表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

中二病症候群

 ホラー小説みたいなことが起こるのは、あくまでもホラー小説の中だけなのだ。


 もし仮にあんたの目の前に数百編ものホラー小説があったとしても、おそらくそのどれもがこれまでの既存の作品と何ら代わり映えもなく、いかにも我々のいる現実の世界をそのまま舞台にして、異常きわまるホラー現象が起こったかのように描かれていることであろう。


 しかし残念ながら人類の歴史が始まって以来、この現実世界においてホラー小説に出てくるような怪異な現象が起こったことなぞ、ただの一度もないわけであり、あたかも実際に奇怪な事件が起こったように書けば書くほど皮肉にも、それらはすべてホラー小説という虚構の世界の出来事に過ぎないことを証明しているようなものなのだ。


 こんなことは今や小学校に上がる前のガキでも周知の事実なのだが、いまだに性懲りもなくリアルさを売り物にしたインチキ作品を書く輩が後を絶たないのはなぜなのだろうか。

 更に信じられないことにも何と、そのような荒唐無稽な空想作品をむしろ現実のものとして受け容れてくれるという、非常に奇特な読者も少なからずいるわけなのである。

 しかも彼らの中には俗に『ちゅうびょう』と称される、もはや現実とフィクションの区別すらつかなくなる重篤な症状に陥ってしまい、ついには己自身をホラー小説等の作中人物と同一視することによって、本気で虚構の世界の住人と化してしまった者さえもいるというのだ。


 狂っている。どいつもこいつも、狂っていやがる。


 そう。これはそんなホラー小説そのままの中二病妄想に取り憑かれてしまった、ある哀れなる女たちの物語なのである。




  一、復活ふっかつ



「この子の中にはかつての私──つまり、あなたの妻のはとぐさの霊魂が宿っているの」

 その幼い少女は、端整な小顔の中で黒水晶の瞳を艶然と煌めかせながら、そう言った。


 真夜中のベッドの上で四つん這いになって、僕の身体に覆いかぶさるようにして。


 ……んな、馬鹿な。一昔前の中年男のための『ド○えもん』もどきの、中間小説オヤジ・ロマンスでもあるまいし。

 死んだばかりの妻が、彼女自身の実の妹の身を借りて蘇ってくるなんて。


「……ホラー小説みたいなことはあくまでも、ホラー小説の中でしか起こりやしないのさ」


 僕はすっかり馴れ親しんだ口癖をつぶやきながら、密かに溜息をついた。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 それはあまりにも、唐突な出来事であった。


 ほぼ三月ほど前の春の初め。中堅ホラー小説家である僕(はと)しんのかつての担当であり当時もフリーの編集者であった妻のはとぐさが、山道をドライブ中に運転を誤り崖下に転落してあえなく亡くなってしまったのだ。


 しかも警察による解剖の結果、飲酒運転であったことが明らかになり、何と少量の睡眠薬すらも検出されたと言うのである。

 それほどアルコールに強くなかった妻は酒類を好まず、睡眠薬を服用していたという事実にも思い当たらなかったので、大いに当惑したのだが、それは警察のほうも同様だったようで、たとえ自殺であろうが他殺であろうが間違いなく最大の『重要参考人』である、夫の僕に対して執拗な事情聴取をくり返していった。

 しかし結婚してからこの七年間、子供はできなかったとはいえ、夫婦仲はおおむね良好であり、二人とも仕事のほうも順調で、これといったトラブルも抱えてはおらず、自殺にしろ他殺にしろ、彼女に一番身近にいた夫の僕こそが、その原因を知りたいほどであった。

 結局のところどうやら警察の見解も単なる飲酒事故に落ち着いたようで、こちらに対する嫌疑も晴れたのだが、もはやそんなことはどうでもよかった。

 僕にとっては、千草を失ってしまったという事実こそが、何よりも重大であったのだ。

 これほどまでの喪失感や絶望を覚えたのは、生まれて初めてのことであった。まさしくそれは己の片羽を引きちぎられたかのような痛みを、心身共にもたらしてきた。


 けれども間違いなくそんな僕にもまして、この上もなく深い悲しみに見舞われていたのが、彼女の実の妹である、はとその人なのであった。


 それも当然であろう。何せ生まれてすぐに両親を亡くしてしまった千花は、歳の離れた姉である千草が親代わりになって育ててやったようなものであって、他に身寄りもない彼女は千草が僕と結婚するときも一緒について来て、それ以来三人で暮らし続けてきたのだが、姉妹の絆は夫の目から見ても、妬けてしまうほどの深い愛情で結ばれていたのだ。

 そんなとき突然、たった一人の肉親であり最愛の姉がこの世からいなくなってしまったのだ。当時高校生になったばかりの少女にとって、どれほど衝撃的な出来事であったろう。

 事実それ以来彼女は文字通りに魂の抜けた人形そのものの有り様となってしまい、元々無口でほとんど感情をおもてに表すことのない物静かなタイプだったのだが、今やこちらからのアプローチにも一切反応を見せることはなくなり、しかも四十九日もとっくに過ぎたというのにいまだに黒衣以外の服を着ようとはせず、むしろ彼女自身のほうが死者であるかのようにすっかり生気を失ってしまっていた。

 葬儀に来ていた僕の親族たちもそんな彼女の姿を見て、やれ病院で診てもらうべきだのいっそこの際施設にでも預けてはどうかだのと、勝手なことを言い出す始末であったが、その言葉の端々に、血の繋がりのない年頃の男女がこれから先二人だけで暮らしていくことに対する、下劣な勘繰りが含まれていることを敏感に感じ取り、もはや千花を実の妹とも思っていた僕は烈火のごとく怒り狂ったあげくに、全員我が家から叩き出してしまったのだ。

 何といってもまだ三十にもならぬ若さで身罷ってしまった千草にとって、後に残した妹のことがどれほど心残りであったかは、想像するまでもなかろう。

 これからは夫である僕が彼女の代わりに、千花のことを立派に育てていかねばならないのだ。たとえ血の繋がりがなかろうとも、手放してしまうなんてもっての外である。


 きっとそれこそが最愛の妻であった千草に対する、何よりの供養なのだから。


 しかしまさにそんなとき、千花の様子が何だかおかしくなっていったのである。


 急に口数が多くなり妙に明るく振る舞い始めたかと思えば、以前では考えられないほどに義兄である僕に積極的に接してきて、仕事の締め切り直前なんかには自分から率先して、食事の準備等の家事を手伝ってくれるようになったのだ。

 当然最初のうちはようやく彼女なりに姉の死に対して踏ん切りをつけて、再び前向きに歩き始めたのであろうと思っていたのだが、それにしてももとより寡黙で内向的だった彼女の性格を考えれば、不審に思えるほどの変わりようであった。


 そう。あたかも文字通りに、『人が変わった』かのように。


 服装も黒衣は黒衣でもこれまでは着たこともなかった、禍々しくも派手なゴスロリドレスなぞを家の中でも着用し始め、以前はある程度距離を置いていた僕に対しても、ベタベタと甘えるがごとくまとわりつくようになってしまったのだ。


 まさしくかつて出会ったばかりのころの千草を、彷彿とさせるまでに。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……だからといって、これはないだろう」

 僕は真夜中の自室のベッドの上で、ため息まじりにつぶやいた。


 すぐ傍らで健やかな寝息を立てて横たわっている、漆黒のキャミソール姿の華奢な肢体を見つめながら。


 数日前いきなり寝込みを襲ってきて、事もあろうに「実は私はあなたの死んだ妻なの」宣言をなされた高校生になりたての義妹いもうと様は、学校が夏休みであるのをいいことに、もはや完全に女房気取りで在宅作家である僕に四六時中まとわりついてきては、隙あらばこちらの意思を無視して、寝床やお風呂までも共にしようとしてくる有り様となっていた。

