表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/34

25:嵐を呼ぶ編入生


 灰色の空と積もった雪が、視野いっぱいに広がる。

 ほうと吐く息さえ白く、研ぎ澄まされた冷たい空気が身に染みた。


 学院指定のガウンに身を包み、フリーダは廊下を歩く。授業の休憩時間に教師に呼び出され、他の授業の準備を手伝わされていたのだ。こうした雑用や教師の頼み事を、嫌な顔ひとつせずこなすことによって、フリーダの信頼は培われている。


 とは言え、そろそろ急がなければ次の授業に遅れるだろう。

 早足になったフリーダの背後から、カッカッカッカッカッという、馬の蹄のような足音が響いてきた。


「廊下を走っているのは誰です!」

 上級生の鋭い声が飛んでくる。フリーダの背後から聞こえてきていた、けたたましい足音が、ピタリと止んだ。


「この歴史あるシュトラール学院の廊下を、スカートを翻しながら走るなんて……!」

 上級生の甲高い悲鳴に、フリーダは心の中で深々と頭を下げた。

 その点については、フリーダにも覚えがある。アイゼンと出会う前はムラムラする度……いや、男子生徒を見る度に、人目を忍んで走ったものだ。


「すみません、でも授業に遅れそうで……」

 聞こえてくる声は少女のものだった。口調は丁寧だが、不満な色は隠そうともしない。

 上級生に口答えするとは、随分と命知らずな真似をする。

 フリーダはそっと振り返り、ことの成り行きを見守る。


「休憩時間は十分あるはずでしょう。自分の怠慢のせいで規律を乱すことは許せません」

「私だけ移動教室を教えてもらえなかったんです!」


 憤懣遣る方無し。といった声が冬空に響く。

 茶髪と言うには明るすぎる夕焼け色の少女の髪は、肩の辺りで揃えられている。橙色の髪にどこか見覚えを感じた。意志の強そうな瞳が、真っ直ぐに注意を促してきた上級生を射止めている。


「こんなしょうもないこと、歴史あるシュトラール学院の生徒のやることなんですか?」

「なっ……」

 あけすけな物言いに、上級生が閉口する。

 見守っていたフリーダはそっと近づいた。


「ごきげんよう」

「フリーダさん……ごきげんよう」

 上級生は味方を見つけたかのようにほっとした表情を浮かべる。反対に、茜色の髪の毛の女生徒は、絶体絶命のピンチに陥ったと判断したようだ。唇を噛み締め、眉をつり上げてフリーダを見つめた。


「ごきげんよう。あなた、教室はどちらまで?」

 フリーダは穏やかな声で少女に話しかけた。その態度に拍子抜けしたのか、少女はぱちぱちと瞬きをする。


「第二、講義室です……」

「挨拶もせずに、何事ですか!」

 上級生の叱責で渋々少女は腰を折ったが、お世辞にも上品とは言えない礼だった。


「私もそちらに用があります。上級生として、シュトラール学院の心構えを道すがら説きましょう」

 清楚に微笑んだフリーダに、少女は頬を引きつらせた。

 上級生は安堵して頷く。


「フリーダさんなら間違いありませんね……私では手に負えないようです。後は任せましたよ、ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 上級生と別れの挨拶を済ませると、フリーダは少女に向き直る。


