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28:完璧なボーイフレンド


 ご機嫌な様子で、アイゼンがフリーダの隣を歩いている。

 まだ名残を見せる冬の風を遮るように、首元には模様の編み込まれた緑色のマフラーが巻かれてある。

 フリーダが彼の首に贈ってから、すでに半月は立つ。ほぼ毎日彼の首元を飾っているというのに、汚れ一つ見当たらない。丁寧に扱ってくれていることが伝わってくる度に、フリーダは言い知れぬ喜びに支配された。


「そういえば。最近、三年の面倒を見てるって?」

 話題を振られ、頷いた。

「ええ、ディアナと言って編入生なの――知っていたかしら?」

「あんたより、世情には明るいつもりだな」

 最近までフリーダがディアナをよく知らなかったことまで、バレバレらしい。

「もしかして、有名だった?」

「編入生は物珍しいからな。話題には上るさ」


 言われてみればその通りだ。今年になって初めて生まれた学院生活の変化に、どうやらフリーダは自分が思っているよりもずっと対応しきれていなかったようだ。


 ディアナはあれから更に精進しているようで、最近では同学年の生徒達と廊下を歩いている姿も見かけた。笑顔も格段に増えている。

 彼女を侮る層はまだまだ根強いようだが、友人を勝ち得れば学生生活はうんと変わる。このまま彼女が学院に慣れ、楽しんでくれることをフリーダは願った。


「噂をすればだな」

 アイゼンが足を止めた。

 彼の腕を掴んでいたフリーダも、同じく足を止める。


 離れた場所に、ディアナがいた。友人らと雑談しながらこちらに歩いてくる。


「ふふ、ディアナったら」

 堪えきれなかった笑いをフリーダが漏らした。肩を揺らして笑ってしまう。


 ディアナの明るい橙色の頭の上に、なんと林檎が一つ載っていた。

 バランスよく載せられたそれは、ディアナの頭の上になんとか鎮座している。


「ふふっ、見てほら……林檎なんて載せて……」

 アイゼンの腕をぐいと引き、フリーダは甘えたように身を寄せる。

 崩れた相好のままアイゼンを見上げて、笑みを深める。


「ね、可愛いでしょう?」


「ああ、可愛いな」


 耳慣れないアイゼンの真面目な声に驚いて、フリーダは瞼を開いた。呆気にとられた視線の先では、痛いほど一途な顔つきをしたアイゼンがこちらを見下ろしていた。


 最近では、意識しすぎてろくに触れなかったアイゼンの腕を、勢いよく離す。


「ディアナ、みなさん。ごきげんよう」

 混乱しているフリーダは、アイゼンから離れたいのを誤魔化すために、ディアナの元へ向かう。アイゼンが、フリーダに気付かれぬように小さなため息をこぼす。


「あ! ごきげんよう、フリーダさん!」

 ディアナと女生徒達が、笑顔でフリーダに挨拶を交わす。

 その拍子に林檎が落ちそうになったディアナが、慌てて手で受け止めた。


「可愛いことをしているのね」

「シスターからの厳命で、三日間はこのまま生活しろって……」

 きっと、彼女専用の礼儀作法の特訓メニューなのだろう。「先に行ってるわね」と去る友人らに手を振りつつ、ディアナがフリーダに答える。


「まあ。非常食では無いの?」

「私をリスかなにかだと思ってません? リスだって、こんなすぐ天敵に取られちゃうような場所に蓄えを置いておくほど、バカじゃ無いとは思いますけど」

 ふて腐れたようなディアナに、フリーダはくすくすと笑う。そして頭の代わりに、そっと頬を撫でた。


「可愛いディアナ。さぁ、挨拶をしてちょうだい」

 ディアナは頬を引きつらせた後、気合いを入れるように眉をきりりと上げた。


「はい、フリーダさん」


 そしてフリーダに従い、スカートの裾をディアナは持った。深呼吸してゆっくりと腰を落とした彼女は……見事に林檎も落とした。


「ああーっ!」

「ふふふ」

 転がった林檎に向けて叫ぶディアナを、口元に手を当ててフリーダは見つめる。


「三日間で出来るようになるかしら」

「そう言うフリーダさんは出来るんですか」

 ギロリと睨むディアナに笑みを返して林檎を拾うと、フリーダは自らの頭に載せた。

 そして、優雅に腰を落とす。林檎は落ちなかった。


「ごきげんよう、ディアナさん」

「……はい、フリーダさん」

 忌ま忌ましい、悔しい。と顔中に書き散らしたディアナに、フリーダは再び笑みが浮かんでくる。


「楽しそうだな」

