三話
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、定期的に上げていきます。
その後、体育館で催された入学式の間、俺は終始上の空だった。
脳裏に浮かんでくるのは静森さんの表情や仕草や声ばかりで、外からの情報は五感から弾き飛ばされる。
だが、俺は気づいてしまった。
これからあるクラス分けの重要性に。
是非とも静森さんと同じクラスになりたい。
机を並べて、お勉強したい。
これから一年間、同じクラスで過ごせるなんて、少し考えただけでも顔が緩んでしまう。
一緒に勉強して、ご飯を食べて、お喋りして、体育祭やら文化祭やらのイベントで思い出作ってゆくゆくは――。
式典の閉幕と同時に、今年一年を左右しかねない瞬間のために、俺は早足で神託の地に向かった。
――手洗いからの帰り道。
今日から所属する一年一組の教室に、俺は暗澹たる気持ちで歩を進めていた。
言うまでもないと思うが、思惑が見事に外れたからだ。
体育館脇の一角にある掲示板に張り出されたクラス分けでは、俺は一組、我が女神の静森さんは五組となり、一年間同じ教室で授業を受けることは叶わなくなった。
何とかならんかね。
クラス分けの発表の後、入学式に来ていた愛子の両親に誘われて写真を撮った。
他の生徒たちとそのご家族も同じように、輝かしい瞬間を桜の下で写真に収めていた。
どの生徒たちも初々しくはにかんでポーズをとっている中、俺はと言えば、この世の終わりみたいな形相で「あぁっ……」とフラッシュに目を瞑っていた。
隣にいる愛子は、ゾンビみたいになっている俺の頬を引っ張り、「ほら夏人、笑顔笑顔っ」と無邪気に遊んでいた。
一組の教室に着く直前、ドアの前に立つ一人の少女の姿が視界に入る。
目を凝らすと、そこには横顔も画になる俺の女神が佇んでいた。
まさか、俺に会いに?
入学式の朝に会った男の子のことが気になって、その大きな――小さな胸を震わせていたのでは!
……あり得る。
まったく、愛いヤツめ。
仄かな期待を胸に駆け足で近づいていく。
すると、俺に気づいた静森さんが控えめに会釈をしてくれた。
あぁ、いじらしい。
彼女はもじもじそわそわとした様子で視線を彷徨わせていたが、きゅっと拳を握ると、緊張した面持ちで思いの丈を吐露し始める。
「クラスが別々になって、私、居ても立ってもいられなくなってしまって」
そんなことじゃ俺の気持ちは変わらないよ。
クラスは離れても、心は繋がっている。
「あの、私、仲良くなりたい、もっとよく知りたい、そう思うと胸が苦しくなって」
すごく分かるよその気持ち。
でも、多少障害がある方がむしろ燃えるじゃないか。
いや、クラスが違うことなんて障害にすらならないよ!
「お願いがあるんです!」
分かっている。
皆まで言うな。
俺も同じ気持ちだぜ。
「私と愛子ちゃんの仲を取り持ってほしいんです!」
「ちくしょうおおおおおおおおおお――――――――――」
「どうしたんですか?」
魂の咆哮に静森さんは、目を白黒させてわたわたしている。
分かっていたさ。
でも、少しぐらい夢見たって良いじゃねぇかよ。
箱ティッシュの一枚目をいつも上手く取れない俺にはそんな権利も無いのかよ!
静森さんが俺のところに来たのは分からなくもない。
俺が愛子と仲が良いというのもあるだろうし、俺たちが同じクラスに割り振られたからというのもあるだろう。
引きつる顔を隠し、平静を装って、
「何でもないんだ。何でも」
と手を差し出すジェスチャーで話の続きを促す。
静森さんは少し眉をひそめたが、「それじゃあ……」と言い、
「先程は運命の出会いに舞い上がってしまって、少し大胆な振る舞いをしたようで。一目惚れのことも話してしまって」
顔を覆い俯いてしまう。
「少し」って、いきなり告白まがいの発言をして、その後抱き寄せひと気のない場所に誘う行為が?
