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29:特別の外


 アイゼンの周りには、いつもたくさんの生徒がいる。女生徒であったり、男子生徒であったり。フリーダが彼を見かけるときは共学スペースなので、女生徒が取り囲んでいることが多かった。


 契約を結ぶ前の彼を、フリーダは知らない。

 ただ、彼はフリーダと恋人関係をとったからといって、交友関係を狭めることはなかったようだ。それはフリーダが初めに許可したことでもあるため、否やは無い。

 フリーダほど親密な距離を作る女生徒はいないが、傍目に見ると親しい仲なのだと誤解されそうな女生徒はいる。また、フリーダへ嫉妬を向け嫌がらせをする者も、いない者として扱う者もいた。


 アイゼンへの恋心を自覚してからも、そんな彼女たちに妬くことはなかった。


 彼にとって女生徒は一律、“ツテ”を作るためのツールだ。


 アイゼンがフリーダや他の女生徒と仲良くするのは、得意先になりそうな出自の娘だから。将来のための地盤づくり。繋ぎ。


 じゃあ、


「林檎、ついに一週間目に突入か」

「明日の試験を通って、無事に外してやりますよっ!」


 ディアナは?


 ディアナはあなたに、何を与えられるの?


 あの日二人を引き合わせて以来、アイゼンとディアナは親しく会話するようになっていた。

 格式張ったシュトラール学院に萎縮していたディアナは、ざっくばらんなアイゼンに安心するのだろう。最初に会った頃とは見違えるほど、親しみが混じった表情をよく浮かべた。

