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04:淑女の秘め事


「フリーダが、アアアアアアアアアアイゼン・バーレと付き合うことになったぁああ?!」

 堅牢な鉄柵で囲われた名門シュトラール学院の広大な庭に、一人の女生徒の絶叫が響き渡った。紳士淑女を目指す場としてはおよそ相応しくないその大声に眉をひそめる者もいたが、内容を耳にした多くの生徒はその場で固まることとなった。


 フリーダもその一人である。

 とはいえ、彼女が硬直した理由は、他の生徒と少しばかり違う。


 ルームメイトであり、フリーダにとって一番親しい友人でもあるナタリエの大音量の声で……鼓膜が破れたかと思ったからだ。


「ななな、なんで!? なんで授業の合間にトイレに……」

「お手水」

「お手水に行ってただけでそんなことになんのぉ?! めっちゃ慌てて渡り廊下から飛び出した時はびっくりしたけど、あぁフリーダでもそんなにギリギリになるまで我慢しちゃうことあるんだなあなんて微笑ましかったのに……って違う! なんで急にそんな話になってるかってこと! 今まで誰に告白されたって手に触れることさえ許さなかったじゃない!」


 それは、触れられれば抑えが効かなくなるからかもしれない――なんて、言えるはずもない。


 髪を振り乱さんばかりの勢いで、ナタリエは取り乱していた。

 落ち着かないのか、先ほどからあっちにうろうろ、こっちにうろうろとローファーの底を汚す作業に勤しんでいる。


 午前中の授業を終え、学院の生徒は各々の時間を過ごしていた。友人とボードゲームをしたり、図書室へ向かったりする生徒もいるが、大半の生徒は大食堂に赴く。

 フリーダは諸事情――男子生徒の姿を見たくないという個人的な事情から、いつもは混雑する大食堂を避けて利用していたが、今日からはその限りではない。

 フリーダは人混みが苦手だと思っているナタリエが「大丈夫なの?」と心配していたが、フリーダは笑みでそれに答えた。


 大食堂でサンドウィッチを受け取ると、手頃なベンチに座る。ベンチでフリーダが打ち明けた恋人の存在に、ナタリエは混乱しているのだった。


「ナタリエ、手に持ってるサンドウィッチが潰れちゃうわよ」

「ああっ本当だ……じゃないっ! ちょっと、ご飯なんて食べどころですか! 置いて! 膝! 膝に! 置いて!」

 まるで猟犬に命令するように、ナタリエはフリーダを指さした。フリーダはナタリエに従い、膝の包みの上にサンドウィッチを置く。


 恋人の存在と名前をフリーダはナタリエに伝えたが、勿論、自身の悪癖や取り引きの事などは明かしていない。


 アイゼンと触れあった後、あれほど疼いていた体はすっかりと鎮まり、心はすごく凪いでいた。彼に対する罪悪感は皆無化ではないが、それでも”取り引き”という形は、長年罪の意識に苛まれていたフリーダの心を軽くした。

 だからこそ、アイゼンとの約束を守る意味も含めて――フリーダはナタリエに早速報告したのだ。


「一体全体、何があったの!?」


「ふふふ」


 フリーダは微笑んだ。

 答えたくない時には、笑って流すに限る。


 それに、フリーダはどう答えていいのかわからなかった。

 アイゼンの認識とずれてしまえば齟齬が生まれるだろう。自分の生命線の話題でもある。綻ぶような事態は、出来る限り避けたかった。


 微笑んでばかりで答える気のないフリーダに気付いたナタリエが、臍を噛む。

「私、フリーダの特別な友達だって思ってたのに……っ!」

「あら、もちろんよ」

「えええ?! じゃあなんで教えてくれないの……っていうか、教えてくれなかったの!? あれやこれやの馴れ初め聞きたかったぁ~~!」

 馴れ初めもなにも。フリーダとて、アイゼンとまともに会話したのは今日が初めてである。


 ベンチに戻っていたナタリエは、駄々をこねる子供のようにじたばたと手足を動かした。先ほど手に持っていたサンドウィッチも、膝の上に置かれてある。じたばたする度に揺れるサンドウィッチを危惧し、フリーダは彼女の分も自分の膝に乗せた。


「っでも、アイゼン・バーレかあ……フリーダの恋人を悪くは言いたくないけど、うううう……よりによって ……」

 項垂れるナタリエにフリーダが首を傾げる。

「アイゼンがどうかしたの?」

「アイゼン! あのフリーダが! 男子を! 呼び捨てに! そりゃそっか……付き合ってるんだもんね……あ、毎度ショック受けちゃう……」

 胸を押さえてうずくまる真似をするナタリエを、フリーダはパチパチと瞬きして見つめる。フリーダにとっては予想もつかないことをやってのけるナタリエを、フリーダはとても気に入っている。


「そう! で!」

 池を泳ぐ小魚みたいに、ナタリエが跳ね上がった。

「アイゼン・バーレだよ! アイゼン・バーレ! 学生の身でありながら学生相手に商売してることも気に入らないし!」


 アイゼンはバーレ商会という、国内でも幅を利かせた貿易商の息子だ。

 食料、建材、果ては情報まで。運べるものはなんでも取り扱っているというバーレ商会は、貴族も一目置くほどだ。孤児院の寄付や慈善活動にも積極的で、フリーダが夏休みに参加したチャリティバザーなどにも、多く出資しているようだった。