唖然とするが、運命の出会いに舞い上がる、というのは痛い程共感できる。
まぁ、俺はその直後に、地獄の底に突き落とされたわけだが。
「やっぱり、物事には順序があると思うんです。だから、まずは仲の良いお友達から。それから徐々に親密な関係になっていって、そして最後には――――――ぽっ」
あ~、この人マジだ。
マジなんだ。
本気で愛子とどうにかなろうとしている。
どんな妄想に至ったのか、恍然と頬に手を当てる俺の想い人。
その姿を見て憮然としながらも、俺は考えを巡らせる。
この申し出をどう処理すべきなのか。
俺からしてみれば、静森さんと愛子の仲が進展していくのは面白くない。
だが、意中の相手からのお願いを無下にするのもマイナスにならないか?
何より静森さんに協力することで時間を共有することができる。
現時点で俺たちの間には、「愛子」しか共通点がない。
この申し出を拒否すると俺たちの仲は深まらないが、快諾すれば諸刃の剣ではあるものの、千載一遇のチャンスくらいは到来するかも知れない。
でも――――。
「それで、あの、私のお願い聞いてもらえますか?」
静森さんは二重目蓋の瞳をうるうる潤ませ、固唾を呑んで俺の返答を待っている。
二の足を踏んでいた俺はその殺人的な上目遣いに秒殺され、気がつくと、
「うん、もちろんだよ」
そう口から発していた。
「わぁ、ありがとうございます! 左塔くんなら、そう言ってくれると思ってました!」
俺の手を取り、飛び上がりそうなほど歓喜する。
急に手を握られた俺には、僥倖に対する驚きと悦びが押し寄せる。
静森さんは満面の笑みを浮かべて、
「じゃあ、お願いしますね」
と自分の教室に足を向ける。
しかし、すぐに踵を返して戻ってきた。
今までとは違う、何か不安そうな心細そうな表情で口ごもっている。
「どうしたの?」
と問いかけると、彼女はおもむろに口を開いた。
「女の子が女の子を好きになるのって、やっぱりおかしいですか?」
その声が、その姿があまりに儚げに見えて、俺は言葉に詰まってしまった。
静森さんの顔がどんどん曇っていく。
俺は窮地に立たされた。
どう答えればいい?
なんて言えば正解なんだ?
正直に言うと、びっくりした。
だってそうだろ?
偏見とか俺の狭い視野とか狭量とか、そういうのが俺たちの中に住みついていて、彼女に一目惚れしなければ――――。
どう答えるべきか困り果てる中で、不意に思い返されるのは短いながらもこれまで見てきた静森さんの表情だった。
愛子に一目惚れした瞬間の心奪われている表情。
愛子の名前を反芻している時のとろけそうな表情。
愛子との仲を取り持ってほしいとお願いする必死な表情。
同性を好きなのはおかしいかと尋ねている時の消え入りそうな表情。
静森さんが愛子にだけ向ける幸せに満ちた眼差しを見て、「おかしい! 間違ってる!」だなんて、少なくとも俺には言えない。
小さく息を吐いてから、静森さんを見据える。
「いいんじゃないかな。少なくとも、俺はそう思うよ。俺は静森さんを応援したい」
静森さんの顔に屈託の無い笑顔が広がる。
「はい! ありがとうございます」
俺のつたない言葉に、目一杯の笑顔で応えてくれた。
深々と頭を下げ、スカートを翻して去っていく静森さんを見送る。
応援したい、……ね。
大きな溜め息をついた後、静森さんの俺にだけ向けてくれた笑顔を思い出し、「まぁいいかな」と何となく納得してしまうが、不思議と嫌な気はしなかった。
何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。
またお会いできることを祈っています。