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17:白百合の君


 古来より、女性は多く”花”と呼ばれた。


 女性の持つ華やかさやいじらしさを、花と結びつけたのだろう。心根まで美しいという含意は悪意すらはらんでいるが、本日クレヴィング邸に招かれた者達は皆、数々の言葉に納得せざるを得なかったに違いない。


 流行のドレスを身に纏った女性達が、くるくるとドレスの裾を遊ばせる。玄関では、招待状を手にしてやってきた客の名を高らかに読み上げる執事の声が響いている。

 冬の冷気に紛れる話し声は、今日の主役の二人を祝うもので溢れていた。


 分厚い扉が開いて、大広間にひと組のカップルが入場する。初々しい二人を見た招待客は誰もが一度息を飲んだ。

 シャンデリアの光に照らされた男の赤い髪が、炎のように燃えている。エスコートされている娘は、粛々と人の間を縫って歩く。


 鮮やかに染められた薄絹のドレスが、歩く度に広がり、絡みつき、幾層もの色の波をうつ。それはまるで、朝日にかかる雲のように自在に形を変え色を生み出す。人の視線に伴うように深い夜に散らばる星は、朝日の柔らかな光へと移り変わっていく。


 腰まである銀糸を思わせる髪は、熟練の侍女の手練によって見事に編み込まれていた。ジュエリーは全てシンプルで、耳元を飾るピアスは隣に立つ男の瞳を思わせる黒色だった。

 胸に飾られている雫型の真珠が、歩く度に小さく揺れる。


 歩く姿は百合の花――とは何処の国の言葉だったか。


 顎を引き、前を見据え、微笑みを携えた解語の花は、その瞬間会場中の視線を集めていた。


 その夜、煌々と火をともすクレヴィング伯爵邸には、一輪の花が咲いていた。


 夜明けの光を纏った、百合の花が――。





「お父様、お母様」

 今日の両親は大忙しだ。ひっきりなしに訪れる来客達の相手をしなければならない。人の波が途絶えたところで、フリーダはようやく両親の元に挨拶に向かった。


「おぉフリーダ……帰ってきてくれたか、よかった」

「まぁ。綺麗になって……すっかりレディね。よく見せて。素敵なドレス……朝日が昇る海のよう。動くと色が変わるのね。べにの色もよく似合ってるわ」

 安堵の色を顔中に浮かべた朴念仁の父を諫めるように視線を送った母が、父のハグから介抱されたフリーダをぎゅっと抱きしめる。

「あ、あぁそうだな。しかしちょっと胸元が開きすぎてるんじゃ……」

「流行りの型ですよ。それに見て、こんな造りを見たのは初めて。オーガンジーを重ねているのね。大人っぽいのに女の子らしさもあってすごく可愛い」

「スカートも……」

「体の線が出るほどじゃありませんよ。それよりも似合っていると褒めてあげて」

「よく似合ってる。家にあるドレスの次にな」

「ありがとう。お父様とお母様も今日は一段と素敵よ」

 父と母の相変わらずの会話に、フリーダは緊張していた頬を緩めた。

「フリーダ、そちらは? あんなに頑なだったあなたを説得してくださった功労者なのでしょう?」

 騙して呼び寄せようとした後ろめたさもあるのだろう。本来のパーティーならば、フリーダも両親の隣に立って愛嬌を振りまかねばならないところを、来客扱いにしてくれるらしい。


