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06:努力家で誠実な男


 シュトラール学院の敷地は広い。

 敷地内には男子が主に活動する男子棟や六つの寮舎が建ち並び、同じものが同じ数だけ女子にも存在する。共有施設を有する共有棟には、食堂や職員室、各授業の準備室や講堂などが設備されている。

 星を見るための展望台、剣を振るうための広場、スポーツのためのコート。もちろん、厩や馬場も調っている。


 当然、校庭も広かった。

 生徒達がスポーツに興じるためのコートや、憩いの場としても使える噴水や花壇を配置した公園のような場所。何処を見渡しても目にも豊かなように、移ろう四季にあわせた木々が整然と植えられている。

 美しく刈り取られた芝を遮るように敷き詰められた石畳は、休むこと無く生徒達のローファーと音楽を奏でる。


 生徒達はそれぞれ気に入りの場所で、知己を得、忍耐を学び、言葉の刃を研ぐ。

 噴水やベンチの設置されている場所や、花壇の近くは人気スポットだ。

 広大な校庭とはいえ、限られているそういった場は、よほど運がよくなければ先客がいる。

 そういった時にこそ、表だって権力という笠をかぶれない生徒達は、社交界に相応しい鷹揚な対応を学んでいく。


 しかし、やはりながら例外を適応される生徒もいる。


 学生の間は無礼講とはいえ、卒業すれば「校則」なんてものは意味を持たない。

 また、学生の間に買った不興や不信感が、卒業と同時に流れていくわけでも無い。


 シュトラール学院はレーヴェ国内で、一生といっても過言で無いほど付き合いのある社交界の縮図だ。「味方につけておきたい相手」というのは、当たり前のように存在する。つまり、それらが「例外を適応される生徒達」である。


 通学する世代さえ合えば、王族がまず挙げられる。

 次いで王族に近しい家系、古くから続く由緒正しい爵位を持つ家系、発言力のある爵位を持つ家系……言っていけばきりが無いが、その大半が上級階級――つまり貴族に分類された。


 その中において。

 これまで数多くの淑女を輩出してきたシュトラール学院でも、高嶺の花と名高いフリーダ・クレヴィングの膝で惰眠をむさぼるこの男――アイゼン・バーレは、特異とも言えた。





 ――ぱらり ぱらり


 本をめくる音がする。

 染まり始めた銀杏の木が、学院に秋を教えていた。


 つややかな真珠のようなフリーダの髪が、さらりと頬に流れた。無意識に耳にかける。そんな小さな仕草でさえ、周囲からため息を誘うほど美しい。


 読書をする彼女の膝の上には、上質なブランケットがかけられている。限られた産地で、限られた用法を守った材料で、限られた職人達が――と限られた尽くしで織られたそのブランケットは、質に見合うだけの値段がする。

 大人達のように贅を尽くした宝石やドレスで自らを飾り立てられない生徒達は、こういった身のまわりのもので、ちょっとした違いをつけるしかない。


 規則正しい模様が、細やかな目で織られたブランケット。自分の髪と同じ赤色の膝掛けをプレゼントした男は、今はその長い足をベンチの上に投げ出している。

 寝息が聞こえ初めて、もう随分とたつ。

 通常であれば順番を知らせるように、他の生徒がさり気なさを装ってベンチに近づいてくるものだ。というのに、彼が眠ってからベンチに近づいてくる生徒は一人もいなかった。まるで、アイゼンの眠りを守るかのように。


 これだけ長くいるのであれば、膝ではなく彼にかければよかったとブランケットを見て思う。そろそろ体が冷え始める頃合いだろうと、フリーダは膝の上で寝こけるアイゼンを起こすかどうか悩んでいた。


 長年悩まされていた発作は、近頃起きていない。

 毎日のように、アイゼンと過ごしているからだ。


 シュトラール学院は男女共学。

 とはいえ、片や武術や法律を学ぶ男子と、片や礼儀作法や神話を学ぶ女子では、授業体制は異なる。

 学び舎すら分かれている異性同士が同じ時間を過ごすには、互いの協力が必要不可欠なことは自明の理。

 二人が落ち合う場所は自然、テラスや校庭といった場所に落ち着く。


 秋口にさしかかったにも関わらず、フリーダ達は庭に出ることが多かった。

 デートする場所へはアイゼンがエスコートするためだ。


 今日のデートコースは花壇だった。一通り季節の花を楽しんだ後、彼はまるで人に見せびらかすように、ベンチに腰掛けるフリーダの膝に寝転がった。フリーダには好きなことをしていていいと残して。


