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彼女は百合  作者: 小野寺 大河
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二話

新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、定期的に少しずつ上げていきます。

「夏人のバカ! もう、ギリギリになっちゃったじゃない! 入学式始まっちゃうかも」

「俺のせいかよ!」

 俺と愛子は顔を突き合わせるようにして、高校の正門に向かって疾走していた。

 あの後調子を取り戻した愛子と、ウチの両親は式に来ない、私の家は来るとか、入学式の校長の話はやっぱり冗長でつまらないだろうとか、クラス一緒になれたらいいなとか、クラスメートはどんなヤツらかなとか、取り留めのない四方山話をした。

 しかし、クラスメートの話あたりから、巨乳で可愛い子いるかな、巨乳の学校のアイドル的な子いるかな、包容力に満ちた美人で巨乳の先輩いるかな、色気駄々漏れで巨乳の女教師様いるかな、あーもう何でもいいから巨乳の女の子と出会いたいなと、俺の妄想の翼が大きく羽ばたいていくにつれ愛子の眉の角度が増していき、「あっ、やべっ」とそれを察知した瞬間には俺の身体は大きく傾き、地面と三度目の対面を果たしていた。

 ……一体、人は何度同じ過ちを繰り返すのだろう。

 そんなこんなで、ギリギリの時間になってしまったというわけだ。

 しかしながら、全力疾走の甲斐あって、チャイムが鳴る前に学校に到着した。

 校舎に備え付けられている大きな時計の長針は、始業時刻の少し前を指している。

 間に合って良かったと正門に差し掛かると、門にしゃがみ込んでいる少女の姿を発見した。

 正門の先は玄関と下駄箱だが、どうやらそこから見えないように隠れているらしい。

 会場の体育館へ行くには、校舎の中を移動しなければならず、多くの生徒が忙しなく上靴に履き替えている。

 少女にどんな意図があるのかは分からないが、放っておけば式典に遅れてしまうのは容易に想像がつく。

 俺は足踏みでその場に留まり、下駄箱へと急かす気持ちを抑えて、声をかける。

「何してるんだ? 急がないと入学式始まっちゃうよ?」

「――――――っっっ!」

 威圧したつもりはなかったが、少女はビクッと身体を震わせると、物凄い勢いで飛び退り、

「ななな何もしてないんです! 私にはやましいところなど一切合切ありません! やめて、見ないで下さい! そんな目で私を見ないで!」

 と両手をバタバタさせながら、意味不明な弁解をし出した。

 狼狽する少女と目が合った瞬間、

「………………………………………………………………女神だ」

 俺の中の何かが打ち抜かれた。

 時が止まるのを実感した。

 女神様が降臨なさったのだ、この下界に。

 下々の民が右往左往しながら、各々が自分の保身だけをはかり、互いにいがみ合い憎み合い、時には略奪、欺瞞、蹂躙、支配に翻弄されるこのクソみたいなこの世界に。

 おそらく女神様は、俺たち人間の憐れな様相を見かねて、多忙の中、その御身から発せられている目映い光明で大地を照らし、下賎な我らを浄化しにいらしたのだ、きっと。

 そう結論付けてから、光明に目をすがめつつ、女神様のお姿を上から下まで拝見させて頂く。

 太すぎず細すぎない健康そうな肢体や、ブレザーの胸元を扇情的に押し上げるバスト様も魅力的だが、とりわけさらさらと流れる長く艶やかな黒髪が印象的で、大和撫子然としている。

 吸い込まれそうな二重の大きな瞳に、ふっくらとした形のいい唇などで形作られるご尊顔は、感動を覚える程だ。

 人間の少女だという発想はなかった。

 こんなに美しく、愛らしい女の子がこの世に存在するわけがないからだ。

 少なくとも今まで見た中では、テレビや雑誌も含めて、ここまで心も身体も奪われた子はいない。

 その御身から放たれている輝きは、今や直視できない程になっている。

 突然すぎた女神の降臨に、完全に自失してしまっていた俺の元に、愛子が駆け寄ってくる。

「何やってんの? 急がないと始まっちゃうよ」

 しかし、当の俺はそれどころではない。

 続けて他にも何か言っているようだが、全くもって耳に入ってこない。

 俺の意識は、目の前にいらっしゃる女神様にだけ向けられている。

 何とか思考を持ち直し、恐れ多くもお尋ねさせて頂く。

「あの、本日は何か御用事で? 不届き者を成敗するとか、新たな生命を創造されるとか?」

「はい? 何のお話ですか?」

 女神様の返答は歯切れが悪かった。

 韜晦している身の上が露見するのを懸念なさっているのか?