 仮に僕が時代遅れの中間小説オヤジ・ロマンスの主人公なら、「血の繋がっていない同居人の美少女から言い寄られてラッキー♡」とか言いながら、堂々と秘密のドキドキ関係を楽しんでいくのであろうが、たとえ電波的オカルト妄想に囚われているとはいえ、相手はれっきとした現役の女子高生なのである。この御時世においてうかつなことをすれば、某条例的にもいろいろとまずいであろう。

 むろん僕としても、亡くなったばかりの妻の実の妹に手を出すつもりなぞ毛頭なく、彼女に対しても事あるごとに自重を促しているのであるが、「──あら、寝床だろうがお風呂だろうが、妻が夫と常に一緒にいようとするのは当然なことじゃない。それにこの子は高校在学中とはいえすでに十六歳になっているのだから、保護者の同意があれば結婚だってできるんだし。つまりこの子の唯一の肉親である私自身が構わないと言っているんだから、倫理的にも、そこいらのたかが地方自治体風情がでっちあげた条例はもちろん国が定めた法律的にも、何ら問題はないというわけなのよ」などと宣われるばかりなのであった。


 いやいや、何ですかその、詭弁と極論の集合体のようなおっしゃりようは。


 確かにある意味十八歳未満の少年少女の恋愛の自由を否定する某法律や各種条例は、十六歳の女性が結婚できることと矛盾しているし、個々人の信教や思想や恋愛感情等の内面的行為の完全なる自由を謳っている、憲法に抵触している疑いのある悪法であるが、だからといって、それらをまったく無視して何をやっても許されるというわけではないのだ。

 巷にあふれるギャルゲやライトノベルでもあるまいし、幼い少女に成人女性の霊魂が宿っているのだからどんな法令にも抵触することはないのだなんて言い出したら、秘密の歳の差カップルや援助交際に血道を上げているエロ親父どもが、あくまでも言い逃れに使うための免罪符として、こぞってオカルト妄想へとかぶれていくことになるであろう。

 そんないい加減で御都合主義的な欲望のために、オカルト現象を利用しようとすることなぞは、いやしくもホラー小説家の一員としては、断じて認めるわけにはいかないのだ。


「……たぶんこの子って、単に恐れているだけじゃないのかなあ。このまま姉を失って、独りぼっちになってしまうことを」


 もちろんたとえ血が繋がってなかろうが、今さら僕は千草の忘れ形見である千花を手放すつもりなんかはない。しかし先日の親戚連中の下世話な物言いを思い返すまでもなく、世間の目がそれを許さぬ恐れがあるのだ。

 何せ今や表現の自由を護るために選挙に打って出ようとすれば、「あいつはスケベ議員だ」などという対立候補の根も葉もない誹謗中傷のために落選の憂き目にあうという、狂った世の中なのだ。成人男性が血の繋がっていない未成年の女の子と二人暮らしなぞしようものなら、周囲の好奇の目にさらされるばかりか、下手するとあらぬ疑いをかけられ社会的地位を失ってしまいかねなかった。

 そんなことになれば今度こそ完全に保護者を失った千花は、施設送りになるか名前も知らない里親に引き取られるかのどちらかにしか、生きていく道はなくなるのだ。

 だからこそ彼女は突然、あのような奇矯な行動に走り出したのではなかろうか。


 つまり姉さえ生きていれば、あるいは自分自身が姉に成り代わることができれば、僕と引き離されて現在の生活を失うことなぞないのだと。


 更には何よりも、最愛の姉の死を認める必要なんてなくなるのだと。


「……ったく。いつまでたってもお姉ちゃんっ子なんだから、こいつときたら」

 僕は幼い寝顔を横目で見ながら、あきれまじりにつぶやいた。

 そう。この子は別に僕とのこれからの生活を護りたいのではなく、あくまでも姉とのこれまでの思い出を失いたくないだけなのだ。

 その証拠に、是が非でも自分が姉であることを確固たるものにするために、昼夜を問わず僕に夫婦としての既成事実を迫ってくる姿には鬼気迫るものがあり、それこそ本末転倒的に、僕が各種法令違反によって罪に問われることなぞ、少しも勘案しようとはしない有り様であった。

 しかしそれにしてもこいつ、何だか悲壮なまでの使命感すらも感じられるんだよなあ。

 まるで死んだ姉に成り代わって、僕との間で何かをやり遂げようとしているかのように。


「──やれやれ。さっきからやけに熱っぽく見つめているから、やっとその気になったのかと思えば、相変わらずのヘタレっぷりねえ。八年前を思い出すわ」


 そのとき唐突に聞こえてくる、幼くもどこか達観した少女の声。

 振り向けば、傍らで満面に笑みをたたえながら見上げている、端整な小顔。

 横一文字に切り揃えられた前髪の下でいたずらっぽく煌めいている、黒水晶の瞳。

「千花おまえ、起きていたのか⁉」

「まったく、いったいいつまでやせ我慢を続けるおつもりなのかしら。昔から思っていたのよねえ。中間小説オヤジ・ロマンスなんかで、妻を失った男性がずっと女っ気なしで禁欲的な生活をし続けているってのをよく見かけるけど、そんなこと現実にあるわけないじゃない。たとえやもめとはいえ成年男子が、三日と我慢できるものですか」

 ……そういう生々しい男の生態を高校生になったばかりの女の子が、ベッドの上であられもない格好で寝そべりながら、何の恥じらいもなく口にしないでください。

「あのなあ、何度も言うようだけど、たとえおまえが本当に千草の霊魂であろうがなかろうが、僕は高校に上がったばかりの自分の義妹いもうとに手を出す気なんてないんだから、とっとと大人しく自分の部屋に戻って眠ってくれないか?」

「わかってるって、中間小説オヤジ・ロマンスの主人公って、最初のうちはそうやって拒絶し続けるのよね」

 だから、人を勝手に小説の登場人物にするんじゃない。──つうか、僕はまだ三十になったばかりなのであって、けしてオヤジなんかではないからな!

「もう、チェリーボーイもあるまいし、相変わらず奥手なんだから。私がいいって言っているのだから、遠慮なんかしなくてもいいじゃない」

 そう言いながらつやっぽい流し目とともにしなだれかかってくる、義妹いもうと様。……こらこら、裾を乱して足を絡めてくるんじゃない。下着までも黒なのは見なくてもわかっているから。

「いや、そもそもおかしいだろうが。たとえ中身が千草だからって、その身体はあくまでも千花のものじゃないか。いくら自分が僕の妻であることを証明するためとはいえ、勝手に夫婦の営みなんかに使っていいわけはないだろう。生前の千草だったら妹自身の意に反して、そんな目に遭わせることなぞなかったはずだ。おまえは本当に千草の霊魂なのか⁉」

 しかし僕のこの上もなく常識的な意見を聞くや、さも心外とばかりに目を丸くする女子高生。……おいおい、何だよその、人のことをいかにも哀れむような視線は。失礼な。

「……あちゃー、やっぱり全然気がついていなかったんだあ」

「へ。気がついていなかったって、何にだよ?」

「この子の気持ちよ」

「この子ってつまり、千花のことか?」


「この子ってば幼い頃からずっと、あなたのことが好きだったのよ」


 はあ?………………………ちょ、ちょっと、まさか、それって⁉


「そう。私が千花の身体を憑坐よりましにして復活したのは、この子自身の願いでもあったの。私の意思にすべてを委ねてまずは身も心も妻としての既成事実を作ってから、今度こそあなたを自分だけのものにするためにね」