 フリーダは約束さえ守ってもらえれば、アイゼンの好きなようにしてもらってかまわない。それに、彼に触れられるのは嬉しい。フリーダは彼の寝顔を眺め飽きると、そっと本を開いたのだった。

 

 二人の姿は、実情はどうであれ――周囲から見れば随分と仲睦まじいものに見えるだろう。


 これまで四年間、全く男を寄せ付けなかったフリーダのそばに、当たり前のように侍るアイゼン。

 二人のこの行動は、大半の生徒に戸惑いを産んでいた。


「あの、ごきげんようフリーダさん」


 アイゼンを起こそうか悩んでいたフリーダに、遠慮がちな声がかけられた。

 フリーダは本を閉じ、自らの横に置くと声のした方を振り返る。


「ごきげんよう」

 挨拶に続いて女生徒らの名を呼んだ。女生徒同士は身分にかかわらず、名前で呼び合う決まりだ。

フリーダに名前を覚えられていたことに感じ入ったように、二人は頬を赤らめた。

「私たち、フリーダさんに少々お聞きしたいことがあって……」

「どうなさったの?」

 女生徒は勇気を振り絞るかのように、互いに手を握り合う。


「アイゼン・バーレ様とお付き合いなさってるという噂は、本当ですの?」


 この状況で違うと言えば、それはもう「重病人のアイゼンを介抱している」くらいしか、言い訳が立たないだろう――そんなことをぼんやりと考えていたフリーダの膝の上から「そうだ」と声がした。


「付き合ってる」


 乱れた髪を整えるためか、前髪をかき上げながらアイゼンが返事をした。いつの間に起きていたのか。フリーダがパチパチと瞬きをしながら見下ろすと、勝ち気なアイゼンの瞳と視線がぶつかる。


「そうだろ?」

「ええ、もちろん。お付き合いしているわ」


 アイゼンの言葉に促され、フリーダは臆すること無く嘘――契約を口に出来た。

 女生徒達はきゃっと飛び上がるように悲鳴を上げると、上気した顔を隠しもせずに詰め寄ってくる。


「一体、どういった馴れ初めなんですの?」

「きっとバーレ様が、フリーダさんの心を奪うような、素晴らしいご活躍をなさったんでしょうね」

「私、バーレ様は少々怖い……いえ、近寄りがたいところがあると思っていたのですけれど……」

「ええ、そう。私もですわ」

「ねえ」

「そうよね」

「ですが、私は自分の短慮を恥ずかしく思いましたわ」

「それに本当は、私も羨ましく思ってたんですの。近いうちに、私もバーレ様に手鏡を用立てていただきたいわ」

「私は日記帳を」

「あらよろしいわね」

「でしょう。母の選ぶものは時代遅れで」

「わかりますわ。私ももう、花のモチーフには飽き飽きですの」

「ねえフリーダさん。私たちにも、あなたのように、見かけや身分ではなく、確かな男性を見極めるための秘訣を今度教えてくださらない?」

「そう、身分なんてお気になさらないでね。私たち応援していますわ」

「恋は障害があるからこそ燃えるものだって、リーゼロッテの新作で……」

「まあ、新作が? それはすぐに手に入れなくては……」


 きゃいきゃいきゃい。

 フリーダが口を挟む暇も無い。女生徒達は話したいことを話すと、そのまま話しながら離れていった。こういうことは珍しくも無いが、フリーダ自身は理解できない行動だ。

 浮かべた完璧な笑みで内心を隠しているが、あいにくと心の中はあっけにとられていた。狐につままれたような心地を味わいつつ女生徒達の後ろ姿を見送る。膝の上からかみ殺した笑い声が聞こえ、アイゼンがいることを思い出した。


「どうかして?」

 さぞや体が冷えているだろうと、起き上がったアイゼンにブランケットをかけようとするフリーダを、彼は口の端をあげるだけで制した。フリーダの手からブランケットを奪い、その華奢な肩にするりと羽織らせる。


