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海尊曰く  作者: 高坂喬一郎
第1部
32/32

僕の話 33

 先に進むほど木々が深くなり、振り返ると既に自転車は見えなくなっていた。暗い中でも目を凝らせば先を進む彼女の背を見ることが出来た。相変わらず僕の手は彼女に掴まれたまま、ぐいぐいと引っ張られていた。葉が敷き詰められているせいか足元が滑りやすく歩きにくかった。


 かなりの距離歩いたと思うが、一向に森を抜ける気配はない。木々に囲まれた景色は代わり映えせず、前を見ても、後ろを見ても、右を見ても、左を見ても、どこを見ても、先まで木が密集した景色が続くだけた。


「ほら見て」何かを見つけたのか突然彼女の足が止まる。


 想像以上に深い森であるにも関わらず鳥の声一つしない。そのせいか、僕らの足音が止むと、途端に静寂が訪れた。


 彼女が屈んで何かを取ろうとする。彼女に手首を掴まれたままの僕も必然的に屈まざるを得ない。


 屈んだまま美園さんが僕に向き直る。彼女の右手は僕の左手首を掴んでいて、左手は背中に隠されていた。その様子から左手に何か隠し持っていることが分かる。虫でも見せて驚かせようとしているのだろうか。僕は少し身構えた。


「ほらこれ」


 そう言って見せた彼女の左手にはナイフが握られていた。


 彼女は僕の左手に向けてナイフを振り下ろした。何とか逃れようと左手を動かしたけれど、がっちりと捕まえられていて、抜け出すことが出来ない。


 グサッ。鈍い音と共に強烈な痛みが僕を襲った。


「えっ」一瞬出た驚きの声の後、僕は絶叫した。


 あまりの痛さに暴れ回り、右足で彼女を思い切り蹴り飛ばした。彼女はうめき声を上げて地面に転がる。


 腕からは血が溢あふれ出ている。左手に力が入らず、ぶらぶらさせたまま僕は立ち上がった。


 彼女を見ると、僕の蹴りがきいたのかまだ立ち上がれずに呻うめいていた。しかし、手にはしっかりとナイフが握られている。


 狂ってる。彼女を見下ろして思った。


 地面に落ちた血がうごうごと僕の方へ一斉に動き出す。暗いこともあってはっきりとは見えない。しかし、地面で血が動いている様は彼女の目にも分かったのだろう。


「やっぱり」


 呆然と立ち尽くす僕を尻目に彼女がゆっくりと体を起こした。


 何がやっぱりなのか、僕には分からない。とにかくこの場から逃げなくては。頭の中はそれだけだった。左腕を見ると血は滴っているが傷口はほとんど治っている。


 逃げようとして彼女に背を向ける。すると体がふわりと浮いた。足元から吹き上がる突風、びゅんと風を切る音を耳にする。地面が一気に遠ざかる。ガサガサと木の枝が体に当たり、そのほとんどが僕と共に舞い上がる。枝に当たる痛みを感じたかと思えば、体は既に周囲の木々よりも高い位置にあった。風が止み、しばしの無重力体験。ちらりと周りに目を向けると見渡す限り木が広がっていた。ただの雑木林じゃないのか。一瞬だけそんなことが頭を過よぎった。しかし、そんな考えもすぐに想像を絶する痛みでどこかへ飛んで行った。


 体が思い切り地面に叩きつけられる。うぎゃっ、小さな呻き声の後、口から血が飛び出た。声を出そうと口を動かしても気の抜けた息の音しか出ない。口以外からも血が出ているのかじわーとした温もりが体に広がっていく。首が動かないために、目だけを動かし見える範囲で体の様子を確認する。


 腕は壊れた人形のようにおかしな方向に曲がっていた。神経が切れているのか、動かそうとしてもピクリともしない。


 一体何が起こったのか。自分の状況を理解する前に美薗さんの声がした。


「どうして人魚を殺したの」冷たい声が僕に問いかける。


 痛みを押して首を動かすと、僕を見下す美薗さんの姿が見えた。手には金色に輝く扇を持っている。


 人魚を殺す、彼女の言うことの意味が分からず、僕は口を開いたけれど、空気の漏れる音が出るだけで、意味のある言葉を発音することが出来なかった。


「人魚を殺して、しかもその死体を食べたでしょ」


 先ほどより強い口調で彼女が言う。


 人魚とは一体何の話だ。意味が分からないが、僕は正直に首を振った。首を少しでも動かすと痛みが走る。その動きはかなり小さなものだったろう。


「動かぬ証拠があるっていうのにまだしらばっくれるの」


 彼女が指さす先は僕自身ではなく、僕の周囲に散乱している血だった。ついさっきまでどくどくと流れていたはずの僕の血は、今は僕の体に向かって逆再生するように動き始めていた。腕の痛みも段々戻り始め、指先が少しずつ動かせるようになる。


「本当のことを言うまで何度でも繰り返すだけよ」


 言うが早いか、彼女が手に持った扇を大きく構えて僕に向けて思い切り煽あおる。


 びゅんという風の音と共に僕の体はまた宙に舞った。これから何が待ち受けているのか心も体も覚えているために、空中で僕は絶叫した。気付けば喉は治っていて、その大きな声は辺り一帯に響き渡った。


 どしんという鈍い音を立てて僕はまた地面に打ち付けれた。まだ完全に癒えていなかった傷口からはさらに血が噴き出す。


「どうして人魚を殺したの」


 彼女が再度同じことを問いかける。知らない、僕は擦り切れた声で言った。


「さっきも言ったけどあなたの気が変わるまで繰り返すだけよ。いくら体が不死身でも痛みが無くなったわけじゃないでしょう」


 また彼女が扇を構えた。そう何度もやられてたまるか。全身に力を込める。僕の意思に呼応するかのように周囲に飛び散った血がうごうごと集まり始める。不思議と体の痛みが引いていく。


 低い体勢から彼女に飛び掛かる。狙うは顔面。僕は渾身の力を込めて右手を振りぬいた。

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