば尻尾をブンブン振っていそうな様子の愛子が駆け寄ってきた。
今日の日程は入学式とホームルームだけだ。
これから始まるホームルームも、簡単な自己紹介と、一年間頑張りましょう的な決意表明をしてお開きになるのだろう。
しかし! そんなことよりも!
「ううぅぅ~~がるるるぅぅぅぅ」
俺は敵意を剥き出しにし、愛子に向かって威嚇する。
何と言ったってこいつは、目下のところ強力な恋敵。
俺のハッピースクールライフを邪魔する巨悪の権化だ。
愛子は野性化した幼馴染を前に、頭上をハテナだらけにする。
「どうしたの? 変なスイッチ入っちゃった?」
「がるるる~~がるるる~~そんなんちゃう~~がるるるぅぅ~~」
「何なのよ、もう!」
恋の獣となった俺に、もはや人語など通じない。
そんなことをしていると、教室の前のドアが緩やかに開いた。
入ってきた人物は制服姿じゃない。
どうやら担任の先生のようだ。
クラスメートたちは各々着席していくのだが、その間「かわいい~」「おっ、すっげぇ美人」「わか~い」などといった言葉が教室中を飛び交う。
教壇の上で笑顔を振りまいているその人は、可愛く、そして美人でいらっしゃる。
年はおそらく二十台前半。
肩に落ちるふわふわとした髪に、あどけなくもこ惑的な顔付き、そしてスーツの胸部を魅惑的に演出する女性の象徴。
見る人によっては「可愛い」、あるいは「綺麗」、あるいは「可愛いくて綺麗」という感じだ。
愛子も「綺麗な人……」とぽつりと呟いてから席に着いた。
可愛い美人の先生はチョークを手に取り、黒板に丁寧な字で名前を書き記す。
それからこちらに向き直り自己紹介を始めた。
「皆さんはじめまして。私は白姫 七羽と言います。これから一年間、皆さんの担任の先生をすることになりました。新任なので分からないことも多いけど、皆と一緒に頑張っていきたいと思っています。どうぞよろしくね」
甘ったるい声で、少し砕けた感じで述べた後、恭しくお辞儀をした。
ここまで完璧な自己紹介もなかなか無いんじゃないか。
と言うか、単純に可愛い。
それは他の皆も同じ感想だったようで、白姫先生が頭を上げると同時に、教室中が拍手喝采に包まれた。
何故だか、スタンディングオベーション状態になっている。
特に男子熱がすごい。
椅子や机の上に立って絶叫しているヤツもいる。
ライブのアンコールさながらで、俺もお祭り騒ぎにあてられて、「っうぉい! っうぉい!」とリズムに合わせて右手を突き上げていた。
それから順々に選手宣誓のテンションで自己紹介をしていき、例外なく俺も「左塔! 夏人! っす! これから一年間! よろしくお願いしゃあっす!」と、訳の分からんテンションで声を張り上げた。
いろいろ疑問だったが一番の謎は、右の方から俺にだけ照準を合わせられた、突き刺さるような小動物的な視線だった。
ホームルームが終わり、白姫先生が退場した教室では、椅子に腰掛けてダベっている女の子達や、さっさと下校する者、集団で「どうやって白姫ちゃんとお近づきになれるか」と作戦を練っているヤツらなど、それぞれ思い思いに過ごしている。
ちなみに白姫先生は日本史の教科担任でもあるようで、男子勢はその辺も含めて勘考しているらしい。
俺はと言うとその一団には入らず、自分の席で座りもせずに猛省していた。
なぜなら、静森さんという女性がいながら、異様な雰囲気だったとは言え、一瞬でも他の女性に目移りをしてしまったからだ。
歯を食いしばり、拳を握り締めて、後悔の念に押しつぶされそうになりながらも、白姫先生の柔和な笑顔と誘惑の二つの丘が思い出される。
あぁ~、誰か助けて!
煩悩を俺のモテない日々ごと、かき消して!
