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彼女は百合  作者: 小野寺 大河
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二十九話

 もう気持ちは固まった。

 先生が正門に車を回してくれるそうで、靴を履き変えていると、

「待ちなさい。午後からも授業中あるのに、どこ行くの?」

 片側でくくられた髪の毛と、気の強そうな瞳が印象的な幼馴染の姿があった。

 その姿をしっかりと見据える。

 他に生徒はおらず、周囲は静然としている。

 俺は正面から向き合おうとしてなかったんだ。

 静森さんと愛子を優先してるフリして、一番大事な答えを出さずにいた。

 二人を傷つけるのが怖くて、二人の悲しそうな顔を見たくなくて。

 二人とも自分の想いを正直に、ありのままに告白した。

 それぞれが相応のリスクを背負っているに違いなかった。

 もう後戻りできなくなるかも知れないのに。

 それでも二人は、前へ進まずにはいられなかった。

 進んだ先に、どんな結末が待っていようとも。

 あとは、俺だけだろ、左塔 夏人!

「返事、するよ。愛子」

 愛子の薄桃色の唇が、きゅっと結ばれる。

 俺は今まで鈍感なフリをして、それを愛子に隠して、さらに隠していることを自分に隠していた。

 切り出そうとすると、それより先に愛子が口を開く。

「私は本当に夏人のことが好き。大好き。これからも一緒にいたい。夏人は違うの?」

 少し心細そうにも見える愛子の瞳は、俺だけを映している。

 いつも強気な瞳の奥には、脆く儚い少女がいた。

「愛子。俺は、」

 鈍感だから気づかなかった、そんな言い訳をするつもりはない。

 いつからか、俺は知っていたんだ。――愛子の気持ち。

 ちゃんと自分の気持ちを言い切れるように、大きく息を吸い込む。

 校舎の外から漂う雨の匂いが鼻を突き抜けた。

 梅雨入りした機嫌の悪い空が原因のようだ。

「愛子とは――」

 俺の言葉の続きを察した愛子が、顔を伏せた。たぶん、泣く。

 それでも俺は伝えなくちゃいけない。

「俺は――、」

「言わないで! やっぱり嫌! その先は聞きたくない!」

 愛子は耳を塞いでしゃがみ込んだ。

 駄々をこねる子供みたいに頭を振り、拒絶だけを示した。

 愛子の肩に両手を置くと、震えているのが分かった。

「嫌! 嫌! 嫌! 聞きたくない! それより私のこと好きだって言ってよ! 付き合ってやるって言ってよ! ずっと一緒にいようって! なんで、言ってくれないの?」

 愛子の悲痛な想いが、次々と俺に投げつけられる。

 玄関のコンクリートにいくつも水滴が落ち続ける。

 俺は心が動くままに、愛子の華奢な体を抱きしめた。

 胸に収まる愛子の体は、小刻みに震え、力を入れればすぐに壊れてしまいそうだ。

 なだめるように包み込むと、腕の中の愛子はすすり泣きになるほどに落ち着いた。

 愛子の体温を感じながら、決して子どもをあやす風に、ならないように、

「愛子に好きだって言われたときは、本当に嬉しかった。目の前のこの子が俺のことを想ってくれてるんだって思ったら、嬉しくて胸がドキドキした。……でも、ごめんな。愛子の気持ちには応えられない。俺には、愛子以上に大切にしたい女の子がいる。その子と出会ってからいろいろあって、そのせいで皆に迷惑をかけた。大切な愛子にも。その子は無茶苦茶で、でも一生懸命で、……俺さ、その子といると楽しくて、でもたまに寂しそうに笑うのを見ると、自分のこと以上に胸が痛くなるんだ。その子と一緒にいればいるほど、笑顔でいてほしい、幸せになってほしい――隣にいたいって想うんだ」

 背中に回された愛子の手に、小さな力がこもった。

 俺もそれに応えるように、そっと愛子を抱きしめる腕に力を込める。

「愛子、俺はその子に夢中なんだ」

 何故だか、俺の眼にはじんわりと涙が滲んできた。

「俺は、静森さんのことが好きなんだ」

 ようやく、言えた。肩の力がすっと抜けていくように感じた。

「愛子、俺に聞いたよな。なんで静森さんのためにそこまでするのかって。静森さんのことが好きだからだよ。誰のためでもない。俺自身のためだ。こんな言い方卑怯だけど、愛子のことは好きだよ。大切に想ってる。一番近くにいた女の子で、一番俺を理解してくれてる女の子だと思ってる。でもそれ以上に静森さんのことが大好きなんだ。だから、愛子の気持には応えられない」

