05:ジュエリー
ナタリエににこにことしていたフリーダは、背後が騒がしくなったことに気づいた。きゃあきゃあと姦しい声がする。
そちらに顔をやれば、女生徒の集団が見えた。徒党を組むのは淑女として褒められたことでは無い。そう教育を受けているシュトラール学院の女生徒にあるまじき光景に、フリーダはぱちぱちと瞬いた。
「……げぇ」
踏み潰された蛙のような声が、隣からした。フリーダはナタリエを一瞬見つめると、再び集団の方に顔をやる。
女生徒は誰かを囲んでいるようだった。中心部分からぴょこんと、二つほど頭が出ている。女生徒との身長差的に、男子生徒だろう。
――あ。
と思ったときには、中心部にいた二人の男子生徒の内の一人と目が合っていた。
まるで誰かを探していたかのように顔を動かしていたその男子生徒は、フリーダを見つけると口角を上げ、整った顔立ちを緩めた。
「フリーダ!」
よく通る声が一直線にこちらまで伸びた。
彼らを囲んでいた女生徒達は、ぴたりとおしゃべりをやめる。
一様にアイゼンを見上げ、そしてアイゼンが見る方向――フリーダの座るベンチを見た。その表情は驚愕というに相応しく、皆美しくメイクで整えた顔を固まらせている。
女生徒達に断りを入れ、アイゼンは軽やかな足取りでフリーダの元にやってくる。
「何処にいるか探した」
「……ありがとう」
不敵な笑みの隙間に、愛情を覗かせる。まるで求めていたただ一人を見つけたとでも言うかのように。
間の抜けた返事になったが、語尾にはてなマークをつけなかっただけ褒めて欲しい。こういう時にどう返せばいいのか知らないフリーダは、ひとまずの笑顔を浮かべて頷いた。
「アアアアイゼン・バーレ! 本当に、本当に!? いやフリーダのことは信じてたけど……本当に!?」
かすれ声から、どんどんと涙声になっていくナタリエに、フリーダが正気を取り戻す。自分よりも周りが混乱していれば、冷静になりやすい。
「何の話をしてた? 俺の話か」
ベンチの背もたれに手をついたアイゼンが、こちらを覗き込む。
「自意識過剰!」
「だが正解だろ?」
「こんの……女の敵め!」
反論できなかったナタリエが、ぐぬぬと唇を噛み締める。
「敵? むしろ最大の味方だと思うけど。なぁ? フリーダ」
目を三角にして叫ぶナタリエに余裕の笑みで返すと、アイゼンはフリーダの髪を掬って唇を寄せる。
「ええ、アイゼン」
猫の子のように毛を逆立てるナタリエの隣で、フリーダはアイゼンを見つめ目尻を下げた。
その笑みに、ナタリエも、笑顔を向けられた当人であるアイゼンでさえしばし固まる。
「へぇ。あんまり信じてなかったけど……本当なんだ。アイゼンがあのフリーダ・クレヴィング嬢と付き合うようになったって」
アイゼンの後ろから、のんびりと一人の男子生徒が歩いてやってくる。
男子生徒の後ろには戸惑いを残した女生徒達がざわめいていたが、誰も彼のように渦中に近づいてくる勇気はないようであった。
「僕はヨシュカ・ペルシュマン。アイゼンのマブダチってところかな」
「悪友って言うのよ」
「ご紹介ありがとう、ナタリエ」
ナタリエとヨシュカは、すでに面識があるようだった。
彼は先ほどの集団の中心にいた、もう一人の男子生徒だ。女生徒達が群がるのも無理がないほど、人の目を惹き付ける魅力を持っていた。
アイゼンとヨシュカを取り囲んでいた女生徒達は戸惑いつつも、立ち去ってゆく。
「ヨシュカまで何の用よ」
顔をしかめたナタリエが、まるで盾にでもなるかのようにフリーダの腕に抱きついてくる。
この様子では、ヨシュカと親しくするのも厳しいことだろう。
「挨拶するのは初めてかな? よろしく。フリーダと呼んでも?」
美しい顔立ちと柔らかい物腰に反し、運動神経が抜群の彼は武道大会などでいつも優秀な成績を収めている。あまり男子に関心を払えないフリーダでさえ、顔と名前を知っている数少ない男子生徒の一人だ。
「よろしく。かまわないわ、ヨシュカ」
