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21:それはあまりにも


 蹄鉄が石畳を叩く音が響き渡る。

 頑丈な鉄柵の扉が、守衛によって開かれる。そこからさらに馬車は整地された道を進んでいった。


 人の目、大人の愛という檻に囲まれた我らが学び舎――シュトラール学院の玄関アプローチに、一台の馬車が進む。

 複数の馬を操る御者の手さばきに迷いはなく、馬車は速度を下げゆるやかに停車した。


 上品なマントとハットを身につけた御者が、早足に車体へ駆け寄る。恭しい手つきで扉を開け、ステップを下ろした。

 黒塗りの上品な馬車から一人の青年が降りてくる。

 歴史あるシュトラール学院の制服を、青年は見事に着こなしていた。彼のための意匠であるかのように、しっくりときていた。


 青年は一日離れていただけだというのに、さも嬉しそうに学び舎を見上げ、大きく息を吸い込んだ。そして馬車に向き直る。この馬車の所有者でもある青年は、胸に手を当てると、同乗者のために反対の手を差し出した。


 この国の淑女ならば、誰もが憧れるその手のひらの上に、馬車の中から手が伸びる。


 それは誰もが想像しないほど……無骨な男の手だった。


 骨張った大きな手は青年の手首を勢いよく掴むと、馬車の中から悠然と降りてきた。青年は含み笑いを浮かべ、降りてきた男を見つめている。


 降りてきた男は青年の隣に立つと、先ほどの彼と同じ作法をとった。馬車に向け、自身の手のひらを差し伸べたのだ。

 そっと指先があらわれる。男は導くために手を握った。


 薄暗い車内からゆっくりと姿をあらわしたのは、一人の美少女――。


 全く軸をぶれさせない歩き方は、まっすぐと伸びる百合の花のようにたおやかで、上品さに溢れている。


 王子を押しのけた男にエスコートされた完璧な淑女は、重力を感じさせない軽やかさで馬車から降り立った。

 その時、正面玄関から歓声が上がる。


「フリーダさーん!」

「シオン殿下もご一緒だわ……なんて素敵なお二人かしら」

「あら、私はバーレ様も応援しておりますわ。身分差に悩む恋。流行りのヒストリカル小説のようではありませんか」


 きゃあきゃあ、やいのやいの。


 手を取り合ったフリーダとアイゼン……そして、アイゼンに押しやられたシオンは声のする学び舎の方を見る。

 そこにはガウンを身に纏い、冬の寒さに身を寄せ合いながらフリーダ達を待っている生徒達がいた。数人は、フリーダとおそろいのショールを羽織っている。


「お迎えにあがりましたの」

 まるで代表するかのように、一人の女生徒が前に躍り出ると、スカートの裾を掴んで腰を落とした。同じ寮で生活する、学年が一つ上の女生徒だ。


「こんな寒い中、待っていてくださっていたなんて……」


 フリーダは女生徒達に駆け寄った。その後ろでは、シオンが馬車に帰還を命じている。


「フリーダさんのいない寮は、なんだか灯火が消えたようで」

「そろそろお帰りになる頃だって寮長に伺ったので、お迎えにあがったんですの」

 女生徒達の浮かべる笑みは柔らかく、鼻は赤くなっていた。


「おかえりなさい、フリーダさん」


「……ただいま、皆さん」


 フリーダは、上級生に招かれるままに抱擁を返した。

 じんわりと胸が熱くなる。


 フリーダにとってシュトラール学院は地獄の檻だった。地獄から逃げてきた先の、地獄。

 けれど、肩の力の抜けた彼女を待っていたのは、肩肘張っていた時の彼女が築き上げていた絆だった。


「ナタリエさんも大層来たがっていたのですけれど」

「どうしても、その、補講が……」

「それはフリーダさんには内緒にしていてくれと頼まれていたではありませんか」

「あら、ほほほ。フリーダさん、どうかお忘れになって」

 上級生とハグをしたままのフリーダの側に、女生徒達が溢れかえる。フリーダは一人ずつに、ハグをして回る。


「羨ましいな」

「そなたもいつも友人に囲まれておるではないか」

「見てみろよ。全然違うだろ」

 アイゼンとシオンが、抱擁を交わすフリーダ達を見ながら話している。


 王子の前ではしゃぎすぎたと、女生徒達は表情を取り繕うが、シオンは何も気にしていないようだった。


「人気者ってのは、外面だけじゃなれないみたいだな」

「身分だけでも難しいようだ」


 ぽつねんと立つ二人の男子生徒に、女生徒達が「まぁそんな」「ええそんなことありませんわ」「あなた行きなさいよ」「ええ、わたくしが?」と、慌てている。


 シオン達を迎える気持ちはあれども、近寄りがたいのだろう。特にフリーダに向けたように、親しさに溢れる表情など浮かべられるはずもない。

 心底困ったような女生徒達と、意地悪く笑うアイゼン、そして全てを見守りながらも面白がっているようなシオンの表情を見て、フリーダはついくすくすと笑い出してしまった。





 一泊分の荷物はさほどない。

 けれども、アイゼンはフリーダの分を運ぶと聞かなかった。興味をそそられたのか、シオンもそれについてきた。


 女生徒達と歓談しつつ寮に向かう。アイゼンは、その会話に入り込むこともなく、粛々と後ろからついてきた。従者のようであり、また妻の社交を見守る夫のようでもあった。

