10-13.vs盲目のメイド(サクラ)①
魔物の集団が現れたのは夕暮れの光が窓から差し込み始めた頃だった。
外が騒がしいと誰かが言うのが聞こえたと思った矢先、病院の壁が轟音を響かせながら崩れた。
「アネモネ様、ご無礼をお許しください!」
その時、メリッサが取った行動はアネモネを真っ先に逃がすことだ。
「メリッサさん!?」
アネモネの華奢な体を抱きかかえ、窓に向かって放り投げた。
彼女はガラスを砕き、外の石畳に無抵抗に体を打ち付け、全身を襲う痛みに耐えながら即座に治癒を施した。
そして、メリッサの意思を汲んで病院から遠ざかる選択を取った。
「私が相手です、こっちに来なさい!」
非難して来た住民たちがパニックに陥る中、メリッサは魔物たちの前に飛び出す。
魔物たちの視線を向けさせようと大きなシーツをはためかせていた。
しかし、
「な……!?」
魔物たちはメリッサも怯える住民たちも無視し、踵を返したのだった。
予想外の行動にメリッサは言葉を失う。その時メリッサは自分の悪手に気が付いた。初めから狙いはアネモネ1人だったのだ、と。
「……アネモネ様っ!」
メリッサは走り出した。魔物が走る方向に。アネモネが逃げて行った方向に。
彼女が博士に仕えていた頃、魔力量の多い者を探す精度は時計に術式を組み込んだ道具で魔力の多い方角に針が動くという大雑把なものだった。
人が集まれば集まるほど精度を欠くという弱点が存在していたはずだが、今では町で幾百人の中から最も魔力量が多い者を探し出せるようになったのだと気づいた。
「アネモネ様!」
アネモネはたくさんの魔物に纏わりつかれていた。
が、一瞬のうちに魔物たちは内側から臓物をぶちまけながら地面へ崩れる。
「あ、メリッサさん。もう終わりましたから」
魔物の血で汚れた顔をハンカチで拭いながらアネモネはメリッサへと近づく。
衣服は魔物の牙や爪によって引き裂かれ、彼女がどのような目にあったのか想像に難くない。
しかし、幼い少女は地獄と化した町中を平然と歩く。まるで町中を休日に散策するように、軽い足取りで。
「アネモネ様、上です!」
メリッサの言葉にアネモネは反応する。
間一髪のところで丁度首筋があった部分をナイフが通過した。
「メイド……メリッサさんのお知り合いですか?」
ナイフが飛んできた方向を見ると、家屋の屋根に立つメイドの姿があった。
瞼を縫い付けた小柄なメイド、サクラだ。
「いいえ、私がいる時には見たことのない顔です」
メリッサはそう言うとアネモネを体で隠すように前へ踏み出た。
「あの、メリッサさん?」
「お逃げください。騎士団に保護して貰えれば今度こそ安全だと思います」
「倒した方が早くないですか?」
アネモネの問いにメリッサは首を横に振る。
「見たところ接近する様子がないのと先ほどのナイフからして遠距離を得意とするみたいです。接近を条件にしているアネモネ様の能力は相性がよくないでしょう。
ですので、ここは逃げましょう」
「なるほど、でも大丈夫ですよ」
「はい?」
アネモネが手をかざすと魔力によって生成された真っ赤な花弁が宙を舞う。
「それは……」
かつてメリッサは1度だけこの赤い花弁を見たことがあった。
残念ながらどのような能力なのかを把握する前にアネモネは氷漬けになってしまったのだが。
「これが触れれば私が触ったのと同じです!」
赤い花弁は意志を持っているかのようにサクラの方へと進んでいった。
対するサクラは迫る赤い花弁へ指をかざし、指揮者のように振った。
「あれ?」
真っ直ぐに向かっていた赤い花弁は途中で散り散りになり、アネモネの操作を受け付けなくなった。
「どうして?」
困惑するアネモネ。サクラは無防備となった彼女に小さな石ころを投げつけた。
石ころは届きそうもないほど弱々しい軌道を描くが、途中で弓の如く一直線に進みだす。速度は増し、風を切りながら飛ぶそれは殺傷力に富んだ立派な武器に化けていた。
「アネモネ様!」
メリッサの声が聞こえたと思ったらアネモネは突き飛ばされていた。
彼女の後方にあった民家だった廃墟の壁に石ころがぶつかり、軽々と壁を破壊した。
「相手の能力はアネモネ様にとって相性がよくありません。恐らく、遠隔で物体を操る能力だと推測できます」
サクラの周りには倒壊した家屋に散乱していたフォークやナイフ、瓦礫やその破片が宙に浮いていた。
彼女は指をアネモネとメリッサのいる方へ向けるとそれらは弓のように飛んだ。
「う……」
とっさにアネモネを庇うように動いたメリッサが悲鳴を押し殺そうとするも微かに声が漏れた。
「メリッサさん!」
飛んできたナイフで肩を貫かれ、メイド服に血がにじむ。
メリッサの背に触れアネモネは即座に治癒するも、サクラは指を振るのをやめない。
今度は礫がメリッサの額を割り、視界を血で汚す。
「……うっ」
「メリッサさん、隠れましょう」
頭を押さえるメリッサを連れ、アネモネは廃墟となった町の奥へ進む。
いくつもの家屋が並ぶ住宅街は今や瓦礫が散乱し、人気のない廃墟となっていた。
「座ってください」
民家に隠れ、転がっていた椅子にメリッサを座らせるとアネモネは治癒をかける。
あっという間に傷はいえるが、メリッサは暗い表情を浮かべていた。
「申し訳ございません」
「なんで、謝るんですか?」
「私の判断ミスでアネモネ様を敵にみすみす狙わせる結果に……」
「なんだ、そんなことですか」
「私が無力なばかりにアネモネ様をお守りすることもできませんでした。私が囮になります。だから、その隙にお逃げください」
アネモネは顎に指を当て思案する。
ちょうど近くに転がっていた椅子を腰を下ろし、メリッサと視線が合うように向かい合った。
「私は好きですよ。メリッサさんの何でも自分で背負い込んで命がけで成し遂げようとするの」
「え?」
全然関係のない話題だ。その思いもしない言葉にメリッサは目を見開いてアネモネを見る。
アネモネもメリッサの方を向いて、2人は目を合わせる。
互いに逸らすことなくしばらく見つめ合うとアネモネが先に口を開く。
「ちょっとだけ似ていると思ったんです。私とメリッサさんて」
「そう、でしょうか……」
「はい。馬鹿みたいに1つのことに拘るところとか」
そう言われ、メリッサは思い当たる節を何個か思いつく。
「そう言われればそうかも知れませんね……」
「一緒に暮らしてもう半年くらい経つんですかね?