  二、にちじょう



「──うふふふふ。それはきっと、『ちゅうびょう症候群シンドローム』に罹患なされているのですよ」

 その二十代半ばの女性は縁なし眼鏡の奥で茶褐色の瞳を意味深に煌めかせながら、そう言った。


 昼下がりのシティーホテルの、二人っきりの部屋の中で。


 ベッドの上に腰かけている華奢なれど女性らしいおうとつも豊かな、純白のブラウスに包み込まれた肢体。気だるそうに組みかえられる、漆黒のタイトミニから伸びるしなやかな脚。ショートカットの茶髪に縁取られた、端整で彫りの深い小顔。

 それらはいかにも大学出立ての女教師然とした知性を醸し出しながらも、同時にそこはかとなく妖艶なる色香すらも感じさせてきた。

 天原あまはらひろみ。某中堅出版社の中間小説部門の期待のエースにして、僕の担当編集者。

 そう。まさしく僕らは現在、いわゆる締め切り直前の『缶詰』状態にあったのだ。

「中二病……症候群シンドロームって?」

 小休止の合間にかつてのぐさの後輩でありとも面識のある彼女に、最近の義妹いもうとの奇行について相談を持ちかけたところ、いきなり突き付けられた耳馴染みのない不可解な言葉。

「……まったく、先生ときたら。ホラー小説家のくせに相変わらずサブカル方面にうといんだから。いい歳をして、この純情リアリストが」

 ホラー小説家がリアリストであっても、別に構わないだろうが⁉

「元々中二病というのは、ファンタジーやSF等の小説とか漫画やアニメやラノベ等の創作物にのめり込むあまりに、現実とフィクションの区別がつかなくなる現代人特有の不治の病のことなのですが、その風潮はとどまることを知らず悪化の一途をたどり、ついに数年前からは主に中学高校の女生徒を中心に、更に重篤なる中二病症候群(シンドローム)を発症し始め、もはや現実的社会生活を完全に捨て去り、常に前世がどうしたとか過去の亡霊に取り憑かれたとか宇宙人は密かに我々を監視しているなどといった、電波的言動に終始するようになってしまったのです」

 前世とか亡霊に取り憑かれたとかって、まさしく現在の千花の症状そのものじゃないか。

「そ、そうか。まさかそんなとんでもない病気が世間に蔓延していたとはな。それで千花を治すには医者に診せればいいのかい? それともカウンセラーのほうがいいのかな?」

 しかしその編集者は深刻な表情を浮かべながら、かぶりをゆっくりと左右に振った。

「残念ながら中二病罹患者は例外なく自身のことを特別な存在だと思い込む傾向があり、前世の記憶が蘇ったのも霊魂や宇宙人の存在に気がついたのも自分が選ばれたからなのだと信じ込んでいて、それらの存在を否定しようとする『凡愚なる他者』の意見に耳を傾けることなぞはけしてないのです。つまり周囲の者たちはただ、時が解決してくれるのを待つしかないのでございます」

「そ、そんなあ。じゃあ千花はずっと、あんな状態のままだというわけなのか⁉」

 おいおい。いくら何でも僕の鉄壁の自制心もそろそろ限界だぞ。まさかこのまま犯罪者になってしまうしかないのかよ。

 絶望のあまりつい情けない声をあげる小説家に対し、なぜだかにっこりと微笑む編集者。

「まあまあ先生、そう悲観なされずに。実際に千花ちゃんの御様子を見てみなければ何とも言えないところですし、今回の作品が仕上がり次第私も一緒に御自宅に伺わさせていただきますので。そうすれば何かいい解決策でも思いつくかもしれませんから」

「おお、そういうことなら是非ともお願いします! それにしてもひろみ君って、こういった話題にはよほどお詳しいようですなあ」

「うぐっ……い、いえ、単なる昔取った杵柄でして。『MW(ムウ)』のほうも嗜んでいましたし」

「へ? 『MW(ムウ)』って確か、科学雑誌か何かだったっけ?」

「え、ええ、そんな感じです。おほほほほ」

 ……何だろう。いかにも気まずそうに目をそらしたりして。

「そーんなことよりも。話も決まったことですし善は急げなのです。さあ、とっとと作品を仕上げてしまいましょう。休憩時間はこれにて終了です!」

 うっ。話を無理やり変えるために、強硬手段に出やがった。くそう、薮蛇だぜ。

 しかたなく渋々ソファから立ち上がり机へと向かおうとした、その刹那。


「──それともその前に、軽く運動でもいたしますか?」


 思わず振り向けばいつしかベッドにしどけなく寝そべっている、女教師風味の禁断の色香に満ちた華奢な肢体。

 これ見よがしに舌なめずりをくり返す、深紅の唇。


 彼女の『もう一つの顔』をあからさまに見せつけられた僕は、もはやあらがう気概も理由も持ち得ず、ただ誘蛾灯におびき寄せられる羽虫のごとく歩き始めるだけであった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「お久しぶり、ちゃん──あ、いえ。ぐささんとお呼びしたほうがいいのかしら?」


 文字通り教師が幼い教え子に対するみたいに噛んで含めるように話しかける、妙齢の縁なし眼鏡の女性。

 しかしそれに対して漆黒のゴスロリドレスの少女のほうは、日本人形のごとき端整な小顔をいかにも不機嫌そうにしかめた。


「……どちらでも御随意に、『ひろみさん』」

「うふふふふ、本当に千草先輩のようだわね。千花ちゃんはこれまでずっと私のことを、『あまはらさん』って呼んでいたのに」

 年下の少女からさもぞんざいにあしらわれたというのに少しも機嫌を損ねることもなく、むしろにっこりと満面に笑みをたたえる編集者。

 それを苦虫を噛みつぶすように見るや、今度は僕のほうへとキッと睨みつけてくる少女。

「──ちょっと、あなた!」

「は、はひっ⁉」

「何でこいつを連れて帰ってくるのよ⁉」

「へ。何でって、彼女は僕の担当なんだし……」

「仕事はもう終わったんでしょう? 編集者なんてとっくに用済みじゃない。散々ホテルで二人っきりで楽しんできたくせに、まだ物足りないとでも言う気なの⁉」

「た、楽しんできたって。何を言うのかね、君は。我々は仕事をしていたのであって──」

 幼い義妹いもうとの鋭い指摘に僕が思わず言葉に詰まってしまった、まさにそのとき。

「可愛いんだから、千花ちゃんってば♡ 先生と水入らずで再会したかったんだよねえ」

「ちょ、ちょっと。いきなり抱きついてくるんじゃないわよ、この色ボケ眼鏡!」

「ごめんねえ、長いこと先生を独り占めしちゃって。でも今日からは千花ちゃんが、思いっきり甘えていいんですからねえ。もちろんお風呂でもベッドでもその他諸々でも!」

「……うぐぐぐぐ……ぐるじい……ちょ……ちょっと……息が……」

 まさしく覆いかぶさるようにして、小柄で華奢な千花の身体を力の限り抱きしめ続ける編集者。

 おいおい、あんたまさかソッチの趣味もあったんじゃないだろうな。つうか、確かここへは千花の暴走を止めに来てくれたんじゃなかったのかよ? むしろ逆に煽っているではないか。

「──ええい、いい加減に放しなさい!」

「あんっ」

 辛くも暴漢編集者の魔手から逃れるや、リビングのソファの後ろへと身を隠すゴスロリ少女。


「……あんたねえ。馬鹿なことばかりやってないで、もっと『私』が千花の身体を借りて蘇ったという意味を、よく考えたほうがいいんじゃないの? つまり本当に私が千草なら、『毒林檎売りの魔女』が誰であったか知っているということなのよ⁉」


