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海尊曰く  作者: 高坂喬一郎
第1部
6/32

僕の話 7

 次の日の学校でも例に漏れず、岩水寺と二人昼食を取っていた。このまま同じことの繰り返しで良いのかと思わなくもないが、意志の力のみで居心地の良い空間から抜け出すことは難しい。習慣は毒にも薬にもなりうる、と海尊の言葉に納得したりした。


「聞いてますか」


「ごめん、なんだって」


「だから、今日はお弁当じゃないんですね」


「母親が単身赴任中の父の所に行っているから」


「それは残念ですね。あの美味しいお弁当が食べられないなんて」


 僕の机の上には登校中に買ったコンビニのおにぎり三個あるだけだ。雄索の弁当と比べると、社会の縮図を見ているようで憂鬱ゆううつになる。


「今日は潮の香りが強いですからね、おにぎりもいつも以上に美味しく感じるでしょう」


 僕のことを気遣って言ってくれたのか。しかし、顔を見ると単に思ったことを口にしただけだということが分かった。


 すーっと鼻から大きく空気を吸い込む彼の様は掃除機を連想させた。僕も嗅いでみるけれど、クラス中に充満する制汗剤の独特な匂いのせいで潮の香りを感じることができなかった。


「それは月が綺麗ですねみたいな比喩表現か何かか」


 制汗剤の匂いを潮の香りに例えて言っているのではないかと疑う。


「まさか。それに今の時代月が綺麗ですねなんて口説き文句、誰も口にしないでしょうに」


 僕は一つ目のおにぎりの包装を破いた。


「確かに使ってる人見たことないな」


「どうして月が綺麗だと相手を口説くことになるんでしょうね」


 雄索が疑問を呈する。そう言われてみると確かに理解できない。


「夏目漱石が『I love you』を月が綺麗ですねと訳したからだったとかじゃないか」


「あー、漱石ですか」


 一瞬考えてから雄索はまた口を開く。


「でも、この文句を知らない人が聞いたら普通に『そうですね』って返しますよね。その時点でカップル成立ですか」


 始まった。


「そうじゃないか」


「月が綺麗なことに同意しただけなのに意図せず恋人関係に仕立て上げられるって詐欺と変わらなくないですか。漱石も下手を打ちましたね」


 日本を代表する文豪を友達のようにのたまう。詐欺は言い過ぎにしても、雄索の意見は中々に的を射ているように思えた。


「つまり、相手に十分な説明を与えてから同意を得なくてはならないってことか」


「何事もインフォームド・コンセントが大事ってことですよ」


 得意顔でそう言うが僕にはインフォームド・コンセントの意味が分からない。


「でも、意味を先に自分で説明してから月が綺麗ですねって言うんですよね。それってすごくまぬけじゃないですか」


 雄索はどうしても夏目漱石をおとしめたいらしい。何か夏目漱石に嫌な思い出でもあるのだろうか。


「例えば、月が綺麗ですねの意味が載ってる本を事前に貸すとかそんな感じでいいんじゃないか」


 僕のポロリと口にした言葉に雄索は真顔になる。


「なるほど、そんな手があったんですね。さすがは恋愛マスター」


「そんな不埒ふらちな通り名は願い下げだ」


 恋愛マスターだけでも恥ずかしいのに、さらに恋愛経験がないとなれば恥の上塗りだ。


「こういうのは本人の意向に関係ない他人からの評価ですからね。どうしようもありませんよ」


 雄索はそう言うが、これこそ詐欺じゃないだろうか。


「世間はいつだって理不尽だ。そして、海尊の言うことはいつも正しい」


「俺達はそんな理不尽と死ぬまで戦わなければならいんですよ」


 自分の言葉に酔ったのか、雄索はうんうんと何度も頷いた。


「その理不尽との初戦として、とりあえず恋愛マスターを取り下げてもらおうか」


「嫌ですよ」


 雄索は、間髪入れずに答えた。


「どうして」


「理不尽の化身である俺がそう簡単に取り下げるわけないでしょうに」


 やれやれといった様子で軽く首を横に振る。いつの間に理不尽の化身などと大層偉そうなものになったのか。まあ、雄索もすぐに飽きるだろうと心を切り替えた。大事なのはいつも決断と切り替えだ。

次 2017/09/23

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