最初はロゥくんを殺そうとした人だから、いつか殺そうかなって思ってたんですけど」
さりげなく物騒なことを言い放つアネモネだったが、メリッサは特に動じることはなかった。
「そうでしょうね。私がロゥ様に助けられた夜、ランタンを持ってアネモネ様がやってきた時は死を受け入れようとしました」
「話していませんでしたが私は捨てられました。体の良い言葉で私を諭し、私のためを想っているように振舞っていたけど、自分たちのことだけしか考えていなかった人間に。
だから、私は大人が嫌いです。今でも寄ってくる大人は全員嫌いです」
メリッサはアネモネの穏やかな声に耳を傾ける。
「ロゥくんはそんな私を救ってくれた。一緒にいようって言ってくれたんです。
だから、私は私を受け入れてくれたロゥくんのために生きようって決めました。
大人たちからいらないって言われた命、自分でも生きている価値なんてもうないんだって思ったんですけど、ロゥくんのために使い切ろうって誓ったんです。
そう思ったらどんなに苦しくても、痛くても耐えられた。」
歪。
正常な人間ならこの言葉を聞いてアネモネが壊れていることに恐怖を抱くだろう。
歪んで曲がって折れた心だと、誰もが思うことだろう。
しかし、メリッサは頭ではそう理解できるが、心では共感を抱いていた。
そして、自分もどこか壊れているのだと自覚する。
「私はメリッサさんに私と同じ物を感じました」
「はい。私もです」
2人は一緒に暮らした短い間ではあれど、感じ取っていた。
お互いに抱える歪みに。
「だから、コレを」
アネモネが小さな手をメリッサの前に差し出した。
広げられた指の隙間から覗かせるのは真黒な結晶。
「コレは……?」
「名前は知らないんですけど……そうですね、お守りでしょうか」
「お守り?」
すべてを吸い込んでしまいそうな漆黒の色をした結晶だ。
見ているとどこか心が落ち着く不思議な輝きに満ちている。
「昔、ロゥくんと出会った頃に貰ったことがあるんです。私はこのお守りを貰ったら能力を使えるようになりました。
だから、私も真似してみたんです。ロゥくんから貰ったやつより小さいんですけど、どうにか出すことができました」
「コレがあれば、私も何かしらの能力に目覚める、ということですか?」
「ええ、荒唐無稽ですか?」
「はい、にわかには信じられません。博士の元にいた時もそのような話を聞いたことはありません。でも……」
理由はない。
確証もない。
だが、メリッサは確信めいたものを感じていた。彼女は真っ黒な結晶を手に取った。
「アイツはきっとロゥくんの敵になるでしょうね」
「ええ、きっと。そして、町の脅威になります」
「私だけだとアイツに勝つには少々厳しいと思います」
アネモネはダメージを即時回復し、ほぼ不死身と言っても過言ではない。
しかし、決して無敵ではなかった。
彼女は誰にも言っていない弱点が存在する。それは破壊と治癒は同時に発動できないことだ。
物理的に動きを封じられ、同時似致命傷を与え続けられると手の打ちようがない。
氷漬けにされた時はたまたまに過ぎない。赤い花弁の生成と治癒は同時にできたのは幸いだった。
クラリスに捕まった時は拘束されているのが手首と足首というわずかな部分だけだったから自身の肉体を能力で破壊し、治癒することで脱することができた。
だが、身体の大部分を破壊しなければ脱出できない拘束をされた場合、身体を破壊すると治癒を行う前に絶命するのだ。
今回の敵、サクラは距離を置く上に物体を手を触れずに操れる。
故にアネモネの最も恐れる事態になる可能性は高かった。
「だから、お願いします。私と戦ってください。私も自分の力を使ってロゥくんを守ります」
「私は……お守ります。ロゥ様もアネモネ様も、そして、町の方々も全部。コレを使って」
力強く握られる真っ黒な結晶はメリッサの中に溶けて混ざり合う。
彼女は自分の中に入ってくるものを感じ、それを受け入れたのだった。