「ええ、とっても可愛いの」

 背後からかけられた声に、今度は何故か「可愛いでしょう?」と聞くことが出来なかった。


 近づいてきたアイゼンを振り返る。アイゼンがフリーダの上に乗っていた林檎を奪った。

 ディアナはぽかんとアイゼンを見つめている。


「ディアナ。彼はアイゼン・バーレ……私がお付き合いをしている方よ」


「えっ! こんな人相悪い人とですか!?」


 ディアナはアイゼンとフリーダを交互に見渡すと、はっと口元を抑えた。思わず叫んでしまったらしい彼女を、フリーダとアイゼンがぽかんとして見つめている。

 二人の表情を見て、ディアナはどんどんと血の気を失っていく。


「し、失礼しました……私、ディアナ・トラレ……」

「はっはっは!」

 アイゼンの笑い声がディアナの自己紹介を遮った。ご丁寧に背まで曲げて笑っている。フリーダもアイゼンの笑い声で正気に戻り、両手に顔を埋めて笑いを堪えていた。淑女にあるまじき大笑いをしそうだったのだ。


「ごめんなさいディアナ……そんなにはっきり、人相が……悪いなんて聞いたのは……初めてで……」

 謝ろうと思って口を開いたのに、まだ少し早かったようだ。堪えられなかった笑いが言葉の隅々に挟まれる。


「あんたは、またフリーダ・フリークを作ったのか」

「これ以上笑わせないでちょうだい」

 からかうアイゼンをフリーダが窘める。


「アイゼン・バーレだ。フリーダの側をうろちょろするなら、また会うこともあるだろ」

 手に握っていた林檎をディアナの頭に載せながら、アイゼンが自己紹介をする。

「……どうも。バーレ様、お世話になります」

 林檎を不承不承頭で受け取ったディアナは、再びすってんころりんさせないように目礼を返す。


「いつもフリーダさんにはお世話になってます」

「そうみたいだな。フリーダは優しいだろ」

「はい、とても」

「それに可愛い」

「綺麗で、とても頼りになる先輩です」

「二人とも、これ以上そんな会話を続けるなら、私はもう行くわよ」

 微笑んだままフリーダが言えば、「な。こんなところも可愛い」とアイゼンがディアナを見下ろして更に自慢をし始める。


「アイゼン」


「まあしかし訛りが抜けきってないな。南部からか」


 窘めるフリーダから視線を逸らし、アイゼンがしれっと話題を変えた。ディアナは驚き、どもりつつも答える。


「え、あ。はい。ザトゥルン地方出身なんです」

「養蚕の?」

「そうです! よくご存じですね。都会に出たのも初めてで、言葉も練習中なんです」

「へえ――頑張れよ」

 その声があまりに優しくて、フリーダは咄嗟にアイゼンを振り返って――固まった。


 アイゼンの顔に、笑顔が広がっていた。


 よく笑う男だ。彼の笑顔なんて、見慣れていると思っていた。

 けれど、今までフリーダが見てきたどんな笑顔ともそれは違った。


 柔らかく、慈しむような優しい笑顔だった。


「あそこの絹糸は――」

「お詳しいんですね、そうなんですよ――」


 あまりにも唖然としてしまい、ディアナとアイゼンの会話が全く頭に入ってこなかった。

 誰にも足を掬われないように、常に気を張り詰めているアイゼン。常に強く、たくましく、頼りになるアイゼン。


 ――はっはっは!


 思えば先ほどの大笑いも、初めて聞いた。


 彼の柔らかい場所に、すんなりと入れたディアナ。彼の柔らかい場所をすんなりと撫でられたディアナ。


 目の前がまっ暗に染まる。


 あまりのことに眩暈がしそうだった。


「フリーダ」

「フリーダさん?」


 はっとして顔を上げた。

 いつの間にか、二人が仲良くフリーダを見つめていた。


「……ごめんなさい、少しぼうとしていたみたいだわ」


 心のざわめきを押しのけて、なんとか貼り付けた淑女の仮面。声はぶれることなく紡げた。


「またか。最近多いな」

 そういうアイゼンの顔には、もうあの笑みは広がっていない。


 アイゼンはいつも完璧だった。フリーダの前でへまをすることも、憤ることもない。

 彼は貴族の娘が傍に置きたがる、完璧なボーイフレンドジュエリーを演じていた。


 そう、だって――


「大丈夫よ、心配しないで」

 笑みの中に、感情を押し込めて笑う。


 だって、フリーダと彼は、本物の恋人じゃない。


 これは、契約なのだから。






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