 女生徒達はフリーダと話しつつも、気がそぞろのようだった。当然だ。王子を従えて歩いたことなど、これまでの人生に一度もないだろう。フリーダとて、無い。


 先ほどから背後に向けて、ちらりちらりと女生徒達が視線を送っている。不躾になるとはわかっていても、気になって仕方が無いようだ。


 そのたびにシオンはにこりと微笑む。まるで気にするな、とでも言うかのように。


「おい、お邪魔みたいだぞ」

 呆れた視線をシオンに向けたのは、言わずもがなアイゼンだ。

「何。そなたであろう。私は邪魔などしておらん」

「じゃ、邪魔だなんてとんでもございません……」

 一人の女生徒が勇気を振り絞って話しかけた。女生徒達は、そうだそうだと言うかのように皆一様に頷いている。


「見るがいい」

「額面通りに受け取るようなタマかよ」


「たま?」

「宝石のことではなくて?」

「猫のことを市井ではそう呼ぶと、聞いたことがありますわ」


 ひそひそと話す女生徒の会話が聞こえてきたのだろう。アイゼンはひとつため息を吐いて口を噤んだ。フリーダの時のように、スラングを説明する気はないようだ。


 面倒くさいだけだろうか。それとも、ほんの少しでも特別扱いなのだろうか。

 なぜかフリーダは頬が緩みそうになり、表情筋に力を入れて整える。


「クレヴィング嬢のようにも、アイゼンのようにもいかぬものだな」

 シオンが呟いた言葉が、偶然フリーダの耳にも入った。女生徒達は「たま」談義に夢中で気づいていないようだ。

 アイゼンが眉を上げて、目線だけでシオンを見た。


「フリーダや、俺のように?」

「女生徒と親密になる素養が無い、ということだ」

「なんだあんた。もてたかったのか」

「王族には紫色の血でも流れていると思うておるのか? 紳士である前に、歴とした思春期の男子生徒だ。私とて親しみのこもった笑みの一つくらい向けられたい」

 シオンの言い様に、フリーダはついくすりと笑ってしまった。本気でシオンがそう思っているとは思っていない。女生徒との間に話題を提供してくれたのだろうと、心遣いにあたたかくなったのだ。


「フリーダ、そのまま振り返ってやれ」

「それは、笑われているというんだ」

 なあ、クレヴィング嬢。そう語りかけられて、首を縦に振ることなんて出来るはずもない。


「みなさんの恥ずかしがりようを、どうぞその広いお心でご寛恕ください。シオン様ほど素敵な方の前では、笑い方すら忘れてしまいますわ」

 そうだそうだよく言ったというように、女生徒達はフリーダを見つめて頷いている。


「クレヴィング嬢、そなたは?」

「私は素敵な殿方に少しばかり免疫が……最高の恋人がおりますから」


 ふわりと完璧な淑女の笑みで微笑めば、周りから歓声が上がる。


「やれやれ。毎日のろけられる身にもなってもらいたいものだ」


 シオンはやはり穏やかな表情でそう言うと、フリーダのそばまで歩み寄る。

 しとやかに微笑むフリーダの前で膝を突くと、流れるように自然な動作で彼女の手を取った。


「クレヴィング嬢の思い遣り深い言葉をたて、此度は我慢するとしよう」


 フリーダの白魚のような指先に、シオンの唇が触れる。


 フリーダは微笑みを浮かべたまま、身じろぎ一つ出来なかった。固まっていた。それを周囲に察せられないように、必死だった。


「おい、俺の前で堂々とすんな」

「何を言う。そなたから隠れてこそこそとするほうが不道徳であろう」

 アイゼンがシオンの腰に蹴りを入れて転がせる。何という不敬だ。そんな言葉も、この学院という檻の中では意味を持たない。意味を持ってはいけない。


 シオンの手から引き剥がすように、フリーダを抱き寄せる。周りはそれを見て、心底羨ましそうな視線を送っていた。


「どっちにしろすんな。俺んだ」

「淑女への礼ではないか」

「将来、お前の嫁を口説いてやる。絶対に」

「私はかまわんよ、我が友よ」

 はははとシオンが笑う。邪気は見当たらない。本当に、フリーダへの敬意を表しただけだったのだろう。


 けれど、フリーダにとってはそれだけで収まらない。


 先ほどから一言も話せないどころか、完全に硬直してしまっているフリーダの両肩を抱えたアイゼンが、身を寄せる。


「大丈夫か?」


 囁く声に、彼が抱きしめる腕に、痺れが広がる。

 返事をしたいのに、声も出ない。浮かべた笑みを、消すことすら。


「そのように隠してしまわずとも」

「うるさい見るな、減る」

 まるで悋気を起こした青年を装って、アイゼンがフリーダをガウンの中にすっぽりと隠してしまった。

 女生徒達は、仲睦まじいフリーダとアイゼンを間近で見ることが出来て、きゃっきゃっとはしゃいでいる。


「フリーダ」


 アイゼンの声は優しく、甘い。

 それは変わらないのに――……


 フリーダは震えていた。アイゼンの服を、ぎゅっと掴む。


「大丈夫……なんともないわ」


 なんともない。

 なんとも、なかった。


 あれほど、触れたくて堪らなかった男性だというのに。

 あれほど、触れられれば夢見心地になる男性だというのに。


 男性に……シオンに触れられたというのに――フリーダの体は一切、何の反応もしなかったのだ。





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