 どうにかお近づきになりたいし、だけでも印象付けたい。

 次にどう動こうかと思案していると、ずっと隣で口を動かしていた愛子が、「私の話聞いてよ!」と背伸びして俺の頭にチョップを繰り出し、

「何? この子知り合いなの?」

「神様と対面したことがあるわけないだろ」

 即答すると、愛子は「はぁ~?」っと、肩をすくめて女神様の方に向き直り、

「ごめんなさいね。いきなり知らない男の子に話しかけられて驚いたでしょ? 許してあげてね、こいつちょっと頭がおかしいの」

「お前失礼だろ! 女神様に対してタメ口って! もっと敬意を表して、言葉を選べよ」

 激高する俺に愛子は何故か呆れ顔だ。

「女神? ……はぁ。あのね。どう見たって人間でしょ? 夏人にはどんな風に見えてるの?」

「に、人間? まさか……?」

 この愛らしさで?

 この美しさで?

 今一度女神様を正視しようとすると、何故かさっきより少し離れたところで、口をパクパクさせて固まっていらっしゃった。

 それから我に返ったように姿勢を正され、こちらに向かって一歩を踏み出される。

 何かを決意されたたようなお顔つき。

 頬は淡く上気し、桃色の唇がきゅっと結ばれ、大きな瞳の奥には覚悟の光が垣間見える。

 そのとき、俺は一つの仮説と、一つの可能性を考えずにはいられなかった。

 まず、こちらに歩み寄ってくる存在が俺たちと同種族、つまり、人間なのではないかということ。

 そして、その類稀なる容姿を持つ彼女が、俺に好意を持ってしまったのではないかということだ。

 俺の夢は実現しつつあった。

 校舎を囲むように植えられた満開の桜の木から、その可憐な花びらが惜しいほどに際限なく舞い散っている。

 俺は出会った。

 出会ってしまったのだ。

 一目惚れ。

 大変結構じゃないか。

 若い俺たちにとっては、そういう刹那的なファクターは大いに歓迎すべきものだ。

 あぁ、最高のスタートだ。

 彼女がゆっくりと、だが確実に近づいてくる。

 これが恋の足音か。

 春風に緑髪をなびかせた俺の女神様が、仄かに頬を染め、目の前に立った。

 一瞬顔を伏せてしまうが、健気に頷いてから再び顔を上げる。

 そして、桜吹雪を背に、可憐な唇から紡がれるその一言。

「なんて可愛いお方! 運命の女性ひとに出会ってしまいました。私とお友達から始めてください!」

 俺へ――ではなく、隣の愛子に向かってそうのたまった。

 運命の女性?

 誰が、誰の?

 お友達、から?

 それ以上どこへ行くというの?

 嘘でしょ。

 いやいや。

 あり得まへんがな。

 しかし、目を輝かせ今にもとろけそうな顔で、愛子を見つけている姿を見る限り、とても嘘やら冗談には思えない。

 唐突な告白に、愛子は目をパチパチさせている。

「え? 運命? 友達から? よく分からないけど、新しい友達なら大歓迎よ」

 ガバッ――。

 首肯するやいなや、黒髪美少女は愛子を抱き寄せた。

 ……情熱的に。

 彼女は愛子の細い腰に腕を回し、顔を自身の豊満な胸に迎え入れ、空いている方の手で頭を撫で回している。

 ……執拗なまでに。

 何だろうね、この背徳的な光景は。

 見てはいけないものを見てしまっているようなこの感覚。

 これはあれだな。

 中一の時、親父が大人向けのビデオを、深夜隠れて鑑賞しているのを目撃してしまった時のそれに近しい。

 耽美さは天と地の差だが。

「ちょ、ちょっと苦しい……一旦離して!」

 小柄な愛子はなされるがまま、甘い吐息を漏らす少女の胸で羨ましくも溺れそうになっている。

 その状態にやっと気づいた黒髪美少女は、名残惜しそうに愛子を放したかと思うと、興奮気味に口を開く。

「これから二人きりになれる場所へ行きましょう!」

「けほっ、けほっ。今から入学式じゃない」

 むせびながら正論で指摘する愛子に、少女は残念そうに顔を曇らせたが、今度は、

「分かりました。では式典の後、ひと気の無い場所に行きましょう」

 妥協案を提示した。

 だが、なぜひと気の無い場所?

 着衣の乱れを正している愛子も同じように感じたのだろう。

 首を傾げつつも、気を取り直して少女に言う。

「普通に教室とかで会えばいいじゃない。同じクラスになるかも知れないし。別に確認しなかったけど、あなたも新入生でしょ? 入学式、もう整列始まっちゃうよ。早く行きましょう。一人で遅刻より、みんなで遅刻の方がいいじゃない」

