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08:価値なき価値あるもの

「貧乏貴族が恋人の財布で贅沢三昧ね――精々今のうちに楽しませてもらったら? すぐに飽きられるわ」

 多くの生徒に一目置かれているとは言え、例外がないわけではない。

 振り返れば、くすくすと葉がこすれ合うような笑い声を立てながら、複数の女生徒達が廊下の角を曲がっていく。

 フリーダが走って戻らなければ追いつけないような、そんな場所を選んで行われる。彼女が単身で歩いているのを見計らった上で。


 こういったことは一度や二度では無い。

 とはいえ、好き合って付き合い始めたわけではないので、彼女たちの攻撃は的外れとも言える。追いかけるほどの興味もない。問題は無い。付き合っているのは、フリーダなのだから。


 フリーダは前をむき直すと、銀の髪を靡かせ悠然と歩き始めた。




***




 図書室は全ての生徒が利用できるように、共有棟の中にある。

 塗り重ねられた漆喰の壁に、背の高い本棚がずらりと並ぶ。本棚と本棚の隙間を、人々がひっそりと交差していく。静寂と、紙とインクの匂いが混ざり合い独特な空気にしていた。


 なんとなしに読んでいた本を閉じる。

 堂々と図書室に来られるなんて……去年まで、いや数日前までは考えもしなかった。フリーダは浮き立つ心を抑えるために、表紙を指先で撫でた。


 新しい本も数冊借りて自室に戻ろうと、席を立つフリーダを数人の生徒が見上げる。

 静かな図書室では、小さな物音をたてるだけでも注目を集めるものだ。ましてやここのところフリーダの身辺は騒がしい。フリーダは視線に負けぬよう、背筋を伸ばした。 


 椅子をたった拍子に髪が流れてきて、耳にかける。

 ふわりと香った匂いに、一瞬手を止めた。


 最近――アイゼンからの贈り物で身を整えるようになってから、フリーダは自分の匂いすら変わってきたような気がしていた。香水などは勿論、美容品やシャンプー、果ては薔薇の香りのお菓子まで。アイゼンの贈り物は多岐に富む。

 一介の学生でしかない彼自身にそれほどの財力があるとは思えないが、フリーダが口を挟まずとも、自分の不利益になるようなことはしないだろう。


 本を抱えて本棚の隙間を覗いていたフリーダは、ふと足を止めた。

「あ……」

 小さな声が零れ、慌てて指先で口元を押さえる。

 フリーダが見つめた先にいた女生徒は気付くことが無かったようで、そのまま本棚の影へと消えていった。


 ――あのショール、これと同じ織りだわ。


 女生徒が肩にかけていたショールを見て、フリーダは自身を見下ろした。

 パッと見ただけで同じ織りだとわかったのは、毎日見ているからだろう。アイゼンに贈られたショールは、ブランケットと同じ方法で織られていた。

 独特な製法をこなして織られるこのショールは、学院でまだフリーダしか持っていない。

 さらに、現在シュトラール学院の主流はフリル柄。羊毛のショールはフリーダの母の世代に流行った型である。アイゼンから贈られるまで、フリーダもフリルのものを使っていた。