 俺たちは抱きしめ合ったまま、お互いの気持ちを確かめ合った。

 随分そうしていたように思う。

 愛子は俺の背中に回した細い腕をゆっくり解いた。俺も力を弱め、

「愛子、大丈夫か?」

 愛子は泣き濡らした瞳をごしごしと袖で拭い、ちょっと強気に言う。

「夏人、一発蹴らせなさい」

「なんでッ? ……いや、いいよ。思いっきり蹴ってくれ」

 それで愛子が気持ちの整理をできるなら。

「後ろ向いて、気をつけして」

 俺は言われた通り、体を反転させ、両手を腰の側面につけた。

「それじゃ、いくわよ」

 強烈な蹴りの衝撃を考え、足腰に力を溜め、目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばる。

「夏人!」

 腿の裏に愛子の蹴りが入り、俺は前方へと一、二歩よろめく。

 いつもの容赦ない衝撃ではない、押し出す程度の力。

「…………頑張りなさい!」

 不意に振り向いたが、愛子は俯いていて、どんな顔をしているのかは窺えなかった。

 背中を押された気がした。

 長い間続いた、俺と愛子の関係の答えを俺たちは二人で出した。


「すいません、お待たせしました――唯夜! 何でここに? ってか、午後の授業は?」

 正門には白姫先生の他に、唯夜の姿もあった。

 門にもたれる唯夜は、おもむろに眼鏡をくいっと上げ、

「灯下との決着はついたようだな」

 俺が頷くと、白姫先生は車のキーをぶら下げ、

「それじゃあ、舎弟。……行くぞ!」

 俺と唯夜は白姫先生の車に乗り込み、一路静森さんの家に向かう。

 車中から、随分近づいた分厚い灰色の雲を眺める。

 つつけばそこから大量の水分が漏れ出しそうな曇天。

 早くこの気持ちを伝えたいと、気持ちだけが先走る。

 赤信号で一時停止する、その時間がとてつもなく長く感じる。

 なかなか青にならない。

 助手席に座るだけで、他に何もできないのがどうしようもなく歯がゆい。

 また、信号に引っかかる。

 ぽつりぽつりとフロントガラスに雨粒が落ちてきた。

 いよいよ降り出し、ワイパーが左右に動いて視界を保つ。

 ようやく到着し、先生が車を停めにいっている間に、俺と唯夜は先にインターホンで静森さんに呼びかける。

「ダメだ。全く反応がない」

 そう漏らした唯夜は冷静に眼鏡を正し、後退って家屋を眺めた。

 俺はもう一度インターホンを押し、

「静森さん! 左塔です。話がしたいことがあるから、顔だけでも出してくれないか!」

 大声で叫ぶが、やはり応答はない。

 スマホに頼るが、「お掛けになった番号は――」と女性のアナウンスが聞こえてくるだけで、取り付く島もない。

 そこに白姫先生がやって来る。

「やっぱダメか?」

「全然です。中から何も反応がないし、電話もダメです」

 先生は顔を小さくしかめ、舌打ちする。

「チッ、あァ~仕方ねェ。玄関蹴破るか?」

「流石にそれは……」

 強行突破を想像し、罪のない玄関扉を見る。

 沈思していると、唯夜が、「夏人、来い」と視線を一箇所に固定して、短く言った。

 そして、軒先へと歩き出す。

「唯夜! どうすんだよ?」

 唯夜はある位置で立ち止まると、直上を見上げてから、いきなりしゃがみ込んだ。

 俺は怪訝な表情で、

「おい、唯夜。どういうことなんだ?」

「俺がロミオで君がジュリエット作戦、だ」

「は? 意味が分からん」

「いいから、俺に乗れ」

 言われるまま、唯夜の背中におぶさると、

「違う。肩車だ」

「肩車?」

 白姫先生が、「なるほど」と二階の一室を見やる。

 俺もようやく気がついた。唯夜は眼鏡に手をやり、

「俺が肩車をして、夏人が屋根に手をかける。そこから屋根に上り、静森の自室と思われる部屋に行く。静森がいるかどうかは分からないかな」

 俺は白姫先生の視線の先、二階の部屋で唯一女の子らしいカーテンを見上げた。

「いや、いいのか?」

「後で一緒に罰を受けてやる」

「……分かった」

 唯夜の肩に乗り直し、自分の頬を強めに二回叩く。

 唯夜が「行くぞ」と立ち上がるのに合わせ、俺は両腕でバランスをとる。

 ある程度安定したところで、腕を千切れそうになるくらい伸ばす。

 だが、あと少し届かない。

 雨で手を滑らせないように注意を払いつつ、腰を僅かに浮かし、背筋も伸ばした。

 もがくみたいに何度も右手を伸ばすが、その度に俺の手は空を切った。

 もたついている俺に、下から声がする。

「夏人。一瞬間持ち上げる。適当なタイミングで手をかけろ」

「了解。頼んだ」

 唯夜は両手でしっかり俺の腰を掴み、合図を寄こしてから真上に持ち上げた。

 俺はバランスを保ちながら、タイミングを合わせて手を伸ばす。

 俺の右手は、確かな手応えを掴んだ。

 左手もかけると、屋根にぶら下がる俺の体が前後に揺れた。

 奥歯をかみ締め、腕に力を込める。

 そして、揺れを利用して勢いをつけ、腕をたたんで屋根の上へと這い上がった。

 濡れた瓦を進み、カーテンのかかる窓に到達する。

 常識知らずの来訪に、カーテンがほんの少しだけ開けられた。

 その先に静森さんの姿が、ちらっと見えた。

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