「ええ、そうです。それに、彼がこのドレスを贈ってくださったの」

 フリーダの隣には勿論、彼女をエスコートする男性がいる。母親は目を輝かせ、父親は口髭の位置が変わるほど顔をしかめる。

 添えていた手に力を込め、彼の腕をぎゅっと自身に寄せたフリーダが微笑む。

「紹介させてください――」

「ああっとフリーダ、あっちの花を見たかあれはリーヌスが丹誠込めて……」

「学院の友人で――」

「あっちのテーブルの上にはお前が好きな……」

「ミスター・アイゼン・バーレよ」

「……フリーダの父だ。よろしく」

 年頃の娘を持つ父らしく、往生際悪くフリーダの言葉を遮ろうと試みていたが、全て失敗に終わったフリーダの父が、むすっとしたまま手袋をはめた手を差し出す。

 アイゼンはいつもの食えない笑みは何処へやら。どこからどう見ても好青年にしか見えない爽やかな笑顔で、父の手を取った。


「ご紹介に与りました、アイゼンです。本日は誠におめでとうございます」

「いらっしゃい。たくさんのレディが来ている。君も楽しんでいくといい」

 視線ひとつ向けもせずに、娘をエスコートしている男に他の女を薦めるとは。あくまでも「娘の友人の一人」として接する父親に、フリーダは微笑んだ。


「あらお父様。アイゼンの隣は私だけのものですから、勝手をなさってもらっては困ります」

「フフフフリーダ!? お前にはまだ早いんじゃないか?!」

 立派な口ひげの隙間から情けない悲鳴を漏らす。


「まぁ……じゃあもしかして、バーレ商会の?」

「なに、どこだ」

「先ほどシオン殿下からご学友だと伺ったでしょう。あなたでしたの。ありがとう、フリーダを連れてきてくれて」

 渋面を浮かべながら問いただす父の腕を、母がポンポンと叩いた。

 シオン――王族の友人と知り、貴族でないアイゼンにも視線をやった父に向け、アイゼンは非の打ち所のない笑みを浮かべる。


「彼女の友人として当然のことをしたまでです」

「シオン殿下きってのお願いで、今日は同室を用意させてもらっているわ。ゆっくり過ごしていってちょうだい」

 夜のパーティーは遅くまで催されるため、主催者邸に宿泊するのが一般的だった。

「ありがとうございます。お心遣いいただいて光栄です」

「なんでもシオン殿下は、あなたと同室のペルシュマン伯爵家のご子息がずっと羨ましかったようで……」

「殿下と一緒の部屋であれば、夜間に我が家の廊下に足音を立てるような真似もしないだろう」

「あなた」

 娘の部屋には忍び込ませないと釘を刺した父を、母が扇で隠しながら肘でつつく。


「シオン殿下とはご懇意に?」

「シオン様とは親しい友人として、適切なお付き合いをさせていただいてます」


 あれほどツテを作ろうとするくせに、王子の無二の親友だとは誇示しない。それだけアイゼンにとってシオンとの友情は尊く、代え難いものなのだろう。

 シオンの話題は彼の本意でないに違いないと、フリーダは話題を変える。


「アイゼン。それでは私よりもずっと、シオン様とよんどころない間柄のようよ」

「おや。僕が髪を纏めてドレスを着て、彼の隣に立つのをお望みかな?」


 僕。


 僕?


 思わず顔に出そうだったが、慌てて淑女の仮面を顔面に貼り付けた。


「――よしてちょうだい。みんなあなたの虜になるわ」

「あなた達こそよしてちょうだい。今日はあなたたちのお披露目じゃないのよ。そう仲がよくては、妹も何かあるのではないかと疑われてしまうでしょう」

 呆れたような視線を扇の隙間から母が覗かせて、フリーダはほんのりと頬を染めた。


「やあ、こんばんは。リープリング卿」

「実にめでたい席にお招きいただき――」

 タイムリミットのようだ。父が招待客から声をかけられる。

 フリーダは招待客に歓迎の笑みを浮かべ腰を折ると、そっと立ち去るために足を踏み出した。その彼女の腕を、母がそっと掴んで唇を耳に寄せる。


「先ほどまで、奥でケストナー男爵夫人と挨拶していたわ。今日だけは仲のいい兄妹に戻って、きちんとお祝いしていらっしゃい」

 招待客へと体を向けたまま言った母は、言いたいことだけ言い終えるとフリーダの手を離す。そのまま人の波に遮られて、フリーダと両親は離れていった。


 両親と離れたことにより、途方に暮れた子供のような顔つきになってしまったフリーダを元気づけるためにか、アイゼンがぐっと腰を引いた。フリーダは大きく息を吸う。アイゼンに触れられた喜びを押し殺すためだ。


「さっきも言ったが――」

 親密な雰囲気を作ることに、アイゼンは抵抗を感じないようだ。とは言え、この場では腰を抱いて、顔を近づけ合うことなど、さして珍しくもない。


「よく似合ってる。綺麗だ」


 耳に掠める唇から、アイゼンが発破をかけているのだとわかる。


「気合い入れろ」


「決闘じゃないんだから」


「あんたにとっちゃ変わりない」


 まぁ、俺にもか。

 続けたアイゼンの言葉の意味を問いただそうとしたとき、人垣のわずかな間から見知った顔を見つけた。夜に相応しい黒髪の、優雅な笑みをたたえている美男子だ。

 女性を危なげなくエスコートしながら、周りに輪を作っている人々に微笑み返している。


「シオン様だわ」

「連れはトレッチェル公爵家の令嬢か」

 シオンの母の兄の娘――つまり、彼のいとこにあたる。シオンと同じく美しい容貌と気品のある所作で、周りにいる男性の視線を一身に浴びている。


 お似合いね。


 その言葉を、フリーダは口元に指先を当てて飲み込む。


「どうした」

「なんでもないわ」


 いとこ同士ということもあり、彼らは誰が見てもお似合いだった。背の丈も、雰囲気も――そして家格も。


 戸惑うような言葉じゃない。

 なのにフリーダは、何故かその言葉をアイゼンに聞かせたくなかった。


 なにか、夢から覚めてしまいそうな……そんな気がして。








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