 その瞬間目を細め、笑顔を消し去る編集者。

「ふうん、いかにも稚拙な誘導尋問ね。そんな手に私が乗るとでも思っているの?」

「なっ。これだけ言ってもまだ、私が千草であることが信じられないというわけ⁉」

 何だ? こいつらいったい、何を言い出しているんだ⁉

「当たり前でしょう。これがすべて昔から何かと聡かった千花ちゃんのお芝居でないとは言い切れないんだし。それに亡くなられた奥様が実の妹さんの身に乗り移って蘇ったりするよりも、単にあなたが重度のちゅうびょう症候群シンドロームであるということのほうが十分あり得ますからね。だって中間小説オヤジ・ロマンスのようなことは、あくまでも中間小説オヤジ・ロマンスの中でしか起こり得ないのだから」

 ……あれ。何だか決めゼリフを奪われてしまったような気がするんですけど。

 いや、そんなことよりも。あんた仮にも現役の中間小説誌の編集者なんでしょうが。何で中間小説の世界観を否定するようなことを言い出すわけ? しかも何だかメタっぽいし。

「……あなたいったい何者なわけ? もしかしたら本物の幽霊で、しかも自分の重大な秘密を握っているかも知れない相手を目の前にして、そんなに平然としていられるなんて」

「おほほほほ。何せ最近じゃこの業界ではたとえ一介の『新人編集者』や『文学少女』であろうとも、探偵役だってこなせないと生き残っていけないのですからね」

 ……どこの業界だよ、それって。

「まあ、あらかた目的も達したことだし。これ以上先生との久方ぶりの再会のお邪魔をしても、千花ちゃんの恨みを買うばかりですし。そろそろお暇することにいたしますわ」

 そう言うやあっさりとソファから立ち上がり、リビングの出口へと向かっていく編集者。

「──ちょ、ちょっと。ひろみ君⁉」

 慌てて追いすがっていけばむしろ待ち構えていたかのように、玄関の手前で立ち止まる女教師風味。

「さっきの千花との会話は、いったい何だったんだよ? それに目的を達したって──」

「ええ。もしも彼女が千花ちゃんのお芝居でもなく中二病症候群(シンドローム)でもなく本物の千草さんの霊魂だった場合、わざわざこの世に蘇ってきた理由がわかったのです」

「蘇ってきた理由がわかったって、まさか自分を死に至らしめた相手に復讐をするためとか⁉」

 何といっても幽霊が化けて出てくる理由の定番だからな。さっきもそれっぽいことを言っていたようだし。

「いいえ、むしろ彼女は知りたいのですよ。私とあなたとの『本当の関係』を」

 僕とひろみ君の本当の関係って──それって、まさか⁉


 思わぬセリフに言葉を失う僕に対して、意味深な笑みを浮かべながらあっさりと宣う編集者。


「ええ。千草さんは生前、先生が私と浮気をしているのではないかと疑っておられたのです」




  三、虚構きょこう



 それからも幼い義妹いもうとによる夜這い攻勢は止むことはなく、むしろ激化の一途をたどるばかりであった。


 あたかも文字通りに、何かに取り憑かれているかのようにして。


「……なあ、。おまえに本当にぐさの霊魂が宿っているかどうかはこの際置いといて、ここ最近根を詰め過ぎているんじゃないのか? 自分で気がついているかどうか知らないけれど、この数週間だけでそんなにやつれ果ててしまってからに。いくら幽霊だからって、実の妹を取り殺すのが目的でもあるまいし。このままじゃ僕との間に妻としての『既成事実』を成立させる前に、千花自身の身体のほうがもたないぞ。それじゃ本末転倒だろうが?」

 真夜中の自室のベッドの上で、今日も今日とて寝込みを襲ってきた幼い少女を、反対にうつ伏せに組み敷いて腕を背中へとねじ上げ完全に自由を奪ってから、僕はため息まじりに語りかけた。

 そうなのである。毎日のようにして就寝時や入浴時を含め昼夜を問わず、隙あらば迫ってくる少女の執拗さにすっかり辟易させられてはいるものの、考えてみれば襲撃者御本人のほうも文字通りに寝る間も惜しんで攻勢アタックし続けているわけなのであり、育ち盛りの身で長期にわたり睡眠不足の状態が続いているために、もとより小柄であった肢体はすっかり痩せ細り、端整な小顔も目の下にくっきりと隈を刻み込み、まさしく死霊そのものの鬼気迫る有り様と成り果ててしまっていた。

 そんな僕の心よりの気遣いの言葉に対して、それまで手負いの獣のごとくあらがい続けていた少女はぴたりと動きを止めるや、おもむろにつぶやいた。


「……前にも言ったでしょ。これはあくまでも千花自身の願い──いえ、贖罪でもあるということを」


「しょ、贖罪って⁉」

 何だ? 何で高校生の女の子が夜這いなんかをするのが、贖罪──すなわち、何ものかに対する『罪滅ぼし』になるって言うんだ?

 ……むしろある意味、罪を重ねているような気がするんですけど。

「つまりね、この子ったら、自分のせいで私が死んでしまったのだと思い込んでいるのよ」

「はあ? 何でおまえが酒酔い運転で死んだのが、千花のせいなんかになるんだよ?」

 ……まさか、姉に睡眠薬入りの酒を飲ませて事故死させたのは、実はいまだ年端もいかない高校生の妹だったのである──とかいう、三流ミステリィ小説もどきのオチだったりするんじゃないだろうな?


「だってこの子ったらこれまでずっと、何度も何度も心の中で願っていたのですもの。──私が死んでしまうことをね」


「──なっ⁉」

 思わず僕は自分の身体の下で驚愕の言葉を発した少女を、まじまじと見つめ直した。

 泰然とした人形のごとき端整な小顔の中で、うっすらと笑みすら浮かべている、桃花の唇。

 あの物静かで内向的で何よりも自分の姉のことを慕っていた千花が、千草の死を願っていただなんて、そんな馬鹿なことがあるものか!

「うふふふふ。言ったじゃない、この子は本当は以前から、あなたのことが好きだったのだと。だから自分でも無意識のうちに願ってしまったのよ、私が死んでしまうことを。そうすれば私に成り代わってあなたのことを、自分だけのものにできるかもしれないと」

「──‼」

 ……そんな……まさか……。

「でもそれがいざこうして現実のものとなってしまえば、この子ったら望みが叶って喜ぶどころか、むしろ自分を責め始めたのよ。すべては自分が、人の道を外れたことを願ってしまったせいだって。──そしてだからこそこの子はこうして、『私』を自分の中に創り出したわけ。たとえ本物の霊魂だろうが自分自身の妄想による産物であろうが、『私』さえ存在し続けていれば、その間だけは仮初めとはいえ、罪悪感から逃れることができるしね」

 もはやそのときの僕には、目の前の少女の言葉が、千花自身のものなのか、それとも本当に千草の霊魂のものなのか、だんだんとわからなくなってしまっていた。

「……ということはつまり、おまえが千花の想像上の産物であることを、自分から認めるってわけなんだな?」


「ふふふふふ。正直に言うと私自身、果たして自分が本当に霊魂なのか、千花の罪悪感や中二病的妄想による産物に過ぎないのか、わかってはいないの。でもねえ、実のところそんなことはどうでもいいのよ。重要なのはこの子が自分の意志で、『私』を受け容れたということだけなの。私への罪悪感に心が押しつぶされないために。そして何よりも、あなたのことを手に入れるために。──だから『私』はどんなことをしてでも、あなたを自分のものにすることをあきらめるわけにはいかないのよ」


 ……いやいや。そんないかにもこれぞ決めゼリフ的に、決意表明をされても。

 たとえ本物の霊魂だろうが妄想上の産物だろうが、それ以前に何よりも、年齢その他に問題があることを忘れないでください。

「何よ。人がせっかく出血大サービスで、ここまで真相を明かしてやったというのに、不満そうな顔をして」

「いや。こんな馬鹿げた話を信じておいて、本当に千草の霊魂ならともかく、単なる千花自身のお芝居や妄想に過ぎなかったりしたら、騙された僕のほうはいい面の皮だしな」

「ふうん。まったく昔から疑い深いんだから、この純情リアリストさんときたら。しょうがない、おまけのおまけに、私──生前の千草自身しか知り得ないことを教えてあげるわ」

