一話
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、定期的に少しずつ上げていきます。
四月、春、桜、入学式、真新しい制服――どれもこれも何て心踊る言葉なんだろう。
俺を待っている新しい環境への期待は膨らむばかりだ。
自然と早足になるのを感じながら、頬が緩むのを止められないでいた。
普段は寝坊しがちだが、今日ばかりはワケが違う。
何といっても、今日この日から高校生になるからだ。
入学式から遅刻してしまっては、新しい出会いに失礼というものだろう?
有り体に言おう。
俺、左塔 夏人は可愛い彼女が欲しい!
高校生活三年間、可愛い彼女とイチャイチャして、楽しく刺激的な思い出を作りまくりたい。
今の俺にはそれしか頭にない。
夢だと言っても過言ではない程、運命の出会いを渇望している。
そして、今日の世界はそれをお膳立てしてくれているかのように、実に入学式に誂え向きだ。
柔らかく降り注ぐ春陽、優しく頬を撫で付ける春風、新調仕立てのブレザータイプの制服に身を包む学生たち。
見るもの全てが輝いて見えているのは俺だけではないはずだ。
最近はずっとこんな感じで、今朝なんかはシャツに袖を通すのも全く新しい行為のような気がしたし、姿見に映る己の顔は正直浮かれきっていて、いかにもアホ丸出しだった。
でも、それでもいい。
そう思えるくらい意欲や希望に満ち溢れているんだ!
「っっしゃらああああッッ」
意味を持たない言葉を発し、頬を両手でパンパンと二回ほど叩く。
景気づけみたいなものだ。
「どうしたの? いきなり奇声あげて。それにニヤニヤして気持ち悪いし、さっきから歩くの速いよ」
俺の突然の奇行に灯下 愛子は一瞬ビクッとしてから、咎めるように聞いてきた。
「気合入れてんだよ。素敵な出会いってヤツは、いつどこから現れるか分からないんだからさ。ほら、愛子も一緒に! せぇーのっ!」
調子をつけて両手を高く振り上げ、顎で愛子を促すと、
「え? ――こ、こう?」
遅れて大きくバンザイをした。
勢いがあったので伸びをする形になり、片側でまとめられている長い髪が激しく揺れる。
「そうそう。そんな感じ」
小柄な愛子が一生懸命身体を伸ばしている姿を微笑ましく思いつつ、脱力するように腕を下ろすと、愛子もそれにならった。
しかし、すぐに思い出したように、
「って、そうじゃなくて! 『素敵な出会い』って、何か良くないこと考えてるんじゃないでしょうね?」
眉を吊り上げながら問い質してくる。
童顔なので迫力なんかは皆無なのだが、こいつには陸上長距離走でならしている脚力を存分に生かした必殺技――ローキックがある。
その鋭い一閃を一撃でももらえば、立っていることはおろか無様に地面をのた打ち回る羽目になること必至だ。
本当に自慢ではないが、愛子をからかう度に地べたに沈められている。
依然として責めるような視線を送ってくる愛子に、晴れ晴れとした気持ちで言う。
「『良くないこと』なんて微塵も考えちゃいない。今俺の頭にあるのは、燦然と光り輝く未来だけだ!」
「『光り輝く未来』って何なの?」
「それはお前、美人で可愛いらしい彼女と高校生活を満喫すること――」
言い終わらない内に左脚に名状しがたい激痛が走り、そのまま、
「いだあああああああああああああ――」
絶叫と共に情けなく地面に倒れこんだ。
「何すんだよ!」
声を荒げる俺に愛子は、
「夏人が良くないこと考えてるからでしょ!」
「今の俺の発言のどこに『良くないこと』があったんだよ!」
負傷した足を庇いながら、どうにか立ち上がり抗議した。
「何かいやらしかった。特に顔が」
「顔はほっとけよ! ったく、お前も高校生になるんだし、もっとおしとやかにできないのかよ。見た目は良いんだから、おとなしくしてれば彼氏なんてすぐにできるぞ?」
