31:淑女の仮面と紳士の装い
――……興味だって、すぐに冷めるに決まってます。
小さなつぶやき。きっとフリーダに聞かせるつもりの無いものだったのだろう。
だからこそ、あれが紛れもないディアナの本心だとフリーダは考える。
シオンの話題だったのだ。矛先はシオンで間違い無いはず。
そして、迷惑だといいつつも、さみしげに呟かれた言葉……
「……ふぅ」
物憂げな吐息を漏らす。
渡り廊下に立ちすくむフリーダの視線の先には、シオンとディアナがいた。
学友の枠をはみ出ない距離で、二人で校庭を歩いている。
ディアナとシオンを中心とした事態は、ある日を境に急速に落ち着きを見せた。
学生間で収めることが無理と悟ったのか、それまで傍観していた学院が動いたのだ。
ディアナは一人の女生徒として約束された権利と義務の元、穏やかな学院生活を送れている。
茂みの奥で見せたシオンへの苛烈なほどの情熱は、きっと嘘ではなかったのだろう。
ディアナの複雑な心全てを覗けるわけではない。けれどフリーダは、あの時彼女がこぼした本音を知っている。
シオンと会話をするトーンは、学友のものだ。けれど彼の視線が外れた後も、彼女は数秒シオンを見つめたままだった。
気にかけて観察していなければ、きっとわからない程度の差。
彼女自身も自覚しているかどうかわからないほどの、蕾。
微笑ましさと同時に、猛烈な寂しさを覚えた。
アイゼンは、フリーダよりもずっと他人の機微に聡い。
あんな場面を見てしまえば、ディアナの心が何処にあるかなんてすぐにわかってしまうだろう。
そんな彼に、こんな場面を見せたくない。
眉根を寄せて、眩しいものを見るかのようにフリーダは二人を見つめた。
アイゼンにとってディアナは、大切な人に違いないのだから……そう思い当たったところで、フリーダの血の気が引いた。
「大切な……人?」
契約をしてすぐの頃に伝えた言葉を、思い出したのだ。
――あなたにもし、大切な人が出来たら、私はいつでも身を引くわ。
そうだ、そんな簡単なことすらわかっていなかった。
恋に浮かれ、彼のことを第一に考える気持ちが薄れてしまっていたことに、フリーダはようやく気付いた。
自分はすでに、彼の恋路にとって邪魔者に成り下がっているのだと。
「フリーダ!」
泣きそうな顔をしてシオンとディアナを見つめていると、大きな声が渡り廊下に響いた。
びくりと体を震わせ、声のした方を見て――目を見開く。
大股でこちらに歩いてくるアイゼンの顔が、見たこともないような怒りに染まっていた。
足が竦んで動けなかった。
アイゼンの後ろから、フリーダを呼び止めたヨシュカが走ってこちらにやってくる。
「ヨシュカ、どうし……」
「逃げて!」
逃げる?
誰から? まさか……アイゼンから?
呆気にとられたフリーダの腕を、ヨシュカよりも先に辿り着いたアイゼンが取る。
「今、いいな?」
有無を言わさぬ言い方だった。
フリーダをいつも尊重してくれていたアイゼンらしくない物言いだった。
気迫に圧倒され、フリーダは思わず頷いてしまう。
「フリーダ! 近くにいるから、何かあったら絶対呼んで!」
諦めずにフリーダに声をかけるヨシュカに、アイゼンが怒りをぶつけた。
「うるせえっ! すっ込んでろ!」
びくりと体が震えた。驚いて、声すらでない。
こんなアイゼンを見たことが無かった。
アイゼンは不敵な笑みや皮肉な口調を好むものの、周囲にいつも気を配っていた。人の先を読み、求めていることを与え、ジョークを交えて会話に加わる。
紳士然としていて――誰に対しても余裕があった。誰かを怒鳴りつけるなんて、想像したことすらなかった。
「引っ込んでてやるから、少しは落ち着けよ! 怖がってるだろ!」
ヨシュカは引かなかった。まるでアイゼンの粗野な態度に慣れているかのように。
ヨシュカに言われて初めて気付いたかのように、アイゼンはフリーダを見下ろした。
「……チッ」
そして、目が零れそうなほど見開いて固まってしまっているフリーダを見て、アイゼンは舌打ちをした。
舌打ち?
初めて聞いた。
初めてばかりだ。
彼はいつも優しくて、頼りになって、フリーダの味方で……なのに、何故急に――
ああそうだ。
思い当たった結論に絶望する。体中の力が抜けた。
急に変わったことなんて……ディアナが来たことぐらいだ。
渡り廊下の向こうを見る。
そこにはもういない二人を脳裏に描いた。
先ほどの光景を、彼も見たのだろうか。
仲睦まじく歩くディアナとシオンを。
「こっちだ」
唖然とするフリーダを引っ張って、アイゼンは廊下を歩く。フリーダも腕を引かれるままに彼について行った。




