歯車は回り始める
真理が文芸部に帰ってきてしばらくの沈黙が続いた。
真理は僕らに買ってきた飲み物を差し出し、僕の財布からはちゃっかり120円を徴収した。
言ノ葉さんも財布を取りだしたけれど、真理はすかさずにこやかな笑顔で財布をカバンに戻させた。
言ノ葉さんはばつの悪そうな顔をして小声で「ありがとうございます」と呟いた。
友介は言ノ葉さんの言葉の意味をどうにか理解しようと必死なようだ。
頭の中では「何が、どうして、どうなった」とそんな言葉が走り回っていることだろう。
落ち着かない様子でお菓子を食べてみたり、元々持っていたペットボトルのお茶を飲んでみたり。その都度考える仕草をしては僕のほうを見てくる。
ややあって理由もわからず気まずい空気に放り込まれた真理は口を開く。
「えーっとさ、なんかあった?......もしかして推理ゲーム終わっちゃった?......あはは」
口を開くタイミングを失っていた僕はこのチャンスを生かそうと必死になる。
必死に考えた結果口から出たのはしょうもない他人頼みの一言だった。
「言ノ葉さんが言いたいことあるみたいだよ」
......ええ。男だろ、リードしろよ僕。残念ながら僕の対人会話能力じゃこれが限界だ。
言ノ葉さんは無表情のまま淡々と。ほとんど機械人形のように話し始めた。
「私の言葉には言霊が、あるんです」
真理は何をいきなりこの子は不思議ちゃんなの?と僕に訝しんだ視線を送ってくる。
「言霊って、言葉に不思議な力が宿るってことの事だよね?」
「はい」
「......私馬鹿なのかな?全く理解ができないんだけど」
同感だ。僕だって、信じられない。あの光景を見てさえいなければ。
言ノ葉さんはそれは自然の反応だと言わんばかりにこくりと頷く。
「それを今から証明します。私とじゃんけんをしましょう」
『私は絶対に勝ちます』
その言葉は何かの呪文じみていた。彼女の言葉には間違いなく何か魔力のようなものが帯びていて、それは口から出た瞬間に僕らの脳裏に強烈に焼き付く。
真理は眉間にしわを寄せ怪訝そうにじゃんけん大会に一番乗りする。
「じゃあ、私からでいい?」
「どうぞ」
威勢のいい掛け声の後、彼女は負けた。
「え、嘘。もう一回もう一回!」
何度やっても負けた。彼女の発言からすると「言ノ葉さんが勝った」と言った方が正しいだろう。
友介は疑い深くその様子を観察していた。恐らく、勝つための策略でも練っていたのだろう。かくいう僕もそうだ、彼女の傾向とでもいうのだろうか。グーチョキパー、どれを一番多く出すのか、それをじっと観察していた。
友介は勝つ算段でも付いたのか、言ノ葉さんに勝負を挑んだ。
「言ノ葉さん、俺はグーを出す」
出た、心理作戦。普通の人間なら相手がグーを出すのならパーかグーを出せば負けない、相手が嘘をついていた場合でもチョキを出すのはリスクが高いと考える。つまり、二択だ。
しかし、そんな画策をしたところで言ノ葉さんにはまるで歯が立たなかった。
真理、友介合わせて計二十回。全敗。これはさすがにチートすぎんだろ。
真理も友介も床に手を当て「そんな馬鹿な...」とつぶやいている。
どんだけショックなんだお前ら。甲子園行けなかったみたいな落ち込み方やめろ。
「数学的に考えても絶対にありえない!何かトリックがあるはずだ、そうに違いない。さあ吐け!吐くんだ!吐くまではこの部室から一歩も外には出さないぞ言ノ葉さん!」
友介は相当に悔しかったんだろう。珍しく負け惜しみを繰り返す。まあなまじ頭がいいだけ、信じられないんだろう。
僕はひどく勝ち誇った様子でこう言ってやる。
「現実、見ろよ」
「お前に負けたわけじゃないのになんだこの敗北感は......」
友介とつるんでから初めて優越感に浸ることができた気がする。言ノ葉さんには心底感謝だな!
「やる?」
と言ノ葉さんは小首を傾げ僕に拳を向けてくる。なんだ喧嘩か?と思わず身構えてしまうが、絶対違うね。じゃんけんだろ、普通に。
そんなツッコミを自分に入れながら、僕は首をぶんぶん横に振る。
「いや、いいよ。最初からそうじゃないかと思ってたし、今ので十分証明されてる」
その結論にはだいぶ前に至っていたから別に今更驚きはしない。
勿論驚いたが、真理や友介ほどではない。どちらかといえば変に納得してしまった。やっぱり、とまで思ってしまっていた。
未だに両手を見つめぶつぶつ言っている友介を横目に僕は一言付け加える。
「友介以外は」
「話を戻すけどさ、言ノ葉さんどうして文芸部に入ったの?言ノ葉さんの口から聞かせてくれると嬉しいんだけど」
真理は息を吹き返したように急に立ち上がる。
「そうだよ、推理ゲームってそのためにやってたんじゃん!あまりの衝撃に忘れてたわ」
言ノ葉さんが話始めようとした瞬間、真理が言の葉さんに腕を伸ばし掌を前に出して制止する。
無言のままぶつぶつ言っている友介の背後に立つと腕を振り上げ思いっきり振り下ろす。
すぱーんといい音が部室内に響き渡り、言ノ葉さん身体がびくっと跳ねた。
「ふごっ」
何事もなかったかのように真理は元の場所に戻り椅子に座る。友介もすごすごと椅子に座った。あまりのテンポの良さに夫婦漫才でも見ている気分になる。
「さ、どうぞ。言ノ葉さん」
言ノ葉さんは友介を憂慮してから事の経緯を話し始めた。
掲示板で学校新聞を見て、僕の短編小説を読んだこと。それを書いた人が同じクラスにいたこと。その人、つまり僕が文芸部という言葉に関して詳しそうな部活にいること。言霊をうまくコントロールできるんじゃないかと思ってこの部活に入ったということ。
「私、分からないんです、自分の気持ちが。何かを喋ればそれに縛られて、知らないうちにそれが私の気持ちになっているんじゃないかって思うんです。だから、私は何が好きなのか断定できない。断定すればそれは私の気持ちじゃなくなってしまうから」
「それじゃあ何も喋らなければいいんじゃない?」
「だから、そうしてきました」
言ノ葉さんはそれでもわからないから聞いているんだと、少し不満げな顔をした。
真理は「ああ、そっか」と呟きそれっきり黙り込んだ。
「言ノ葉さん、言霊って何でもできるの?例えばさ、魔法使えるようになるとか」
......おお。友介、お前頭いいな!僕は少し興奮気味でその話題に食いついた。
「それは魅力的だな!手から炎出したりとか、もういっその事僕を異世界に飛ばしてくれ!」
「無理」
「ですよねー」
間髪入れずに言ノ葉さんは否定した。少し期待した僕が馬鹿みたいだ。
「大抵のことはできるけど、それも現実世界であり得ることだけです。アニメとか漫画とかそういうの期待しないで下さい。魔法とか超能力とか、そういうのが使えるようになったりはしないんです。勿論――」
『人を生き返らせることも』