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10:青い春


「くちゅん」

 我慢しきれなかったくしゃみを、肩からかけていたショールで覆う。しかし漏れ出た音までは隠せるはずもなく、隣を歩いていたアイゼンが耳ざとく聞きつけた。


「羽織ってろ」

 そう言って広げたのは、たった今まで彼が羽織っていたガウンだ。ガウンを羽織ってこなかったフリーダは、一時ショールを彼に手渡すと、まるで従僕のようにガウンを着せようとするアイゼンに身を任せて袖を通した。


「ごめんなさい。こんなに冷えるなんて思わなかったの」

「いい。女は体を冷やすなよ」

 ぶかぶかのガウンの上から、アイゼンがフリーダにショールを巻き付ける。フリーダはそれを甘受した。


 四季がはっきりしているレーヴェ国の秋は、天気によって時折ハッとするほど寒くなる。朝は青く輝いていた空も、今はどんよりとした灰色だ。デート日和とは言えないながらも、彼らは共にいる権利と義務がある。


「今日はもう帰るか。送る」

 アイゼンは散歩を切り上げて構内に戻ろうとしたが、フリーダが首を振った。


「部屋に戻ったら、これを脱がなきゃいけなくなるわ」


 羽織っているアイゼンのガウンに頬を寄せて、うっとりとした顔をするフリーダに、アイゼンは一瞬息をのむ。


「……あんまりそういう顔を無闇にするなよ」


 戸惑った表情を隠すかのように、眉間に皺を寄せている。

 そんなアイゼンに気づかずに、フリーダは柔らかい表情を向けた。


「あなたの前なのに?」


 大胆でいて無自覚なフリーダの甘えに、アイゼンは深いため息をつく。そして、フリーダの顔を隠すように胸に抱いた。

 思いがけずご褒美をもらえたフリーダは、さらに頬を緩めて顔を埋める。


「あんたみたいなのは相手にしたことなくて、調子が狂う」

「私みたいな痴女が何人もいたら、この世は終わりだわ」


 ――そういう、みたいなの、じゃない。


 アイゼンはフリーダの耳に、一言一言区切りながら吹き込む。

 フリーダはその許容量を超えたご褒美に、今にも崩れ落ちそうだった。




***




「ナタリエ」

「ううううむ」

「もういいのよ」

「ここがこうなって……んで、こっちがこうでしょ……」


 飯時は大賑わいな大食堂も、時間がずれれば空いている。

 自習スペースや講堂として使う生徒達がぽつりぽつりと座る中、フリーダの背後で、ナタリエが世界一の難問を前にした数学者のような神妙な顔をして唸っている。


「あとで自室に戻ってやるから、無理はしないで」

「待って大丈夫もうちょっとで出来るから……」


 と言い続けて、すでに十分はたつだろう。

 仕方ないと腹を括りかけたフリーダの前の席に、人が座る。


「フリーダが待てても、その鬼婆じみた表情を早く隠さないと嫁ぎ先がなくなるぞ」

「っは! ……って、バーレ!」


 フリーダの前に座った人間はアイゼンだった。

 これほど席が空いている中、わざわざ近くに座るのだから、人は限られてくる。


「もらい手が無かったら僕がもらってあげるよ」

「天地がひっくり返ったってやだ」

「照れ屋さんだなぁ、ナタリエは」


 アイゼンの隣の椅子を引いたヨシュカは、また侍らせていた女生徒達に手を振って簡単に別れた。アイゼンとヨシュカを取り巻いていた女生徒達は、こちらに強い視線を向けながらもその場を離れていく。


「ところで、何してるの?」

「見てわかんない?」

 素っ気なく返した理由には、気恥ずかしさもあったのだろう。ナタリエがヨシュカを睨み付けた時に彼女の手が動き、フリーダは髪をくんと引っ張られた。


「フリーダの髪を丸坊主にしようとしてる?」

「私の袖のボタンがリボンを引っ張ってフリーダの髪型が崩れちゃったから、直そうとしてんの!」

 半ばヤケになったナタリエが涙目で地団駄を踏む。

 ナタリエの手には、三つに分けられた毛束がしっかりと掴まれていた。


「ナタリエって不器用なの?」

「そうよ。悪い?」

「君って人の期待を裏切らなくて、本当に素敵な女性だと思う!」

 ヨシュカの楽しそうな声に、ナタリエは怒りで顔を真っ赤に染める。

「今ここにラケットがあれば、そのご自慢の顔面に編み目をつけてやるのに……!」


 歯ぎしりしそうなほど強く食いしばっているナタリエを、髪を掴まれたままのフリーダでは振り返ることも出来ない。そろそろ不憫だとアイゼンに目配せすれば、傍観していたアイゼンが心得ていたように友人を諭す。