 そんなアイゼンはナタリエが言ったように、学院に籍を置いている身分でありながら、教師陣から目こぼしされる程度の商売をしている。

 寄宿制の学院は、往々にして品物を手に入れにくい。そのため我慢に慣れない貴族達の癇癪を抑える程度の流通は、黙認されているのだ。


 アイゼンも教師に目をつけられないよう、学生の小遣いでまかなえる価格設定にしているため、イベントの前などは一風変わったプレゼントを用意したい生徒達に大人気と評判だった。


「一番気に入らないのは、女をちぎっては投げ、ちぎっては投げしてることよ!」

「アイゼンが? ちぎって投げるの? ……人を?」

 まさか“悪魔の商人”とはそこからきているのか、と言葉の物騒さに慄いたフリーダに、ナタリエは叫んだ。

「んもう! 違う! そういう意味と違う! 節操がない、ってこと!」

「まあ。ひと文字もかすってないじゃない」

「いいからお聞き! 私の友達、何人あの男にいいように弄ばれたか! ちょっといい顔してると思って! 女はみんな自分の味方だなんて思ってるところも気にくわない!」


 肺の底から絞り出したようなナタリエの声を聞き、フリーダは瞬きをした。

 彼女がこれほどアイゼンを毛嫌いしているとは知らなかった。


「アイゼンは女性に慣れているの?」


 アイゼンにまつわる噂は、商売に関するものが多かった。例えば、アイゼンの不興を買った生徒が、自らのありのままの品行を学院にリークされ休学処分になっただとか。その逆に、アイゼンに気に入られた生徒が危うい足場を持ち直しただとか――。


 身分の垣根無くという建前が存在する以上、爵位や権力は学院の、そして友情の間に挟まってはいけない。


 けれど、純然たる”力”は、どこにいても、誰であっても、殴ることも出来れば守ることも出来るのだ。


 ――余談だが。助かった生徒の話は、バーレ商会の顧客としてイベント毎にプレゼントを購入しているという後日談がつく。もちろん、アイゼンが学院で取り扱っている値段とは、比較にならない。

 アイゼンには仲介料として商会からマージンが入り、友情も手に入れられる。


 そんなわけだから、アイゼンは“悪魔の商人”として、学生達に慕われつつも一目置かれている――そんな噂ばかりを耳にしていたため、元々噂に疎いフリーダの元には、彼の女性との交友関係までは届いていなかったようだ。

 

「慣れてるなんてもんじゃないよ~! アイゼン・バーレを見かけたら、いっつも周りにうじゃうじゃ女がいるでしょ??」

 男子を見つめていると発作ムラムラが出るため、フリーダは男子を努めてみないようにしていた。なるべく男子生徒がいるような場所には近寄らず、万が一目に入っても視線逸らすか、薄目になるか。共用施設も、必要最低限しか近寄らない。

 とはいえ、そんなフリーダでさえ数度紹介されたことがあるのだから、やはりそれなりに女性との距離が近い男だったのだろう。


「ならそちらのほうが安心だわ」


 女性に慣れているからこそ、あれほどすんなりと自分がまとわりつくことを許可してくれたのだろう。それに、かたちだけとは言え、フリーダは男女交際が初めてである。手綱を任せられるというのは、彼女に安心を生んだ。


「なんの!? なんの安心!? 慣れてる男の方が安心だなんて、フリーダ! そんなことあなたが言っちゃ駄目!」

 元々くりくりとしたナタリエの大きな目が、これ以上無いほど見開かれている。

 彼女たちの背後の茂みでフリーダの爆弾発言に狼狽えた生徒達も大勢いたのだが、彼らはその優秀さから、決して口を開くような真似をしなかったために、フリーダ達に感づかれずにすんだ。


 昼間に幽霊を見たかのような顔をしたナタリエを、フリーダはにこにこと見守った。

 もちろん、ナタリエの言っている意味は半分もわかっていない……が、自ら無知をひけらかす趣味はない。


「フリーダが付き合うって決めたんだから、私が思ってるほど悪い男じゃなかったんだと思うけど……いやでもやっぱ、心配! フリーダ。アイゼンは金の亡者だよ。絶対に、書面上で会話しちゃだめだからね! 特に判! 判だけは絶対押しちゃ駄目! 言質取られて、あるもの無いもの全部搾り取られちゃうよ!」


 フリーダは微笑んで聞いていた。

 ナタリエがしてはいけないということを、今さっきやってきたばかりであったからだ。


 捺印なんて仰々しいとは思いつつも、自らの秘密の保持も条件に入っていた為、その場でアイゼンが書いた書面に言われるがままに拇印を押していた。

 そんなものを携帯している彼を訝しむどころか、頼もしさすら感じていたフリーダは、アイゼンに酔ってしまっているのかもしれない。


「もしアイゼンに悲しいことされたら、絶対教えてよ。パパに頼んで干物になるまで搾り取ってやるから!!」


 弁護士の娘であるナタリエが、握り拳を握って唸った。

 フリーダは笑みを深めて頷く。彼女の優しさが嬉しい半面、無用な心配をさせて心苦しくなる。

 ――が、それ以上に、一人で楽しそうに騒いでいるナタリエが可愛かった。






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