男子とこうした他愛のない会話をするのは、ずいぶんと久しぶりに感じた。出された手も、戸惑いつつも握り返せる。それは先ほどまでじっくりたっぷりと、アイゼンに抱きついてきた余裕からくるものだった。
「わお。本物の白百合の笑みだ。どうだい、アイゼン。全男子生徒の嫉妬の的となった感想は」
「悪くないな」
アイゼンとヨシュカ。
どちらもその特殊さと、端正な顔立ちで人目を引くため、生徒達の話題によく上った。
異性を意識せずにはいられない精悍なアイゼンを美丈夫と例えるのならば、どこか抽象的な印象を与えるヨシュカは舞台俳優のような美青年だった。
「明日、君が簀巻きになって池に浮かべられてないか探しに行ってやるよ」
「そりゃ助かる。花でも手向けてくれよ」
「白百合を?」
「花にしとけよ」
ぽんぽんと交わされる軽口に入る余地は無く、また入る気もない。
「それで、一体どうやって彼女の隣を射止めたんだい? 国でも献上した?」
「誠心誠意、愛を込めて口説いたのさ。なあ?」
共犯者の視線に、フリーダは口元に笑みを携えたまま、ゆっくりと頷いた。
「とても情熱的だったわ。腰が砕けてしまうほど」
「フフフフフリーダアア!?」
どういうことなの、どういうことなのおお!? とナタリエがフリーダの肩を揺さぶる。大きく揺られすぎて返事も出来ずにいるフリーダの頭を、ナタリエは抱え込む。
「フリーダへの愛なら負けないのに!」
「残念だったなあ。男に生まれなかったその身を嘆くといい」
「ぐぬぬぬ」
本気で悔しがっているナタリエを感じ、フリーダは感心していた。
アイゼンは、ナタリエやヨシュカの言葉に平然と対応している。大きな秘密を隠しているそぶりすら見せない上に、嘘はひとつも吐いていない。
「フリーダに限ってそんなことないって信じてるけど、万が一にでもフリーダを騙したり唆したり悪の道に陥れたりしたら、絶対許さないんだから!?」
「おいおい。俺たちは何だ、悪の秘密結社かなんかか」
呆れた顔をしてアイゼンがナタリエを見下ろす。
「だって、フリーダってばこう見えてちょっと、いやだいぶぼんやりしてるから心配なんだもんー!」
「確かにな」
そんなことないと思うけれど、と言おうとしたフリーダの言葉はアイゼンにかぶせられた。
顎に手をやりしたり顔で頷くアイゼンに、ナタリエがひときわ大きな悲鳴を上げる。フリーダのその特性を知っていると言うことは、目の前で見たと言うことに他ならない。
「悪魔の商人アイゼン・バーレにそんな弱点を見せるなんて、フリーダ!? もうちょっと用心しなきゃだめでしょ!?」
「まぁナタリエ。本人の前よ」
「君たちは恋人同士になったと聞いたけど、もしかして大道芸人のコンビを組んだ、の間違いだったかな?」
「言ってろ」
ヨシュカの軽口をあしらいつつ、アイゼンはフリーダの隣にドスンと腰掛けた。さり気なく腰に回されてた腕を見て、フリーダは心の内で賞賛した。本当に女性との距離の詰め方に慣れている。
「それ一人で食うのか?」
「いいえ、ナタリエの分も入っているのよ。お腹が空いていて?」
フリーダの膝の上を見ながら言ったアイゼンに告げながら、フリーダはナタリエに彼女の分の昼食を渡した。
「いや。さっき食ってきた」
と言いつつ、アイゼンはこちらをじっと見つめ続けている。
「欲しいの?」
「いいや」
「じゃあ、その雪も溶かしてしまいそうな熱い視線はよして」
マナーに不安は無いとは言え、口を開ける仕草を凝視されるのは少しばかり恥ずかしい。我関せず、ナタリエは隣でぱくついている。
アイゼンはフリーダを引き寄せると、彼女の銀色の髪に口付けを落とす。
「恋人が何を好きなのか、知りたいと思うのが当たり前だろ?」
フリーダはサンドウィッチを持ったまま固まった。
隣でナタリエが、口からポロリときゅうりを落とす。
「……そ、そういうのって、必要なの?」
簡単に親密な距離を作られたアイゼンに戸惑いを隠せず、フリーダはぎしゃくとして尋ねた。唖然としているナタリエに気づかれぬように、極々小さな声で。
「むしろ、必要ないとでも?」
腰を抱いた手とは反対の手でフリーダの髪を掴むと、指でもてあそびながらアイゼンは簡単に言ってのけた。