「それ以上は“白百合の君”が許さないそうだ」

「おっと、美しい女性の敵に回るのは勘弁願いたいな」

「ヨシュカ! 喧嘩売ってるなら法廷で買うわよ!?」

「ベックは本当に見かけそのままに物騒だな」

 アイゼンが席を立つ。そしてフリーダの背後に回ると、ナタリエに手を出した。


「代われ」

「こんなところで、あんたに髪を触らせられるはずないでしょ!」

「俺は発情期の動物か」

 呆れ顔を隠しもせず、アイゼンがナタリエの手元を見る。

「あと三十分粘っても無理だろ。この調子じゃ」

「そ、そんなことないわよ」

 鼻の上に皺を寄せ、ナタリエはフリーダの髪を見た。元通りの三つ編みにしようとなんとか頑張った痕跡があるが、髪は浮いているし、飛び跳ねているし、うねっているし、三つ編みと伝えても理解してもらえないような惨状である。


「……」

「ほら、貸せ。結うんだろ」

 有無を言わさずナタリエからフリーダの髪を奪うと、アイゼンは手櫛で優しくフリーダの頭をとき始めた。その心地よい手つきとアイゼンの温度に、ついうっとりしそうなのをフリーダは必死に堪えた。


 先ほどまでかかっていた時間はなんだったのだろうと思うほど、アイゼンは手早く、そして手慣れた手つきですいすいと髪を編んでいった。

 それも流行を取り込んだ編み込みスタイルで、彼からプレゼントされた手鏡で確認したフリーダは苦笑を浮かべるしかない。


「リボンは?」

「これよ」

 差し出したのは、鮮やかなターコイズグリーンのリボンだった。ビロードの生地は手触りがよく、縁に銀色の刺繍があしらわれている。


「いい品だ。あんたによく似合う」

「贈り主のセンスがいいのね」

 アイゼンが編み込んだ髪を、アイゼンが贈ったリボンで器用に束ねる。毎日してもらいたいような、完璧な出来映えだ。


「ありがとう、アイゼン」


 覗き込んだ手鏡越しに、仕上がりとリボンのお礼を伝えれば、アイゼンは片眉を上げて返事をする。

 そんな様子を見て、ヨシュカが深いため息を吐いた。


「見てほら、ナチュラルにいちゃついちゃってる。やだよねえ、ここ。食堂だよ? 神聖な糧を召し上がる場所で、なーにを召し上がろうって言うんだろう、ねえ?」

「なっ……何も召し上がらないし、何も召し上がらせないわよっ!」

「しー、ナタリエ。声がでかいよ」

「だ、だ、誰のせいだとっ……!」

「ふふふ」

「フリーダ、ヨシュカになんとか言ってやってよ!」

「仲がいいのね」

「そうじゃなくって?!」

「ねえアイゼン」

「ああ。とびっきりだな」

「だよねえ」

「あんた達……目腐ってんじゃないの……」

「私も?」

「フリーダは違うに決まってるじゃん!」

「あ~差別だ~」

「区別って言うの!」

「そういえば、女子の編入生ってどんな感じ?」

「二つ下の子ね。茜色の髪の子でしょ。関わってないから、それ以上はよく知らない」

「編入生がいたのね」

「っていうか、区別って単語で思い出すなんてヨシュカ最低」

「ははは、最低だなんて。ナタリエは照れ屋だなあ」

「まあ」

「本当に違うからっ! これ以上言うなら私本当に訴えるわよ!」

「ナタリエが怒った! 助けてフリーダ!」

「まあまあ」

「ヨシュカ、回れ右」

「助けてナタリエ!」

「本末転倒でしょ!」

「何やら賑やかだな」

「シ、シオン様っ!?」

「シオンが、混ぜて欲しそうに、こちらを見ている」

「混ぜてもらえるか?」

「そ、そりゃもちろんです。ねえフリーダ」

「ええ、是非」

「おい。そんで、なんで自然に女二人の間に入ろうとしてんだ」

「男の隣に座るよりも数倍楽しい。そうであろう?」

「わ、私たちに同意を求められても……それに構いません。席、ひとつずれますね」

「ちょっとナタリエ。僕の時と随分態度が違うんじゃ……」

「違って当たり前でしょ! これは――」

「区別?」

「き、聞いていらしたんですね……」


 ふふふ、とフリーダの忍び笑いが零れる。

 大食堂の一角の賑やかさに、人々の視線が集まる。フリーダにはおとぎ話よりも遠い、他人事だった青春の時間だった。







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