「思った通りだ。あんたにこの色はよく似合う」

「不遜な人ね」

 ふふふと笑って、ブランケットと同じ色のアイゼンの髪を見つめる。


「――不釣り合いな二人を見たときに、人がまず思い浮かぶ感情を知ってるか?」


 目の前のフリーダではなく、どこか遠くを見つめるような表情のアイゼンに、小さく首を横に振る。


「どんな汚い手を使って、騙したのか。だ」


 今度は力強く、アイゼンはフリーダを見つめていた。


「誰かに、何かを言われているの?」

 同じ年の、自分よりよほど堂々としている彼を心配するのはお門違いかもしれないが、不安から尋ねた。


 下がった眉のフリーダに、アイゼンは余裕の笑みを向ける。


「いいや、さっぱり」


 ほっとした反面、ならなぜこういった話題になったのかわからずにフリーダは言葉の続きを待った。


「あぁ、言われてないこともないな。努力家で誠実な男、と噂され始めた。さっきのお嬢さん達のようにな」

 “悪魔の商人”から考えると、随分と毛色が違う評価だ。彼が誠実でない――とは思わないが、急に噂され始めるにはいささか不自然ではないかとフリーダは思う。


「フリーダ。あんたのおかげだよ」

「私の?」

「そう」

「教えてはくださらないの?」

「あんたとの取り引きが期待以上だった、ってことだ」


 アイゼンは語ろうとしなかった。フリーダは彼ほど人の機微に聡くない、が。


「このパフォーマンスと、なにか関係してるのね?」


 このくらいなら推測できる。


 繰り返される人前での触れ合いは、フリーダにとって必要なものではない。フリーダは適度に男性に触れてさえいれば、発作は起きることはないからだ。

 フリーダの症状のためには、人のいない場所でほんの少し手を握らせてもらう――その程度で十分だ。

 フリーダに必要ないのならば、アイゼンに必要なことなのだろう。

 アイゼンはそれを否定しない。


「やりたいようにやっていいのよ。口出しはしないわ」

「あんたみたいに頭のいい女は好きだ」

 ブランケット越しに肩を抱かれ、後ろ頭に顔を寄せられた。つむじに唇が触れるような感触に、魂が震える。


「褒美だ。足りるか?」

 その吐息でさえ、フリーダには過ぎたもの。


 フリーダは、この魅力に抗えない。

 彼にゆったりと抱きしめられ、夢見心地で力を抜いた。





 アイゼンが欲した、フリーダの武器。


 人はそれを、縁と呼んだり、信頼と呼んだりする。


 さほど強い影響力もない田舎貴族とはいえ、伯爵の娘と一介の商人の息子では住んでいる世界が違う。

 どれだけやり手の商人であっても、偉大な資本家であっても、貴族の目線では所詮成り上がりもの。そこに対等な席はなく、信頼を傾ける器もない。


 成功すればするだけ「どれだけ汚い手を使って成り上がったか」という話を求められるだけだ。


 しかし、高貴な血を受け継ぎ、多くの生徒から愛されるフリーダが信頼を寄せている……となれば話も変わってくる。


 彼女ほどの女性が、よこしまな男に騙されるはずがない。

 フリーダには、そう思わせる力があった。


 アイゼンは誰もに「努力の末、白百合を摘むことを許された男」と見られることに成功したのだ。


 これまでに築き上げてきた彼女の信頼が、アイゼンを「馬鹿な女を誑かした悪い男」という評価から遠ざける。





「まぁ。ベックほどのフリーダ・フリークは無理だけどな」

「ナタリエ?」

 友人の家名を耳にしたフリーダが、アイゼンの胸の中で身じろぎした。


「あんたも、何かあったら言ってこいよ」

「言うほどのことがあれば教えるわ」

 アイゼンが大声で笑った。


「努力家で、誠実な男は好きか?」

 口の端をあげたアイゼンに、フリーダが瞼を閉じる。


「大好きよ。私を抱きしめてくれるなら」


「望みのままに」


 アイゼンはフリーダの希望を叶えるために、強く彼女を抱きしめた。






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