 アイゼンもあの時ほど柔らかい表情では無いものの、ディアナを気に入っているのがよくわかる態度で接する。


「林檎がしなびる前に頼むな」

「多少しなびたところで美味しいのには変わりません」

「……食うのか」

「そりゃ食べますよ」


 ――じゃあ知っておいて欲しい。頑張り屋な、白百合の蕾だって。


 二人の仲睦まじい様子を見ながら、兄の婚約披露の席で聞いた言葉を思い出して、一人笑う。


 あの頃、アイゼンはディアナと知り合ってすらいなかった。

 頑張り屋――の部分は否定できないが、白百合の蕾とディアナをつなげる要素はあの頃には何もなかったはずだ。

 なのに、そんな小さな接点でさえ怖々と覗いてしまうほど、フリーダはディアナを意識している。


「フリーダ。あんたはどう思う?」

「……どうなさったの?」

 咄嗟に笑顔を貼り付けるのも、慣れたものだ。ディアナがアイゼンからかばうように、頭の上の林檎を隠す。


「助けてください、フリーダさん! アイゼンさんが私の林檎を!」

「だから、俺は食わねえって言ってんだろ」

 話を聞け、とアイゼンが人差し指でディアナの額をぐりぐりと押す。「ぎゃっ!」とディアナが飛び跳ねた拍子に、林檎がまたポトリと落ちる。


「やめてくださいよ! これ以上林檎が傷んだら恨みますから!」

「その時は箱で贈ってやるさ。なあ、フリーダ」

 フリーダはふふふと微笑んだ。


 フリーダがこうしてアイゼンと他愛ない会話が出来ているのは、契約しているからだ。


 この契約が無ければそもそも彼とこれほど深く知り合うことは無かっただろうし、そばにいることを互いに選ぶことはなかっただろう。

 契約があるからこそ彼と知り合い、契約があるからこそ、彼の周りのオトモダチとも上手く付き合っていけると思っていた。


 特別だと思っていた。


 多くのオトモダチの中で、フリーダは彼にとって特別なツテだと思っていた。

 現に彼は、フリーダの心を震わせるほどの心遣いをくれた。心配も励ましも、心からのものだっただろう。


 だけど……それだけ。


 思い上がりを突きつけられるのは、酷く辛い。


 同じなのだ。彼にとって、オトモダチもフリーダも。

 彼の決めた範囲にしか、入ることを許されない。


 あれほど自らを完璧に装える彼が、思わず笑みをこぼしてしまう彼女以外は――




***




 兄に見返りを、求めたことはなかった。


 自分から離れていってしまうことに寂しさを覚えたが……今思えばきっと、それだけだったのだ。


 ――大丈夫だと思った。気持ちを隠すことは、得意だからと。今度の恋も隠し通せると思っていた。

 けれど思えば、アイゼンはフリーダのただ一つの仕草で見抜いた。


 ただ上手く笑えない、というだけで。


 これ以上はきっと、気付かれてしまうだろう。

 すでにもう、上手く笑えている自信がない。


 気づいたら、アイゼンはどうするだろう?

 互いに感情がいらないと始めたこの契約は?


 どうしよう。

 ……どうしよう、アイゼン。


 こちらを見て欲しい、彼女を見ないで欲しい、自分だけのものでいて欲しい。

 アイゼンにも同じほど――


 求めて欲しい。





 屈託なく笑うディアナに笑みを返すアイゼンを見ていられなくて、彼に会いたくないとまで思うようになっていた。


 せっかく会っても周りを意識して、ろくに会話も出来ない始末。

 勘のいいアイゼンが、何も気付いていないはずが無い。それなのに、彼は何も言ってくることはなかった。それがどういう意味なのか、フリーダは考えたくなくて己の思考に蓋をする。


 満足に会話も出来ない日中のことも忘れ、夜はアイゼンに会いたくて仕方が無かった。夜明けを恐れない代わりに、夜が長かった。布団に入っても眠れない日々が続く。なにも出来ない布団の中では、彼のことが頭から離れない。


 触れたいというよりも、触れて欲しかった。あの腕に抱かれて、求められたかった。どんなことだって、今なら笑って話し合える気がした。今すぐ彼に会いに行って、ここ数日の挙動不審さを懺悔したいと思った。


「また上の空か?」


 はっとしてフリーダは顔を上げる。フリーダの腰を抱いているアイゼンは、神妙な顔つきでフリーダを見下ろしていた。

 最近よく見せる、何かを探るような、目。


「ごめんなさい、ちょっと……ぼうとしてて……」

 頼りない声を出したフリーダを、アイゼンが抱き寄せた。


「……最近多すぎる。体が辛いのか?」

 誰にも聞きとがめられないほど、小さな声。

 純粋にフリーダの調子を憂うだけの、優しい声。


 体が痺れて言うことを聞かない。彼の匂い、彼の仕草、彼の姿形。すべてが目頭を熱くする。


「会う時間を増やすか?」

 手のひらに、自然と指先が触れてきた。少しでも素肌の接着面を多くしようとしてくれているのだろう。ぬくもりに喜びが滲む。

 しかし、フリーダは緩くかぶりを振った。彼の親切だとわかっているのに、視線さえ合わせられずにいた。


 眠れない日々は、彼への恋情を募らせた。


 あの日見た彼の心からの笑顔を、心でリフレインさせてしまう。

 何度も、何度も、何度も――フリーダの心の中で、彼女に向けたことのない笑顔を、アイゼンはディアナに向け続けるのだ。


「大丈夫。少し考え事をしていただけだから」

「……考え事、ね」


 冷たい口調でそう言うと、アイゼンがパッと手を離した。離れたぬくもりに寂しくなるなんて、図々しさも度を過ぎている。


「アイゼーン」

 廊下の向こうで手を振るヨシュカが見えた。アイゼンは一つ息を吐いてフリーダの頭をぽんぽんと叩く。


「――悪かった。じゃあ、もう行くな」


 自分をジュエリーだなんて勘違いさせた、悪い男が別れを告げる。

 自分を弱く見せて、驕らせて、いい気分にさせて。

 本当はいつだって主導権は自分が持っていたくせに……。


 浅ましい考えを振り切るように、微かに笑む。

 まだ、まだ笑えているはずだ。


「ええ、また」


 フリーダは笑みを繕った。

 完璧な、淑女の笑みを。







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