「へ。千草しか知り得ないことって?」


「そうねえ……こういうのはどうかしら? 私を死に至らしめた張本人さんの名前を、今ここで発表するとか♡」


「──なっ。ちょっと、それって⁉」

 そしてその幼い少女は突然の思わぬ提案に慌てふためく僕を尻目に、ミステリィ小説あたりなら最後の最後まで取っておくべき『すべての真相』を、事も無げに口にしたのである。


「お酒に弱い私を言葉巧みに誘導して、睡眠薬入りのリンゴ酒を飲ませて事故死へと導いた、『毒林檎売りの魔女』は、あなたの現担当編集者である、天原あまはらひろみ嬢その人なの」


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──ええ。そうです、私です。この私こそがぐさ先輩を言葉巧みに誘導して、睡眠薬入りのリンゴ酒を飲ませて事故死へと導いた張本人なのですが、それが何か?」

 その妙齢の女性は純白のブラウスに包まれたふくよかな胸を張りながら、きっぱりとそう言った。


 二人っきりの、シティーホテルの部屋の中で。


「そ、それが何かって、突っ込みどころが多すぎて、むしろ何をどう突っ込むべきかわからないよ! 何でそう簡単に認めてしまうんだ、これがミステリィだったら話が続かないぞ⁉」

 向かい合ったソファから身を乗り出し、我を忘れてまくし立てる小説家。

 一方相対する美人女教師風担当編集者のほうは泰然とした表情のままで、タイトミニから伸びた麗しのおみ足をこれ見よがしに組みかえる。


 幼き義妹いもうとから衝撃の告白を聞かされてから数日後。僕は事の真相を確かめるために天原あまはら嬢を、仕事の打ち合わせその他()()()()()に利用しているお馴染みのホテルへと呼び出したのだが、問いつめるまでもなく、御本人のほうからあっけなくお認めになられたのであった。


「だって当の被害者自身がそうおっしゃっているのだから、ごまかしようがないではありませんか。いやあ、それにしても画期的な展開ですよねえ。巷にあふれる三流ミステリィ小説家たちも、少しは見習って欲しいところですよ。私昔から思っていたんです、ミステリィなんて単なる作者の自作自演の情報操作に過ぎないんじゃないかって。探偵役等の主人公にいかにも鮮やかな推理を行わせているように見せかけているけど、考えてみれば作者は犯人とかトリックとかの真相を最初からすべて知っているわけなんだから、単に情報を小出しにしたり事実をミスリードしたりして、読者をおちょくっているだけなのよねえ」

 こらこら。余計なことを言って、むやみやたらと敵を作るんじゃない。

「……ちょっと待ってよ。それを認めるってことはつまり、に千草の霊魂が憑依していることを認めるってことじゃないか。彼女はちゅうびょう症候群シンドロームとやらじゃなかったのかよ⁉」

「ええ。元々私は、彼女と()()()の人間ですからね。でも先生のほうはいいのですか? 私たちの話をそんなに簡単に信用してしまったりして」

「そ、そりゃあ、死んだ人間の霊魂が憑依するなんていまだに半信半疑だけど、これまでの事態の推移や君たちの話を考慮すれば、納得できなくもないと言うか、何と言うか……」

 しどろもどろに言葉尻を濁していく小説家。しかしそれに対して編集者のほうは端整な眉をひそめ、深刻極まる表情を浮かべた。

「……これはまずいですねえ。まさか先生までが、そのようなことをおっしゃりだすとは」

「はあ? 何で君たちは良くて、僕は駄目なんだよ⁉」


「だって先生はあくまでも小説家であり、しかも今回の一連の事件における、主人公のような存在だからですよ」


「──ちょっ。君⁉」

 おいおい。小説家とか主人公とか、いきなり何を言い出す気なんだ?

「先ほどミステリィ小説に対して暗に批判的物言いをいたしましたが、あくまでも読者に対して情報操作を行っていることを隠し通していれば、何も問題はないのです。むしろ小説に限らず世の創作物は基本的に、すべて情報操作の賜物なのですからね。しかしミステリィ小説家という輩は何を血迷っているのか、やたらと自作の中に自分自身と同姓同名のキャラクターを登場させては、探偵役とかその助手とかにして活躍させようとばかりしているという体たらくなのです。あんたら全員中二病かよ。外国小説家の受け売りかどうか知らないけど、現実と虚構をごっちゃにするんじゃないよ。──そう。ミステリィ小説の中にはけして、ミステリィ小説に関わるものは登場させてはならないのです。なぜなら読者の皆様には、ミステリィ小説を読んでいる間はあくまでも、それが『現実のもの』だと思い込ませ続けなければならないのであり、不用意に作者と同姓同名のキャラクターなぞ登場させて、これが単なる創作物──つまりは、物語ストーリー設定から探偵役や犯人等の人物設定にアリバイやトリック等のすべてを、作者という一個人が創った自作自演の代物であるということに気づかれてしまってはならないのですから。そしてこれはホラー小説家においても同様なのであり、たとえ自分の創作物が荒唐無稽な内容を扱ったものであろうとも、作家自身が超常現象をマジに信じ込んだりしている夢想家であったりしてはならないのです。むしろこの世にはホラー的現象なぞけして存在し得ないと信じ込むという、リアリスト的精神こそが必要なのであり、その本来なら存在し得ないものをいかに巧みに描写していって、読者の皆様にホラー小説を読んでいる間だけは現実のものだと信じ切ってもらい、心から楽しんでいただくことこそが腕の見せ所なのです。すなわち小説家の唯一最大の使命とは、巧妙に嘘をつき通すことによって、読者の皆様のお望みのままに偽物の現実セカイを創り上げることなのですよ」

 あ、やっと終わった。あんまり長過ぎて、お手洗いにでも行くところだったよ。

 ……しかしこの人、まさかこんな性格キャラだったとは。編集者ってのはみんな、このように蘊蓄好きなのであろうか?

「いや、御高説痛み入りましたし話の内容も十分理解できるんだが、それが僕が君や千花の話を信じるということとどうかかわってくると言うんだ? 君のほうこそ現実と小説とをごっちゃにしたりして、まさか中二病症候群(シンドローム)に罹患してしまったんじゃないだろうな?」

「何を申されているのです。現実と小説とをごっちゃになされているのは、むしろ先生のほうではありませんか?」

「はあ?」

「つまり先ほどの例とは逆に、先生は今まさに、現実の中に虚構の世界を持ち込もうとなされているようなものなのですよ。小説家であり主人公であるあなた自らがそんなことをなされれば、現実と虚構との境界線が一気に崩壊し、この世はまさしくホラー小説そのものの支離滅裂な世界になってしまうことでしょう。そうなればもはや取り返しはつかなくなり、先生におかれてもそれ相応の報いを受けることにもなりかねないのです」

「な、何を言っているんだよ⁉ この現実の世がホラー小説そのものの世界になるなんて、そんな馬鹿げたことがあるはずないじゃないか!」

「そうですかあ、もうすでに相当なまでに侵食が進んでいるかと思われるんですがねえ。考えてみれば死んだ妻の霊魂が、彼女自身の妹でピチピチの女子高生の身に乗り移るだなんて、そんな御都合主義的なエロ親父のためだけの中間小説的ファンタジー現象が、現実にあり得っこないでしょうが。何よりも先生御自身も常々おっしゃっておられたではありませんか、『ホラー小説のようなことは、ホラー小説の中でしか起こり得ない』と。それでもなおこの世界の正当性をお信じになられるとおっしゃるのなら、私たち全員が単に中二病症候群(シンドローム)に囚われてしまっているだけであるか、それともこの世界そのものが初めから、あくまでもフィクションに過ぎない中間小説の中の物語だったというわけなのですよ。だって中間小説オヤジ・ロマンスみたいなことはしょせん、中間小説オヤジ・ロマンスの中でしか起こり得ないのですからね」

 ……おいおい、それを言っちゃお終いだろうが。たとえWeb小説とはいえ、メタは絶対禁止です!