偽りの関係に口説き文句が必要なはずがない。
そう自信を持って囁いたはずなのに、問い返されるとフリーダは言葉に詰まってしまった。
返事に窮するほど、フリーダは男女の仲に疎い。
ずっと男性を避けてきたため、世間一般の女性よりもよほど知識は無いだろう。
反して、先ほどから幾度となく彼の手際には感心していた。男女交際においてアイゼンは、疑う事なき玄人である。
「ひ、つよ……うかも、しれないわ」
「勿論だ」
まるでこの世の道理を説くかのように、至極当然と頷かれる。
ふてぶてしいほど自信満々な態度は説得力に満ちていて、フリーダは納得せざるを得ない。
「近い」
低い声とともに、フリーダはアイゼンから引き剥がされた。
振り向くと、サンドウィッチを目一杯に頬張ったナタリエが、口をもごもごとさせながらアイゼンを睨み付けている。
「私の目が黒いうちは……うっんぐっ。フリーダに不埒な真似はさせないんだから!」
むしろ、不埒な真似を望んだのはフリーダである。
「ヨシュカも、気楽にアイゼン・バーレを煽っちゃ駄目だからね!」
「気楽じゃ無きゃいいんだ」
「いいわけあるかああ!!」
友人の真心にどう報えばいいか悩んでいたフリーダは、ナタリエが元気よく吠える存在に目を向けた。
「ヨシュカはナタリエと親しいの?」
「そりゃ、とびっきり」
真意を悟らせない笑みを浮かべるヨシュカに、ナタリエは呆れ顔だ。
「そこまでない」
「素直じゃないんだから」
「フリーダ、お願いだから勘違いしないでね。本当に、なんっでもない」
「あら、ヨシュカ。あなたナタリエになにかしたの?」
ずいぶんな嫌われようであるが、ヨシュカは気にならないようだ。
「ナタリエはこんなところがカワイイと思わない?」
「どうせ女はジュエリーぐらいにしか思ってないくせに」
ふて腐れたようなナタリエの言葉に、ヨシュカは肩をすくめた。
なるほど。フリーダはなんとなく二人の経緯が見えたような気がした。
ナタリエはフリーダに「馴れ初めを話してくれなかった」と怒ったが、ナタリエこそ、「ヨシュカが女をジュエリーだと思う訳」を話してくれていなかったようだ。
「私はバーレにもそういうところがあると思うから、心配してたの」
友人として紡げる精一杯の言葉でフリーダを案じてくれるナタリエに、フリーダはキュンと胸がときめいた。
「ははは!」
威勢を引っ込め眉を下げたナタリエを、静観していたアイゼンが笑った。
「逆だな。俺が、フリーダの、ジュエリーだ」
ナタリエはぽかんと口を開けると――次いで真っ赤に顔を染め上げた。
「フリーダを好色家扱いしないで!」
「してるのは俺じゃないだろ?」
どういうことだ、と噛み付こうとしたナタリエの動きが止まる。
アイゼンは「ジュエリー」と言っただけ。ゲスな勘ぐりをしたのはナタリエだ。
「――フ、フリーダァ。違うのよ、バーレを侍らしてるとか、そういうつもりで言ったんじゃ無くって!」
「わかってるわ。ナタリエ。……もう、アイゼン。いくら面白いからって、ナタリエで遊ぶのはやめて」
「ははは!」
悔しさからフリーダの背に顔を埋めたナタリエに、フリーダは優しく声を掛ける。
「心配しないで。それに私は、アイゼンの交友関係に口出しする気はないの」
ナタリエは顔を上げ、呆気にとられた表情を見せた。
フリーダにとってアイゼンとの関係は、互いの利益を共有するものであり、互いの不利益を発生させるものではない。彼が往来の生活を続けたいのなら続ければいい。
フリーダが求めた時に彼の――男の体に触らせてくれれば、それでいい。
アイゼンの取り巻きの一人になることぐらい、体を触らせてもらえるのならば、なんてことは無かった。
「私が彼の恋人に間違いは無いのだから。毅然としているべきよ。ねえ、アイゼン?」
とはいえ、恋人同士という主張は必要だろう。
ナタリエの頭を撫でる手を止めて、フリーダはアイゼンを振り返る。
「ああ。そうだな」
アイゼンは食えない笑みを浮かべて、フリーダに同意を示した。