小説を書くにはまず前提から
この学校の図書室はいつも静かだ。
図書室だから静かなのは当たり前だけれど、そもそもいつ来たって人がいない。最近の若者は本離れしているというやつ、あれは多分本当だ。放課後だけじゃなく昼休みだって図書室はがらんどうとしている。二教室分くらいの広さに六人掛けの机が八台もあるのに、図書委員と先生を除けばそこに今はたった一人だけしかいない。
人の事は言えないけれど僕もライトノベル以外はあまり読まないし、残念ながら図書室にはライトノベルはない。だから僕も図書室には現実逃避か資料集めにしか来ない。
今日はカバンがやけに重い気がする、肩が凝ってきてしまった。そんなことを思いながらミステリー系の本棚の所へ着いた。
「......どれが参考になるのか全く分からん」
有名どころはアガサ・クリスティ、コナン・ドイルだろうけど僕が今求めてるのとは絶対違うことぐらいは読んだことなくても分かる。
どれにしようか、何冊か手に取って試し読みをしてみるもののさっぱりだ。これは本当に困った。誰かミステリーに詳しい人でも連れてくればよかった。
......まあそんな友達いないけど。
「あれ?何探してるの?」
声の主の方向を見てみると何冊か本を両手に持ち小首を傾げる真理の姿があった。
「資料探しにミステリー読もうと思ったんだけど、さっぱりで」
「あー、今のは聞きたくなかったかも」
少し眉を細めて困った顔をする。緩やかなカーブを描く童顔の顔はどんな顔をしても様になる。「まあいっか」と小声で呟き、ポニーテールをふりふりと左右に振って本を本棚に戻す。
「どんなミステリー探してるの?私結構詳しいから教えてあげるよ」
「へー、初めて知った。なんか意外だな、純文学とか読んでるかと思った」
「そんなにお堅く見えるかな、私。少女漫画とかも結構好きだよ?ミステリーは最近読み始めたんだけどね」
堅いというか、優等生って感じだと思うけど。部長もしてるし責任感もあるとかそういうこと言いたかったんだけど、まあいいや。
「ミステリーの種類とかもよく知らないからどんなって言われてもな。日常の事柄を推理するみたいな感じで書こうと思ってるんだけど」
顎に手をあてて、少し考えた後新しく本棚から慣れた手つきで三冊手に取り僕らは図書室の真ん中の机に座った。椅子を引く音やカバンを置くじゃらっとした音が静かな図書室に響く。
「そっかぁ、じゃあまずはミステリーについて話さないといけないね。あき君はミステリーって聞くとどんな事を連想する?」
「殺人、それと毎日事件に出くわす名探偵。あと人殺せるキック力の少年?」
「うわー物騒......。最初以外は完全にアニメの影響だよね!?はぁ、殺人は間違ってはいないけどそれは起こった事象でしょ?そうじゃなくてさ、私の聞いたのはミステリー小説に不可欠な要素の事だよ」
そういわれると意外と難しい。事件があって推理があるくらいの事しか頭に浮かばない。一般常識的にホームズくらいは読んでおいてもよかったかもな。
「え、えーっと事件が起きて推理してくらいしか思い浮かばないんだけど」
「うわー、完全に読者目線じゃんそれ。小説書いてる人とは思えないセリフだよ」
苦笑いを浮かべる真理の目は「だから応募しても10回も落ちるんだよ」と言っている。
「ミステリー読む分にはそれで良いんだけど、書くとなったらまた別だよ?そこにきちんと伏線を張らなきゃいけないし、ありきたりな推理じゃ面白くないからどんでん返しの結末を用意しないといけない。そのためのミスリードも必要になってくるんだよね」
おお、さすが教えてあげるというだけあって詳しい。誰だよ最後。ミス・リードさんってどちら様?
「なるほどなるほど。そのサランラップみたいな名前の女の人が大事なわけか、うんうん」
今度ばかりは整った顔が少し歪み怪訝そうな顔をしてくる。こめかみに手を当て呆れ返った様子だ。
「いや、全然わかってないじゃん。リードさんじゃないからね、ミスリード。日本語だと誤りの誘導ってこと」
失敗のほうね、今度こそなるほど納得。そうだよな、この理論で行くとひぃおばあちゃんはシーおばあちゃんにしないとおなべになっちゃうし、そもそもミステリーもテリーさんになっちゃうからな。
うんうんと頷く僕を疑いの目で見つめ真理は一応ミスリードの説明を始める。
「例えばさ、今私の持ってる三冊の内一冊が無くなったとするでしょ。そしたらあき君が犯人みたいな描写を書いていくのよ」
真理は持っている三冊のうち、オリエント急行殺人事件を手に取り隣の椅子に置いた。
「僕が犯人なのかよ。悪意を感じるのは気のせいか」
「気のせいよ。でそこに伏線として第三者の存在をちらつかせておくわけ。よくあるのは、誰もいないところで物音がしたとかそんな感じかな。で最後にどんでん返しの結末を持ってきておしまい。分かった?」
大分ざっくりな説明ご苦労様、なんだか配役がだいぶ気にくわないから少しからかってやろう。
「最初からミスリードの書き方くらいは知ってるよ。でも実際に書くってなると色々考えることがあるんだな、俺より小説書けるんじゃないの?さすが新聞部でニュースをミスリードしてるだけある」
「してないよ!!ちゃんと事実と照らし合わせて書いてるもん!確かにちょっとくらいは配置とか変えてるけど別にミスリードとかじゃないし!」