「僕たちみんなが中二病症候群(シンドローム)に囚われているとか、この世界自体が中間小説の中の物語に過ぎないとか、何を頭のいかれたことばかり言い出しているんだよ⁉ ──狂っている。君も千花もどいつもこいつもみんな、狂っていやがる!」


「あら、狂っているのは本当に、私たちだけなのでしょうか? 先生自身は本当に、正気なのでしょうか? むしろ狂っているのは、この世界そのものなのかもしれませんよ?」


 な、何をこの上更に、わけのわからないことを言い出しているんだよ⁉

 もはや我慢の限界を超えわめきたてる僕に対し、むしろ平然と微笑みさえ浮かべている目の前の女性の姿に、言い知れぬ恐怖すら覚え始めた、まさにその刹那であった。


「──失礼いたします、お客様。ルームサービスをお持ちいたしました」


 控えめなノックとともに廊下のほうから聞こえてくる、やけに若々しい女性の声。

「あ、はい。ただ今ドアをお開けします!」

 そう言うや逃げ出すようにしてソファから立ち上がり、部屋の入口へと向かう小説家。

 ルームサービスなんて注文した覚えはなかったが、まさしくこれぞ渡りに船だ。中二病症候群(シンドローム)だか何だか知らんが、これ以上電波的与太話に付き合っていられるか!

 飛びつくようにしてノブを回せば、勢いよく開け放たれる部屋のドア。


 そこに立っていたのは何だか見覚えのある、禍々しき黒衣を身にまとった少女であった。


「お、おまえ、どうしてここに⁉」

 漆黒のゴスロリドレスに包まれた白磁の肌といまだ中性的なほっそりとした肢体に、つやめく黒絹の長い髪の毛に縁取られた日本人形のごとき端整な小顔。

 そして意味深な笑みを浮かべながら煌めいている黒水晶の瞳に、右手に握られている亡き妻のものだったはずの携帯電話。

「……千花」

「ようやくこれに付いているGPS機能が役に立ったようね。あなたが仕事の日以外にこのホテルを利用するのずっと待ち構えていたんだけど、これでやっとわざわざこの世に蘇ってきた目的が果たせそうだわ」

「この世に蘇ってきた、目的って……」

 突然の事態の急展開についていけず、呆気にとられている僕を尻目に、その少女は満面に笑みをたたえながら言い放った。


「もちろんあなたたちの浮気の現場を、こうして突き止めることよ」




  四、真実しんじつ



「なななな何をいきなり言い出すんだ、君は⁉ 僕たちが浮気だって? あはははは。そんな馬鹿なことがあるわけないじゃないか。このホテルは主に締め切り前の缶詰を始めとして、仕事のために使っていることは、おまえだってよく知っているだろうが?」


 冷や汗を滝のようにだらだらと垂れ流しながら、言い募っていく小説家。しかしその幼い少女は、氷のごとき冷ややかな視線を向けてくるだけであった。


「下のロビーで妹だと名乗っていろいろと確認を取ったんだけど、ここへは缶詰のためだけではなく、一日だけとか夜だけとか、結構頻繁に利用しているみたいじゃないの?」

「そそそそそれは、作家と担当編集者としては打ち合わせとか推敲とか校正とか、いろいろと顔を合わせて詰めなくてはならないことがございまして……」

「──ふざけるんじゃない! 私をなめているの⁉」

「ひいっ!」

 言葉途中に一喝され、たまらず床へとひざまずく駄目亭主。

「打ち合わせをするのにわざわざホテルの一室を借りる編集部なんて、この出版不況の御時世にあるわけないじゃない。私が生前何年編集者をやっていたとでも思っているのよ⁉」

 しまった、そういえばそうでした。うぐぐ。どうしても目の前の少女の身のうちに、ぐさの霊魂が宿っていることを忘れてしまうんだよなあ。

 ……しかし女子高生の足元にひざまずいて浮気を糾弾され続ける三十男の図なんて、これ以上みっともないことが果たしてこの世にあるだろうか。


「──先生、もはやこれまでです。覚悟を決めて、すべてを千草さんに明かしましょう」


 そのとき唐突に背後から聞こえてくる、妙齢の女性の声。

 振り向けば縁なし眼鏡の奥で静かな決意に煌めいている、茶褐色の瞳。

「ひ、ひろみ君。いや、でも、我々は別に浮気をしていたわけでは──」

「そうは申されましても、身体と身体の関係であることは、確かではありませんか?」

「うぐっ。い、いや、それはそうなんだけど。ものには言いようが……」


「いつまでもぐたぐた言ってるんじゃないよ、この豚野郎が!」


「──ひぎぃっ!」

「ちょ、ちょっと、ひろみさん⁉」

 ハイヒールの鋭い一撃が脇腹へとめり込み、たまらず横転する小説家の()()()()肉体。

 呆気にとられて硬直する、黒衣の少女。

「随分とお偉くなったものじゃないの。別におまえの意見なんて聞いていないのよ。このホテルにいる間は誰がご主人様であるのか、忘れたわけじゃないでしょうね?」

「も、もちろんでございます、『女王様』!」

「は? 女王様って……」

 目を丸くしてこちらをまじまじと見つめている、女子高生。

 見ないでえ! こんな恥ずかしい僕の姿を、見ないでちょうだいー!

 床の上で恥辱にまみれながら、脂肪だらけの巨体をくねらせ続ける小説家。

「けっ。幼い義妹いもうとに見られているからって、そんなにも感じるなんて。この変態メタボが。いいでしょう、今日は特別念入りに可愛がって差し上げますわ。──さあ、とっとと仰向けになりなさい!」

「は、はひっ!」

 期待……もとい、恐怖に駆られながらいそいそと身体を横たえれば、すかさずでっぷりと肥えた腹部に突き刺さる尖ったヒール。

「あふんっ♡」


「いい様ね、この豚めが! おまえら小説家はそうやって、編集者の言うことだけを聞いていればいいのよ! 大した作品を創ることもできないくせに、締め切りを延ばす言い訳だけはうまくなって。ワープロやパソコンの変換機能に頼り切って、小学生以下の誤字脱字ばかりの原稿をよこしやがって。オリジナリティなんて微塵もなくて、外国小説を『密輸入』するテクニックばかり磨いて。ちょっと名前が売れたからって、テレビ出演や政界進出に血道を上げて。私たち編集のアシストがなければ、作品一本満足に仕上げることもできないくせに。小説家はただ愚直に、小説だけを書いていればいいのよ! 何をわざわざ小説家風情が政治家になって、崇高なる漫画界やアニメ界に迷惑をかけているのよ!」


 興奮のあまりあらぬことを口走りながら、尖ったつま先で容赦なく蹴り上げてくる女王様。最後のほうにちょっぴり暴投気味の危険球が含まれていたことが、少々気掛かりです。


 ──ああんっ。そこ、そこです。そこを思いっきり、えぐってくださいっっっ!