「いらないわよ、そんなの!」
怒ったような、その後悲しそうな表情になったかと思うと、そう言ったきりそっぽを向いて歩き出した。
まだ若干痛む足を労わりつつ、愛子と肩を並べる。
すっかりご機嫌斜めになっている横顔を盗み見してから、ふと思いに耽る。
愛子とは小学校からの付き合いだから、かれこれもう十年近くになる。
こいつは男勝りを体現しているようなヤツで、小学生の頃は男より喧嘩が強かったように記憶している。
中学校に上がって腕力こそ遅れを取ったが、強気な性格とローキックにより、その立場を確固たるものにしている。
元来身体を動かすのが好きらしく、加えて身体能力も非常に高いので体育の授業では大活躍する。
その持ち前の運動神経で陸上をやっているんだが、多分高校でもやるんだろう。
まぁ、とにかくそんな愛子だから気兼ねなく付き合えるんだろうし、気も合うのだろう。
家も同じ町内で割りと近いし、今日も一緒に登校する約束をして、こうして並んで歩いているわけなんだが――。
「……何よ?」
いつの間にか凝視してしまっていたらしい。
愛子は唇を尖らせる。
「あ、謝らないわよ! 私が悪いんじゃないんだから、……まぁ私が悪いんだけど、でもそれは夏人が変なこと言うからで、」
言い訳するように、後半につれボソボソと語調が弱まっていく。
その様子に、何だかいたたまれなくなる。
「その、なんだ、……俺が言いたいのは今の愛子も明るくて良いんだけど、誰の前でももっと笑顔でいれば、もっともっと可愛いってことで、だから、その、」
「な、夏人は悪くないでしょ、別に。私が一方的に悪いんだし。夏人が気にすることじゃないっていうか。それとあんまり可愛い可愛い言わないで、恥ずかしいから」
俺は頭を掻きながら、愛子は束ねられた髪をいじりながらお互い黙りこくってしまう。
なんだ、この妙に気恥ずかしい雰囲気。
ばつが悪くなった俺は、入学式の朝に相応しい話題に切り替えることにした。
「それより、愛子。ちゃんと勝負下着穿いてきたか? まさか、いつも穿いてる猫みたいな刺繍のヤツじゃないだろうな? あれも可愛いとは思うが、高校生にはちょっと子どもっぽすぎ――」
「あんたは朝っぱらから何言ってんのよッ! くだらないわね!」
「ぐぁあああああああ」
声と一緒に飛んできた必殺技に、俺はまたしても崩れ落ちる。
「だから痛いって! それにくだらなくなんかねぇよ! お前は高校の入学式をなめてんのか? 新たなスタートを前に、然るべき準備をするのは当然のことだろ!」
愛子を睨みつけようと顔を上げると、彼我の位置関係から図らずもスカートの中が垣間見えてしまった。
そこから見下ろすそいつを確認し、
「やっぱり猫みたいなヤツのじゃん! 何やってんだよ。あ~もう、昨日の夜電話で言ってやれば良かっ、てうわあああああああああああ」
指差して嘆く俺に、手提げの学生鞄がギロチンのように非道にも振り下ろされた。
「見るなバカ! 何の話よ! そもそもなんで私の下着の傾向を知ってんのよ!」
転がるように避け、むくれる愛子と距離をとる。卒然と愛子は、
「今日から高校生なのに、変なことばっかり……他に言うことないの?」
スカートの裾をぎゅっと握って、じっとこちらを見つめた。
考えている内に、愛子は身を翻し「もういい」と、無言でとことこ歩いていってしまう。
「おい! 愛子、待てって、なあ!」
前を行く少女が欲しかった言葉が何だったのか、結局分からず仕舞いだ。
何かの縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございました。
それでは、またお会いできることを祈っています。