俺の苦悩を他所に、正面から声がかかった。
「ねぇ、夏人。今から何か予定入れてる? 時間あるんだったら、ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「がるるるぅぅ~~がるるるぅぅ~~ちょっと今は~~一人の時間がほしい~~!」
「それもういいって!」
憤慨する愛子は、やっぱり背伸びをしてチョップを放った。
「で、どうなの? これから付き合ってくれるの?」
「付き合うってどこに?」
「今から陸上部のクラブ見学に行くんだけど、暇なら一緒に行かない?」
そっか、やっぱり高校でも陸上やるんだな、と愛子を眺める。
愛子の情報を手に入れるのは、静森さんにとってプラスだよな。
それに何より、愛子も一人じゃ心細いだろう。
考えが固まった俺は、丁度良い位置にある愛子の頭をわしゃわしゃと撫でつける。
「そんじゃ一緒に行くか。愛子を一人きりにしたら、寂しくて泣いちゃうもんな」
「泣かないわよ、私強いもん」
頬を膨らませて訴える愛子は、頬袋を一杯にしたリスみたいで可愛かった。
校庭に出ると、すでに体操服に身を包んだ集団がグラウンドを颯爽と走っていた。
男女比は同じくらいで、一定のペースでトラックを周回している。
他にもクラブ見学者がいるようで、グラウンドを囲うようにそれぞれ陣取っている。
俺たちも適当な場所を見つけ、そこから練習風景を眺める。
「夏人はクラブやらないの?」
不意に愛子が尋ねてきた。
「今のところ考えてないな」
クラブ活動で知り合う女の子もいるかも知れないが、クラブに時間を費やして肝心の未来の彼女との日々を減らしてしまうわけにはいかない。
静森さんと出会ってしまった今となっては、他のことに使う時間など無いのだ。
「じゃあ何して高校生活過ごすの? ずっと帰宅部やるの?」
延々周回している陸上部員を目で追いながら答える。
「ずっと帰宅部かどうかは分かんねぇけど、俺の高校生活の過ごし方は決まってるよ」
「どうやって、過ごすの?」
気のせいだろうか、愛子の声が少し弱弱しい。
「そりゃ、可愛い彼女作って、毎日を清く正しく過ごすに決まってるだろ。何度も話してるじゃねぇか」
愛子の方に顔を向けると、俯いてブツブツ何か呟いている。
「どうした?」
「……朝の子とか担任の先生にデレデレして」
どうにか聞き取れるくらいの声でそう漏らした。
「別にデレデレなんかしてないだろ。……って、してたか。二人とも可愛くて美人だから仕方ないって。特に静森さんはおしとやかで、礼儀正しくて、すごく真っ直ぐで、でもちょっと天然で、守ってあげたくなるような子だろ」
静森さんの名前を出したが、さっきのお願いの件は黙っておいた方が良いよな。
ばらすようなことじゃないし。
「やっぱりそういう女の子の方がいいんだね。白姫先生も、静森さんもそんな感じだもんね。女の私でも可愛いって思っちゃうよ。男の子だったら余計ドキドキしちゃうよね」
無理に明るい声を出しているように、俺には聞こえた。
「まぁな」
と言うと、
「そう」
とだけ。
沈黙の後、愛子は正面を向いたまま、
「…………ねぇ、小さい時のこと覚えてる?」
こちらを見ずに「小学生の頃とか」と加えた。
「ガキの頃のことか。あの頃から愛子はメチャクチャだったよな。クラスの男子は皆泣かされて、全員お前のこと怖がってた」
「そうだったかも」
「あと女の子にモテてた。いつも女の子の中心にいたもんな。ムードメーカーっていうか」
「自分では分からないな」
「学年が上がっていっても、相変わらず男子からは恐れられてたけどな」
「…………」
ほんの少し会話が止まる。
しかし、すぐ後、
「……夏人だけよ。それでも私と一緒にいてくれたの」
愛子は照れくさそうに呟いた。
昔より少しだけ女っぽくなったその笑顔に、確実な時間の経過を垣間見る。
「まぁな、愛子といるとすげぇ楽しかったし。覚えてるか? 小学校に裏山あったじゃん。冒険とか言ってさ、学校終わってから散策しに行ったよな」
「二人で迷子になっちゃって、あの頃は好奇心の塊だったんだよ」
いつもの元気を取り戻しつつある幼馴染。
よく分からないが一安心と、俺も唇が滑らかになる。
「愛子といると、何でもできるような気がしたんだよな。毎日新鮮で、ワクワクするっていうか、間違いなくクラスの男子より頼りになった。背中を預けられる戦友! って感じだ」
「戦友、ね」
妙な間があった後、
「小学校の二年生の遠足のこと覚えてる?」
再び語気が弱まった。
「遠足? あ~、ちょっと待って。……そんなこともあったような――」
記憶の糸を手繰り寄せる。
あと少しで思い出せそうな気がするんだが、
「無理に思い出さなくてもいいよ。今のは忘れて」
何でもないことのように言って、愛子は微笑んだ。
しばらくして、顔を伏せてから一歩前に踏み出す。
「私、練習に参加してくるね。希望すれば参加できるみたいだし、体操服貸してもらえるらしいから」
どこか寂然とした後姿に、
「おい、愛子!」
と呼びかけるが、
「今日はありがと。先に帰って」
と言い残して、トラックのスタート地点にいる記録員らしき人の元に駆けていく。
他の見学者は参加しないのかと思いながら、小さくなっていく背中を眺めた。
何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。
またお会いできることを祈っています。