 フリーダは彼を身に纏うかのように、彼の贈る物を身に纏い続けた。


 その結果がこういう形で繋がっているのであれば――


 本を本棚に戻すために背伸びをする。

 革のローファーが真ん中から折れる。


「これ、しまうのか?」

「――っ、アイゼン。ええ、お願い」

 考え事をしていたところに突然、背後から頬の横に顔を寄せられて、フリーダは危うく悲鳴を上げるところだった。

 恐怖からの悲鳴でないそれを、こんな場所であげてしまえば、大事だ。


 フリーダが必死に噛み殺したものに見当がついたのか、アイゼンは人の悪い顔で見下ろした後に、フリーダの手から本を奪う。

「足音は立てたんだがな」

「考え事をしていたの」

「俺のことか」

「その通りよ、いなせな商人さん」

 意味深なフリーダの笑みに、アイゼンが片眉を上げる。

「見覚えのあるものが、先ほど視界を掠めたわ」

「暖かそうな?」

「暖かそうな」

「一人が真似ればぱくりだが、皆が真似ればトレンドだ」

 自分を身に纏わせたフリーダを広告塔にしたことに、何の罪悪感もない不遜な表情。

 仕方の無い子供を叱るような笑みを、フリーダが浮かべる。

「あなたには、ほとほと頭が下がるわ」

「世辞として受け取っとくよ」


 もう、という悪態とは逆に、フリーダの心は軽かった。アイゼンの役に立っている実感を得られのは、フリーダにとっても悪い話では無い。彼を触ることに対する気兼ねも減る。


 フリーダの本を本棚にしまおうと、背表紙を確認したアイゼンが、片眉を上げる。

「あんたは見かけを裏切らず、難しい本を好むんだな」

 二人の目の前にある本棚には、経済学の本が収められている。女生徒が好んで読むような本ではない。

「……違うのよ。きちんと読んだわけじゃないの、ただ以前兄が読んでいたのを……」


 何故かアイゼンに言い訳を始めてしまい、フリーダは口を閉じた。慌てて言いつくろうような必要はなかったはずなのに。

 言葉を止めれば、鮮やかな情景が波を打つように脳裏に広がってゆく。


 開いた窓から柔らかな夏の風が入り込み、カーテンを揺らす。フリーダは夏が好きだった。夏になれば、年の離れた兄がシュトラール学院から帰ってくるから。

 穏やかな兄の隣に寄り添い、兄がめくる本を覗き込む時間は、フリーダにとって何よりも代え難い――


「どうした?」


 一瞬、思い出に浸ったフリーダはアイゼンに呼びかけられてはっとする。


 苦し紛れに微笑を浮かべる。

 動揺していたせいで、随分と思い出すことも無かった懐かしい記憶を掘り返してしまった。


「……兄が読んでいたのを見かけたことがあって。それで、少し覗いてみただけなの」

「へえ」

「兄とは六つも離れているから、それほど仲良くは無いのだけれど」

 話題を打ち切るようなフリーダの強い口調に、アイゼンは一度だけ瞬きをした。


「……へえ。それで、何か借りるのか?」

「そう、あちらの本棚に……手伝ってもらえるの?」

「動く脚立は使うに限る、だろ? 何処だ」

「ありがとう。こちらよ」

 アイゼンを伴い体の向きを変えて、足を止めた。

 少し離れた場所に、人だかりが出来ていたからだ。頬を桃色に染めた女生徒達が、中心の男子生徒――ヨシュカを取り囲んでいる。きっと今まで、アイゼンもあそこにいたのだろう。

 あの中に、フリーダに陰口を投げつけたことのある女生徒が、いるのかもしれないし、いないのかもしれない。

 そんなことよりも、フリーダはとあることが気になってヨシュカを凝視していた。


 見つめていたフリーダに気付いたのか、ヨシュカが視線を返してきた。大きく、形のよい手のひらでひらひらと手を振る。その両腕には、ナタリエにジュエリーと言わしめたように、女生徒をぶら下げていた。


「まぁ羨ましい……」


 陰口の相手や不誠実さよりも羨望が先に立ち、つい口からこぼれてしまった。

 ハッとして口元をそろえた指先で塞げば、アイゼンが意地の悪い顔で見下ろしている。


「お貸ししましょうか? レディ」

 フリーダは小さく唇を尖らせつつも、目の前に差し出された腕にそっと手を伸ばした。





 高い場所の本まで、アイゼンがいれば難なく手に入る。

 フリーダは彼の好意に甘えて連れ回していた。アイゼンはこれまで図書室にはあまり用がなかったらしく、物珍しそうにしている。


「おや、珍しい者がいるものだ」


 背に投げかけられた声の主に瞬時に気づいたフリーダは、ため息を誘うほど美しい所作で膝を折った。


 しかし自分の失態に気づくと、内心の焦りを感じさせないようゆっくりと腰を伸ばす。

 そして、さもはじめて、対等の生徒として顔を合わせたかのように微笑んだ。


「ごきげんよう」

 向き合う人は、一昨年の夏、デビュタントとして招待された王城で、頭を垂れた相手である。


 家長である父に絶対に忘れるなと厳命された声と顔を間近で拝見する機会が、学院には多く存在する。


「やぁクレヴィング。夏ぶりだな。君の学院での品行よく耳にする。私も見習わねばな」

 靡く髪は、遠い異国から取り寄せる檳榔樹びんろうじゅで染め上げたかのような漆黒だ。穏やかそうな表情は一見にして親しみやすそうだが、常に気品を忘れない。

 美しい顔に見合った声で挨拶され、フリーダは深々と下げそうになる頭を必死に持ちこたえた。


「まあご謙遜を。ですがシオン様にそのようにおっしゃっていただけ、とても光栄です」

 基本的に女生徒は男性を家名で呼ぶ――が、彼はこの学院で唯一、その限りではない。

 この国で名字を持たない家系はただひとつ――その無二の血筋を受け継ぐ王子に対して、フリーダはつとめて気安さを装った。

「ようシオン」

「そう。珍しいのはアイゼン、そなただ。このような所で顔を合わせようとは」

「へぇ、俺を探しに来たのかと思った」

「そなたを探していたのならば、図書室は最後に回しただろう」

 笑い合うシオンとアイゼンに親しみを見る。


 アイゼンが学院の生徒に一目置かれる要因として、同学年の王族と非常に親しい関係にある――ということも欠かせない。


 シオンはシュトラール学院の模範であるべく、分け隔てなく誰とでも親しく接する。しかし、誰にとってもそうであるように、本物の友情を築けるのは一握り。


 アイゼンの性格からしてみれば、シオンの身分を利用しない手はなさそうだが――フリーダが知る限りでは、シオンの威を借りたという噂は一度も聞いたことがない。


 契約相手として……また世間では恋人という名で括られているフリーダよりも、よほどアイゼンにとって対等な相手なのだと感じさせられる。


「そなたこそ探し回っていたのではないか、愛しい者を」


 シオンはフリーダの腰に巻かれたアイゼンの腕を見て、控えめな笑みを浮かべた。


「そうだ。羨ましいか」

「学院一の才媛と誉れ高いクレヴィング女史だ。羨やむなという方が無理な話」

 お世辞にいちいち反応していては身が持たない。微笑んでやり過ごしたいのに、生まれ持った貴族という性は捨てきれない。フリーダも多くの貴族と同じく、いくら学院の中とは言え、明らかな身分を無いものとしては扱えないのだ。

 火照った頬を隠すように、アイゼンの背に隠れる。


「おや。怯えられてしまったか」

「谷間に咲く白百合のような慎ましやかさだろ?」

「アイゼン」

 やめて、と背広を引っ張れば、シオンが軽やかに笑う。


「素顔を拝めるのはそなただけと。冥利に尽きるな、アイゼン」

「ああ、羨め。可愛いだろう」

「アイゼン」

 再びぐいと背広を引っ張る。


「白百合をひと目でも拝めたこと、アイゼンに感謝せねばな」

 国を見通すその瞳には、よほど仲睦まじく写ったのだろう。シオンの形のよい唇から笑い声が漏れている。


 フリーダは顔から火を噴きそうな思いで、そっと顔を伏せた。



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