 さわやかに手を差し伸べる愛子は付け加えて、

「自己紹介してないよね。私は灯下 愛子。よろしくね」

 対する黒髪美少女は、顔を桜と同じ色に染め、愛子の小さな手を両手で迎えにいく。

「良いお名前です。あの…………下のお名前でお呼びしても?」

 照れながらおずおずと尋ねる少女に、愛子が微笑みを湛えて首肯すると、

「愛子ちゃん、愛子ちゃん、愛子ちゃん、愛子ちゃん、愛子ちゃん――――」

 恍惚の表情で呪文のように「愛子ちゃん」を反芻する。

 この間、ねっとり手を握り締めたままだ。

 愛子は慎重に手を解き、微笑を維持して自己紹介を促した。

「あ、ごめんなさい、私ったら。私は静森しずもり 百合花ゆりかと言います。よろしくお願いします」

「静森さんね、よろしく。で、さっきから突っ立ってるこいつは、」

 それまで完全に置き去りにされ、銅像みたいになっていた俺に、ようやく水が向けられた。

 さて、自己紹介は大事だ。

 満を持して、俺は出来る限り最高の笑顔を作り上げる。

「俺は左塔 夏人。よろしくね、えっと……静森さん!」

 呼び方を「百合花ちゃん」にしようと迷ったが、馴れ馴れしすぎるのは良くない。

 下心が露見しないように、自然を装って握手を求めると、片手で丁寧に対応してくれた。

 しなやかな指すらも愛らしい。

「はい。どうぞよろしくお願いします。……ところで、あの、その、聞きづらいのですが、」

 握手の感触を楽しむ間もなく、静森さんはすっと手を引き、何やら言い淀む。

 別に気にしているわけではないが、愛子のときとはえらい違いだ。

 片手だったり時間だったり。

 いや、別に気にしているわけでは決してないんだが……、笑顔を保つ自信がない。

 手持ち無沙汰になった右手をグーパーと持て余していると、静森さんが決意を眉宇に浮かべた。

「愛子ちゃんと左塔くんは、ど、どういったご関係なんですか? その、も、ももももしかしてお、お付き合いされてる、とか……?」

 俺との仲じゃなく、愛子との仲が気になったと信じたい。

「いや、俺たちはそういうんじゃないから」

 一緒に登校してきたのを深読みして、あらぬ誤解をしてしまったらしい。

 調子を合わせてもらおうと愛子を見やると、何故か少し不機嫌そうに、

「いい加減早く行くわよ!」

と俺たちを置き去りにして下駄箱へと駆け出した。

 当然、俺たちも急ぐべきなのだが、どうしても確認しなければならない懸案事項がいくつかある。

 意を決し、静森さんを見据える。

「ねぇ、静森さんて、人間?」

「? はぁ……そのつもりですくすく育ってきましたけど? お母さんが人間なので、私も人間だと思います。目からビームも、腕からミサイルも出たことありませんし」

 人間!

 従って神の類ではないということ。

 つまり、俺たちが恋仲になることも禁忌ではないということだ。

 しかし、問題は、

「あのさ、俺たちが来るまで何してたの? 下駄箱から隠れてるように見えたけど?」

「っっっ! ほほほ本当に何もしてなかったですよ? わわわ私は別に何も、」

 先ほど同様、分かりやすく狼狽える静森さん。

 額から流れる汗の量も尋常じゃない。

 どこぞの有名な滝のようだ。

 それを指摘すると、観念したのか目を伏せ、唇を歪めた。

 このとき俺は経験則から、隠れるようにして下駄箱の方を覗き見する行為の目的が、何なのか判りかけていた。

 どうか勘違いであってくれ!

 そう切に願う俺に、彼女はもじもじと身体を揺らしながら、秘密を漏らすように呟く。

「えっと、靴を履き替えるときの、屈んだ拍子に見え隠れするパンツを狙っていたというか、」

 続きがあるらしく大きく息を吸って、それから矢継ぎ早に言う。

「もちろんパンツも好きなんですけど、実は、屈んだときの脚の方が好きなんです!」

 変態だ!

 この人本物だ!

 パンツより脚に食指が動くというのも、より変態性が強い気がする!

 俺の懸念はどんどん色濃くなっていく。

 まだいろいろ整理できていないが、真実を求めるべく確信をつく質問をする。

「じゃあ、愛子に言った『運命の女性』とか『お友達から』っていうのは、どういうことなの?」

 認めたくない、予想と違っていてほしいと祈りつつ、彼女から放たれる言葉を待つ。

 一層もじもじと身体をくねらせる静森さんは、指を組み、顔を紅潮させ、まるで恋する乙女のように告白した。

「私、静森 百合花は――灯下 愛子ちゃんに一目惚れをしてしまいました!」

 俺は愕然とした。

 俺の頭は恐慌をきたした。

 聞きたくなかった、しかし決定的な言葉。

 認めざるを得なかった。

 あぁ、薄々感づいてはいたよ。

 彼女がマイノリティな性質の持ち主なんじゃないかって。

 そう、静森さんは愛子に恋をしてしまったのだ。

 俺と同じく、入学する高校の正門で、桜が舞い散る青春的なシチュエーションで、偶然出会った同級生に一目惚れをしてしまったのだ。

 ただそれが、俺と違って同性だったというだけのこと。

 目の前の女の子は恥ずかしそうに目を伏せ、両手で顔を覆ってしまう。

「あの、愛子ちゃんには内緒にしておいて下さいね」

 それだけ言い残して走り出した。

 一方の俺は途方にくれ、バカみたいに立ち尽くすしかなかった。

 チャイムだけが空気を読まずに鳴り響く。

 一目惚れをした女の子が一目惚れをした相手が女の子だなんて――。

 前途多難になりそうな高校生活を想像して、俺は身体の芯から戦慄した。

何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。

またお会いできることを祈っています。

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