「私はフリーダ・クレヴィング。五年生よ」

「……ディアナ・トラレスと言います。三年生です」

「ディアナさん?」

 三年生なら、ほとんどの生徒の顔と名前が一致するはずだが、彼女には見覚えもあまりなかった。雰囲気から、もっと下だと思っていたフリーダは驚いた。


「今年から編入してきました」

 そうだ。思い出した。彼女の姿を、フリーダは以前にも一度見ていたのだった。以前見た時も彼女は走っていて、そしてやはり印象的な髪に目がとまった。


 フリーダはディアナを見て驚いた。

 編入生は珍しいことではないが、その多くが貴族の子女であるからだ。


 先ほど見ていた、あけすけなしゃべり方と、不躾な視線。

 身につけているものや言動から見ても、どれだけ開放的な家で育ったにしろ、貴族の娘という線は薄そうだ。

 であれば、成績優秀者――奨学生と言うことになる。


「そうですか……シュトラール学院は規律も不文律も多く、慣れるのに難儀されるでしょうけど、どうぞ頑張ってね」

 ふわりと微笑んだフリーダがこれで会話を打ち切ろうとしていることに気付いたのだろう。ディアナは呆気にとられた顔をした。

「……あの、注意は?」

「では……ひとつだけ。上級生には、はい、以外は許されないわ」

「今もですか」

 フリーダは微笑んだ。

 ディアナは顎を引いて腰を落とす。


「はい、フリーダさん」


「よく出来ました。……これさえ出来れば、ある程度は上手くいきます」


 いらっしゃい、とディアナを手招きしたフリーダは、彼女の襟元に触れた。先ほど走っていたせいか、リボンが歪んでいた。


「……上手くいかないことばかりです」

 呟いたあと、ディアナはハッとしたように口を閉ざした。初対面のフリーダに弱音を吐いたことを恥じているのだろう。ディアナはスッと一歩身を引いた。


「お説教。これで終わりですか? 私、行ってもいいですか?」

「もちろん。――早足なら黙認されるわ」

「はい、フリーダさん」


 ぺこりと、音がしそうな勢いで頭を下げると、フリーダの横を通り抜けて行く。ディアナの後ろ姿を見送ると、フリーダも早足で自分の向かう教室へと急いだ。




***




 次に彼女に会ったのは、数日後の放課後だった。


 ナタリエと校庭を歩いていたフリーダは、森へ走る一人の少女を見つけた。明るい髪の色に、意志の強い表情。ディアナに間違いなかった。


「ナタリエ、先に帰っていて」

「ん、付き合おうか?」

「知り合いを見つけたから」

「そっか、んじゃまたあとでね」


 手を振るナタリエに手を振り替えすと、早足に森へと向かう。


 フリーダが彼女の姿を捉えたのは、森の側にある湖だった。人目を避ける場所にあるため、恋人達がよく集うデートスポットとしても人気だ。

 秘密の逢瀬だろうか。引き返そうとしたフリーダは、次にディアナの取った行動に呆気にとられてしまった。彼女はスカートをむんずと掴むと、なんと腰で結んだのだ。靴下をはいた足も、靴下を止めるためのリボンも、丸見えになる。


 唖然としているフリーダの目の前で瞬く間に木に登ると、ディアナはペキリと音を立てて枝を折った。

 フリーダの腕一本分はあろうかという長さの枝を、木の上からディアナは地面に放った。そして自らも一足で木から下りる。折った枝を拾い、湖に向けて伸ばし始める。


 そこでようやく、フリーダはディアナが何をしたかったのかを知った。


 湖の上に浮いているもの――教科書や布を、木の枝で掬っているのだ。


 ディアナがうっかり自分で落としてしまうには、少々無理のある場所だ。

 紳士淑女を育む由緒正しいシュトラール学院にも、残念なことにこういったことは皆無ではない。


「……惨いこと」

 背後から近づくと、ディアナはかわいそうなほどにびくりと体を揺らした。

「えっ――あっ! この間の……えっと」

「フリーダよ。届く? 手を貸しましょうか?」

「……はい。フリーダさん」

 教えたとおりに「はい」と、意固地な返事をディアナが寄越す。

 フリーダは微かに笑うと、彼女の手を握った。ディアナはフリーダを支えに体を伸ばし、さらに遠くに浮いていたものまで枝で掬い上げることに成功した。


「ありがとうございました」

 濡れた教科書などを草地の上に置いたディアナが、ぺこりと頭を下げる。

 相変わらず、音がしそうなほどの機敏さだ。


「大したことはしていないわ」

「……えっと、前回のことも」

 頭を下げたまま、言い難そうにディアナが言った。目にするもの全て敵、かのように警戒していた彼女の言葉に、フリーダは少しだけほっとする。


「少しはお役に立てていればいいのだけれど」

「怒られることは減りました」

 しかし、それ以外のことは増えたのかもしれない。


 あの教科書達は、もうどうにもならないだろう。濡れた教科書を手に取って広げようとしてみたが、それすら難しそうだ。


「私が去年使っていたものがあるから、お譲りするわ」


「……また、濡らしちゃいますから」


 ぐっと奥歯を噛み締めて、悔しさを滲ませた声をディアナが出した。

 フリーダが足を動かすと、びくりとディアナの体が再び震える。


「お譲りするわ」

「……はい、フリーダさん」

「よく出来ました」


 フリーダはディアナの前にかがむと、彼女が腰で巻いていたスカートの結び目をほどく。ディアナは忘れていたのだろう。顔を真っ赤にしてその様子を見下ろしている。

 パサリとスカートが広がった。足も靴下もリボンも隠れる。


 口を一文字に引き結んだままのディアナの肩に、フリーダが手を回す。

 そしてゆっくりと、頭と頭をぶつけた。


「大丈夫よ。あなたが頑張っていることは、見ていたらわかるわ」


 肩肘を張って、誰の力も借りようとしないディアナ。

 その表現の仕方は違えども、一人途方に暮れていた自分をフリーダは思い出した。


 けれども、フリーダには救いの手が差し伸べられた……アイゼンという最高の人によって。


 フリーダの慰めに、ディアナは拳を握りしめた。


「あんな人達に負けたりなんてしません。こんなところにだって本当は来たかったわけじゃ……あ、ごめんなさい」

 慌てて謝罪するディアナの頭をフリーダが撫でる。


「いいのよ。でも、ここではきっとあなたの将来に役立つものが手に入る」


「マナーやお裁縫?」

 鼻で笑うディアナから体を離すと、フリーダは真正面から彼女を見つめた。


「いいえ。折り合いの付け方と根性。そして、お友達よ」


 ディアナは一度唇を震わせ、ぎゅっと噛む。


「友達なんて……無理です。みんな庶民の私と会話なんて、しようとしませんから」

 上流階級と中流階級が占めるシュトラール学院において、庶民の――それも女生徒など、本当に珍しいことだった。

 フリーダはその特異さに驚きつつも納得していた。彼女が誰にも打ち解けようとしない、その頑なさも察するにあまりある。


 銀色の髪を纏めていたバレッタを外す。さらりとフリーダの髪が広がった。


「こういうのはお嫌い?」


 シルクで出来た、白い百合のバレッタだ。

 ぽかんとしているディアナの髪に、フリーダはそれをつけた。明るい髪色によく似合う。


「友情の証しよ」


 下級生に厳しく当たるのは、彼女たちを導くためだ。上級生は、下級生を慈しみ、守るために存在する。


 フリーダの微笑みに、眉毛をつり上げたままのディアナの瞳が、どんどんと赤く染まっていく。

 堪えきれなかった涙が、瞬きの隙間から覗いて零れた。


 小さな肩を震わせてボロボロと泣き出した少女を、フリーダはぎゅっと抱きしめた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