 こうして小一時間ほど至福の時を堪能し尽くして、さすがに体力の限界を迎えおのおのソファと床とにぐったりと倒れ込む、女王様と豚ドレ……もとい、編集者と小説家。

 ふと見上げれば、今や完全に言葉を失い立ちつくしている、ゴスロリドレスの少女。

 一仕事終えてすっかりリフレッシュした僕は、さわやかな笑顔とともに語りかけた。

「ふっ。千花、これで安心しただろう? 我々は別に男と女の関係ではなく、あくまでも忠実なるしもべと女王様の関係にあるのであって──」

「な、何を安心しろと言うのよ⁉ むしろ普通に男と女の関係であったほうがましだったわよ!」

 まなじりを吊り上げて、烈火のごとく怒鳴りつけてくる義妹いもうと様。

「いやいや、おまえはフリーになったから知らなかったかもしれないが、現在の出版界における作家と編集者の関係は、これが普通であって──」

「こんなのが普通だったら、出版界は一人残らず変態だらけよ!」

 ──っ。なぜそれを⁉ それこそがまさしく、我が業界における最大のタブーなのに!

「ちょっと、ひろみさん、いったいこれはどういうことなのよ⁉ ここまでこの人のことを飼い馴らせているのなら、わざわざ私を事故死に見せかけて排除しなくてもよかったんじゃないの?」

 今度は女王さ──いや、編集者のほうに向かって問いつめていく、ゴスロリ少女。

 つうか、自分の旦那のことを、飼い馴らせているとか言うんじゃない!

「何を言っているんですか? 先生は元々私だけのものだったのよ。先に横取りしたのはそっちじゃない」

「はあ? あなたとこの人が最初に会ったのは、私と結婚したあとだったでしょうが?」

 思わぬ発言で千花の気勢をそぐ編集者。しかし本物の爆弾宣言が投下されるのは、まさしくこれからであったのだ。


「──だって先生と私は前世における恋人同士だったのであり、本当は最初からこの私と結ばれる運命こそが正しかったのです!」


 一瞬にして沈黙に包み込まれる、シティーホテルの一室。

 ……あいたたた。今度は前世ソッチ系で来ましたかあ。

「あんた、昔から『MW(ムウ)』とかを愛読していたかと思っていたら、まさかそこまで中二病症候群(シンドローム)におかされていたなんて……」

 唖然とした表情でつぶやく、こちらは過去の亡霊の憑依による転生少女さん。

 というか、おまえだって人のことは言えないだろうが?

「何だよ? 科学雑誌を読んでいると、前世に目覚めたり中二病に罹ったりするわけなのか?」

「『MW(ムウ)』は科学雑誌なんかじゃないわ。まさに『前世信奉者』たちの聖書バイブルであり、現在オタク界を席巻している中二病やじゃがん的概念の発生源なのよ」

 ……それはまた何とも凄そうだな。うん、あまり触れないでいておこう。

「自分のほうが泥棒猫のくせに女房気取りで、私と先生──ううん、アルフォンス(前世で飼い馴らしていた豚奴隷の名前ペットネーム)との仲をあれこれ詮索してくるものだから、思い切って排除したつもりだったのに、まさか妹の身を借りて蘇ってくるなんて。これは前世の恋人である私に対する宣戦布告と見なさせてもらうわ!」

 びしっと千花に向かって人さし指を突き付けながら、高らかに宣う編集者。

 いや。一度死に追いやった相手に対して、宣戦布告も何もないだろう……。

 つうか、アルフォンスって何だよ、アルフォンスって⁉

「何が前世の恋人よ、馬鹿馬鹿しい。前世なんていうものはしょせん、夢見がちな電波女の思い込みに過ぎないの! れっきとした心霊現象である、過去の亡霊の憑依による転生と一緒にしないでよね」

「ふん。れっきとした心霊現象ですってえ? ちゃんちゃらおかしいわ。憑依だの転生だのと言い出すほうが、単なる中二病的妄想上の産物じゃないの⁉ むしろ前世の記憶こそがすでに世界各国の学会で認められている、正統なる超常現象なのよ!」

 売り言葉に買い言葉で、どんどんとヒートアップするばかりの中傷合戦。

 ……ところで、前世と転生って、どう違うんだ? 聞いている分には、同じようなものにしか思えないのだが。


「くっ。こうなったら二度と生き返ってきたりできないように、今度こそ魂までズタズタに切り裂いてやるわ!」

「それはこっちのセリフよ! その腐った性根ごと、前世とやらに叩き返してくれる!」


 そう言うや二人同時に懐から大振りのナイフを取り出す、編集者とゴスロリ少女。

 おいおい。『ムウ』だか『ユウ』だか知らないが、ひょっとして最近の神秘系雑誌には、付録に大型ナイフがついてくるのかよ⁉

「ちょ、ちょっと待ってくれ。おまえらまずは落ち着いて、話し合いでも──」

「あなたは黙っていて! これは転生系と前世系との誇りを賭けた勝負なんだから!」

「そうよ。この世でアルフォンスのご主人様になれるのは一人だけなのだし、話し合いなんて無用よ!」

 そんなおとこらしいことを叫びながら激しく斬り結んでいく、可憐なる乙女たち。

 もはやなすすべもなく呆然と見守り続けるばかりの僕を尻目に、たちまちのうちに全身傷だらけとなり、身にまとう衣服も無惨に切り裂かれて、鮮血に染め上げられていく。

 それでも双方とも攻撃の手をゆるめることなく、ほとんど互角の激闘が続いていたのだが、不意に足を滑らせた千花が踏ん張りきれずに、ソファへと倒れ込んでしまった。


「もらった!」

「……くっ!」

「──やめろおおおおおっ!」


 まさにその瞬間とき。好機とみた編集者がナイフを振り降ろすのと、必死に反撃を試みようと千花がやみくもにナイフを突き出すのと、何とかして止めようと僕が二人の間に割って入るのが、ほぼ同時に行われた。


「きゃあああああああっ! ()()()⁉」


 激痛とともに意識を失っていく中で最後に耳に届いたのは、幼き義妹いもうとの声であった。




  終章エピローグ新生しんせい



 気がついたら僕は、病院のベッドの上に横たわっていた。


 付き添ってくれていたが涙ながらに語ったところによると、あれからすでに三日もたっており、意識不明の重体だった僕はずっと、生死の境をさまよっていたらしい。


 ひろみ嬢の凶刃は僕の腹部に深々と突き刺さっていて、一時は生命の危機も憂慮されたのだが、鍛え抜かれた鋼の肉体(脂肪だらけの肥満体とも言う)に阻まれて、致命傷を与えるには至らなかったとのことであった。いやあ、メタボでよかった!

 一応千花やひろみ嬢のほうもこの病院で治療を受けたそうだが、今もなお包帯や絆創膏だらけではあるものの入院するまでもなく、簡単な処置だけで事無きを得たという。

 ただしなぜだか事件当日の記憶をすっかり失ってしまい、あの日何が起こったのかはもちろんなぜ自分たちがその場にいたのかさえも、まったく覚えていないとのことであった。


 そう。あたかも自らを僕の亡き妻だとか前世の恋人などと名乗っていたときの記憶を、すべて失ってしまったかのように。


 結局肝心かなめの被害者である僕自身が、警察の事情聴取に対してあえて支離滅裂な証言に徹したことや、加害者であるひろみ嬢のほうもお得意の電波話をくり返すばかりだったために、ホテルでの仕事の打ち合わせ中に突然錯乱した彼女がナイフで千花に切りかかったところを、僕が咄嗟に身を挺してかばって負傷したということに落ち着いて、軽い神経症だと診断されたひろみ嬢が病院送りとなることによって、一応の決着をみることとなった。

 千花のほうも文字通りにすっかり憑き物が落ちてしまったようで、もはやゴスロリどころか黒衣を身に着けることもなく、以前のように淡い色合いの花柄のワンピースを好んでまとうようになり、やつれ果てていた身体も徐々に生気を取り戻していった。

 その有り様はあたかも、彼女なりに最愛の姉の死に対して折り合いをつけることによって、新たなる一歩を歩き始めたかのようにも見えた。

 当然僕に対しても、夜這いはもちろんとっぴな言動をすることもなくなり、まさしく無口でありながらもどこか大人びた、かつての義妹いもうとそのものへと立ち戻ったのであった。