やってんのかよ情報操作。メディアって怖いな、僕も注意しよう。
「ふっ。今のを秘密の暴露っていうんだぞ、探偵の常套手段の一つだろ?」
「むううう、折角色々教えてあげたのに!あき君嫌い!馬鹿!」
フグのように膨れたかと思ったら舌を出して一人変顔大会をしている。嫌いっていうのは好きなやつに言う言葉だろ、ってことは少しは好感度があるらしい。これはゴキブリ以上友達以下くらいの好感度だな。ダメじゃん、ゴキブリも入っちゃってるよ。
「で、この場合の最後のどんでん返しの結末って何なんだ?」
「あー、考えてなかった、かも。......じゃあさじゃあさ、あき君がこの場合の結末考えてみてよ。たまには作家っぽいとこ見せてみなよ」
たまにはってなんだ。僕はいつだって作家のつもりだぞ。ニュースで取り上げられたときに職業「自称作家」ってちゃんと書かれるぞ!......ダメじゃん、それ絶対無職のやつだよ。
僕を小馬鹿にする真理を睨みつけた後、少し真面目に考えを巡らせてみた。
どう考えても推理する要素が足りなさすぎるだろ......。ちびっこ眼鏡探偵君でもこれは無理だな。でもそこから面白い展開を考えるのが物書きってものだろう。
「ぶっちゃけ誰が犯人でもいいんだよな?推理が矛盾さえしなければ。」
「ええ、まあそうね。異世界とか出してこられたら私が異世界に飛ばすから安心しなさい」
「一つも安心する要素なくねーかそれ。流石に俺もそんな突飛な話じゃ納得されないことくらいわかってるから」
僕は少し名探偵気取りで真理を指さし物語を話し始める。
「よし、じゃあ行くぞ。まず犯人は真理、お前だ。そしてカギを握るのは消えた一冊の本にある。その本の題名を言ってみろ」
「やけに上から目線なのがむかつくけど、この際それは置いておくわ。えーっと、無くなったのは『オリエント急行殺人事件』ね」
「犯人はオリエント急行のトリックを利用しようと考えた。そして何かの拍子にばれることを考え本を盗んだんだ。オリエント急行のあらすじは知ってるよな?ここから思いっきりネタバレになるけど」
真理は馬鹿にしないでと、自己主張の控えめな胸をどんと張り腰に手を当てる。
「勿論知ってるわよ、有名じゃない。乗り合わせた乗客は全員が全員アリバイを補完するようになっていて、そこから第三者の犯行だって言い始めるのよね。でも実はたまたま乗り合わせたわけじゃなくて全員がグル、犯人だったっていうオチでしょ?」
「そう、だからどれだけ伏線を張っていようが第三者の犯人はいない。そこから犯人の可能性は僕と真理の二人だけになる。ここから絞り込むにあたっては動機が大切になってくる。そもそもなんで本を隠したのか」
「それはさっきも言ったじゃない、トリックがばれるからって」
やっぱ馬鹿じゃないのと真理は顔を歪めて訝しむ。
「いやそうじゃなくてさ、なんで全部じゃなくて一冊だけ隠したのかってこと。全部だったらどのトリックが使われるのか分からなくなるのに、あえて一冊だけ犯人は隠した。はっきり言うと二冊は残したかった理由があったんだよ」
「ふーん。ちゃんと作家らしく物語になってるじゃん。それから?」
なんでそんなに上から目線なんだ、まったくなんて女だ。真理は少し目を輝かせながら話の続きを促す。
「その理由は......」
「理由は......?」
「その二冊は実は好きな相手に宛てた上下巻セットのラブレターだったのだあああ!」
「うっわ、きもちわる!流石の私でもそれは気持ちが悪すぎて読まずに燃やすわね」
真理は自分の体を両手で覆い身震いしながら椅子ごと後ずさりする。当然の反応だな。
僕だって思い出しただけで身悶えする。
「それに他の二冊もミステリー小説っていうくだりはどこに行ったのよ」
「あ、あれだな、ミステリー調のラブレターだったってことだな。私の気持ちを推理しなさい的な?」
それどんなミステリーだよ。愛おしすぎて殺しちゃいましたってホラー展開しか見えないぞ。好きな女子のリコーダーぺろぺろする男子中学生と同じくらい怖すぎだろ。
真理は急に肩をぶら下げてどっと疲れた顔をしてうなだれる。そんな風に落ち込まれると思ってる以上に傷つくな。
「なーんか聞いて損した気分。ほんとそんなんだから落ちるんじゃない。結末が微妙すぎるのよ、あき君のは」
こいつ......。
「そこまで言うか......。この短時間によくここまで頑張ったと褒めてくれてもいいと思うんだけど」
今度は真理はふふふっといたずらな笑みを浮かべる。
「そうね、私もいい暇つぶしになったから良かった。それにちょっとは楽しかったし」
「そうだ短編、面白かったら褒めてあげるから頑張りなさいよ」
どんだけ上から目線なんだこいつ。
「じゃ、あき君またねー」
「お、おう」
僕に手を振る真理の顔はなんだか少し嬉しそうに笑っているように見えた。
笑うとえくぼが出来て可愛いなんてことは前から知っていたけれど、直視されると思わずたじろいでしまう。
帰ろうとバッグ手に取ろうとしたところで異変に気が付いた。明らかに僕の所持品ではない何かのストラップがついている。なんだこれ?謎の生物一号二号じゃん。......え?もしかして間違えて持ってきちゃった?
僕の伏線そこかよ......。ありえね......。