「……結局すべては、あの二人のちゅうびょう的妄想に過ぎなかったのかも知れないな」


 事件当日から二週間ほどたちようやく退院を許され家へと戻った、その日の深夜。僕は自室のベッドの上に横たわりながら、ため息まじりにつぶやいた。

 何せ転生とか前世とかいかにももっともらしいことを言ったところで、あくまでもそれは彼女たちの自己申告のみの『霊魂の憑依』や『別の時代セカイでの記憶』に過ぎないのであり、実際には超常現象としての物的証拠を何一つ見せられたことはなかったのだ。

「それに千花ってば最後の最後で素に戻って、僕のことを『あなた』とかではなく、『にいさま』って呼んでいたからなあ……」

 もちろん予想外の事態に直面したショックで、ぐさではなく本来の千花としての魂が一時的に表に出てきただけなのかも知れないけどね。

 まあいいや。何せ転生とか前世などといった中二病的妄想に夢中になるのも、思春期の女の子ならではの流行り病みたいなものだからな。悪い夢でも見ていたと思って、さっさと忘れてしまうことにするか。

「……しかし、こうして自分のことをあんなに熱烈に求めてくれていた、亡き妻の霊魂や前世の恋人が二人いっぺんに消え去ってしまったりしたら、それはそれで一抹の寂しささえも感じてしまうものだよなあ」

 そんな益体もないことを言いながら布団を頭からかぶろうとした、その刹那であった。


「──大丈夫よ、あなた。来年になって私が新たに生まれ変わってからは、私たちはずっと三人一緒に暮らていくんだから♡」


 唐突に目と鼻の先から聞こえてきた少女の声に思わず身を起こせば、いつの間にかベッドの上には包帯だらけながらも端整な顔に妖艶な笑みを浮かべている、漆黒のキャミソールに身を包んだ幼い義妹いもうとの姿があった。


 黒絹の前髪の下でいかにも意味深に煌めいている、黒水晶の瞳。


「……千花? 何でこんな時間に僕の部屋に。まさかまた性懲りもなく、夜這いでもしに来たんじゃないだろうな。結局妄想上の産物だったのか本物だったのかは知らないが、もう千草の魂のほうは消滅したんじゃなかったのかよ⁉」

 思わぬ事態に面食らいながらもまくし立てていけば、満面に笑みをたたえる義妹いもうと様。

「ええ。この前も言ったように実のところ、私が本物の霊魂であるのか千花自身の妄想上の産物であるのかは、自分でもわかってはいないわ。でもそんなことは、もはやどうでもいいの。だってあなたの協力さえあれば、私は新たに生まれ直すことができるのですもの」

 新たに生まれ直すって……まさか、それって⁉


「そう。この子にあなたの子供を生ませるの。私はそっちを器にすることによって新生し、この身体は晴れて千花自身のものへと戻るわけ」


「──なっ。子供を生ませるって、千花はまだ高校生なんだぞ⁉」

「何を言っているのよ? 女は十六歳になれば結婚することだって認められているんだし、子供を生んだって構わないじゃない。それにこれが千花自身の願いであることも、すでに言っておいたでしょ?」

「ちょ、ちょっと⁉ おまえらはそれでいいかもしれないが、僕の意思のほうはどうなるんだよ? それにそんなことをしたら、何よりも倫理的に大問題だろうが!」

 そんな僕の常識的意見を耳にするや、すべての感情を消し去る端整な小顔。

「あなたの意思とか倫理とか、知ったことではないわ。何せこっちは、自分の存在の有無がかかっているのですからね。この世界が現実のものであろうとWeb小説の中の物語であろうと、最後の最後まで実体のないままで終わってしまってなるものですか。たとえ相手が自分を生み出した神様だろうが小説家だろうが、三流ミステリィ小説の被害者役でもあるまいし、好き勝手に命をもてあそばれて黙っているつもりなんてないわよ。そう、これはまさしく復讐なの。自分のことを散々都合よく利用し続けてきた、物語セカイそのものに対してのね」

 そう言うや僕の身体へと覆いかぶさってくる、幼い肢体。

 そしてゆっくりと近づいてくる、これ見よがしに舌なめずりをくり返す桃花の唇。

「うふふふふ、いくら抵抗したって無駄なだけよ。あなたの身体のことは、隅々まで知り尽くしているんだから。これまでにない最高の快楽を味あわせてやって、すぐに何もかも忘れさせてあげるわ。しょせん人間でも動物でも、その気になっている雌にあらがえる雄なんていやしないのよ」

 その言を証明するかのように白魚のようなか細き指先が、僕の急所へと絡みついてくるや、ほんの少し力を入れるだけでみるみるうちに、全身から力を奪い去っていってしまった。


『──現実の中に虚構の世界を持ち込んだりなされれば、先生におかれてもそれ相応の報いを受けることになられるでしょう』


 そのとき脳裏に蘇ったのは、もはや二度と会うこともできない妙齢の女性の声。

 ……そんな。これが小説家であり主人公でもあるくせに、ただ流されるままに不可思議なる現象を受け容れ続けてきた、愚かな男に対する報いとでもいうのか。


 あまりの事態の急展開にすっかり言葉を失ってしまった僕に対して、蠱惑の笑みを浮かべながらささやきかけてくる、幼き義妹いもうとにして亡き妻の憑坐よりまし


「さあ、これから朝までじっくりと、新しい『私』づくりをいたしましょう。ねえ、あなた──いえ、『お父さん』♡」

 お久しぶりあるいは初めまして、881374と申します。


 ちなみに881374は、『ハハ、イミナシ』と読みます。

 もちろんこれは本名ではなくペンネームですが、実は私はかつてニュースにしろドラマにしろテレビに名前が出てくる回数が最も多い、日本で一番有名な某お役所に勤めていた経験があったりするのですが、この881374といういかにも意味不明イミナシな数字の羅列は、その当時の激務の日々の思い出にまつわるものであります。(※あまり詮索すると、怖いおじさんたちにしょっぴかれるかも知れませんので、ご注意を!)


 さて、このたび『小説家になろう』様における夏の風物詩、『夏のホラー2018』エントリー第七弾作品として公開した本作ですが、実のところわざわざ後書きとして述べることはほとんどなかったりします。


 だってまさしく私って、『作品で語る男』ですからね!(←作者自身、重度の中二病)


 ただし、一点だけ。

 作中で主人公も悩んでいた、「転生と前世って、どう違うんだ?」についてですが、どうも(異世界転生することがデフォとなってしまっている)『なろう』の感覚にどっぷり染まってしまった今となっては、「どっちでも同じじゃん」の一言で済ましたくなりがちですが、ここはあくまでも『論理的』に区別を付けておきましょう。


 例えば『織田信長』が現代人の身を借りて甦る場合においては、

 織田信長のほうを主観にすれば、(戦国時代から現代への)『転生』となり、

 現代人のほうを主観にすれば、(現代において戦国時代の記憶が甦ってしまう)『前世』となるわけなのです。


 つまりあくまでも主観の違いだけで、本質的には同じものであり、基本的に『なろう』における異世界転生ものは、ほとんどすべて『転生』と見なしていいでしょう。

(※当然肉体丸ごと世界間転移を行う異世界転移は除く)


 ──さて、『夏のホラー2018』については引き続き、できれば長編シリーズを一本くらい投稿するかも知れませんので、その節はどうぞ御贔屓のほど、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] どこからが真実で、どこからが虚構なのか、主人公だけでなく読者もくらくらしてくる作品でした。 物語のターニングポイントとなったのはやはり『中二病症候群』が出てくるあたりからでしょうか。異常を…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