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最果ての森のハーフコボルト  作者: よよまる
魔人のアネモネ
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7-7.メイドは転職を考える

 メリッサの生活は森の時とさほど変わってはいない。

 メイドたる者、人に仕えるのが仕事である。炊事、洗濯、掃除という人が生活を送る上で必要な家事をする、ということは森も町も同じであった。

 故に彼女は町に移住してきた後もロゥたちと住んでいる家で、騎士団によって斡旋して貰った仕事でその腕を大いに振るった。

 振るったせいで困ったことになっていた。


「はぁ、いくらお金を積まれましても、先ほど申し上げた通りお断りさせて頂きます」

「そこを何とか!」


 メリッサは騎士団に斡旋して貰った清掃の仕事を終え、雇い主に成果を報告しに来ていた。

 雇い主は恰幅の良い初老の男性であり、多くの不動産を抱えている資産家だ。

 資産家の男は頭を下げ、メリッサに懇願している。

 彼女はあまりにも仕事ができ、なおかつ若くて美しく、何より未婚だ。

 これは貴族や大商人等が見初めて娶ってもらう可能性も大いにあるほどのアドバンテージである。

 現在、メリッサは資産家の男から話を聞いた貴族に「屋敷で働かないか?」という持ちかけをされている最中であった。


「君にも利点はあるんだよ。それも、そこらの夢物語よりも大きな利点だ!」

「おっしゃることは分かります。ですが、私には仕えるべき方々がいらっしゃいますので謹んでお断りさせていただきますと何度も申し上げていると思います」

「わかってない、わかってないよ! 宮殿仕えの貴族であるハーフォマール様のメイドになるということは並のことじゃないんだよ!

 貴族の子女たちが通うような格式高い学院を出て、難しい資格を取ってもなれない!

 コネクションを持った人間から推薦して貰わないと面接すら受けられない、選ばれた者だけがなれる職種なんだよ!

 もはや普通のメイドじゃない!

 求められる能力が高い分、給金や待遇も良く、大物貴族に見初められることだってあり得る!

 何より国一番の人格者と呼ばれるハーフォマール様に仕えられるなんて名誉なことだよ!」


 顔中に脂でてからせ、唾を飛ばしながら声量を抑えずに力説されるがメリッサの心は一切変わらない。

 ロゥたちに対する恩義と忠誠によるものが大半だが、強いて他に1つ断る理由を上げるなら資産家の男性の思惑が見え透いているからだ。

 おおよそ、そのハーフォマールという貴族とのコネクションを作りたいまたは強めたい、と言ったところだろう。


「少し考えてもらえないかい?」

「いえ、考えるまでもなくお断りします」

「そこを何とか!」


 このやり取りは何度目になるかわからない。

 メリッサの仕事ぶりはすさまじく、7日かけて終わらせるはずの清掃を1日、いや正確には半日で終わらせたのだ。

 資産家の男性は最初彼女が虚偽の報告をしている不届き者と考えたが、行き届いた清掃が施された建物を見て回った後に彼の態度は急変する。

 彼女の機嫌を取ろうとへつらったり、大層な言葉で褒め連ねたりし始めたのだ。

 彼の態度の変化に何かしら思惑があるのには気が付き警戒していたが、本日その疑念は現実のものになった。


「(ロゥ様とアネモネ様には町ではあまり目立たないように、と言っておいて自身でこのような事態を招くとは失態ですね)」


 こんなことなら普通のメイドくらいの手腕で働くべきだった、と後悔しているがすでに遅し。


「(メイドとしての血があの不出来な管理の建物たちを見て滾ってしまったのです……言い訳ですが……)」


 己のさがに今日ほど苦悩するした日はないだろう。

 資産家の男性からの猛攻は続き、本来ならば夕食の準備に取り掛かる時間にまで続けられた。

 メリッサは一歩も引かず、これ以上その話をするのであれば今日付で暇を貰う姿勢を示したところで資産家の男は諦めた。

 しかし、完全には諦めていない顔で最後別れたのがメリッサの中で気掛かりではあった。


「転職しましょうか……」



「ただいま帰りました。遅くなって申し訳ありません、すぐにご夕飯の準備を……」

「あ、メリッサお姉さんおかえり」


 彼女を出迎えたのは竈の前で鍋をかき混ぜているロゥだった。


「それは……」

「あ、晩御飯だよ」


 空腹には耐えがたい匂いが届き、反射的に唾液が分泌される。

 鍋の中にはしっかりと煮込まれくたくたになった野菜類に加え、食べごたえのありそうなブロック状の肉が顔を出している。

 匂いからして野菜ベースで作られたソースが使われており、町で人気の即席調味料だろう。鍋に入れるだけで手軽にデミグラスやホワイトなどのソースが作れると主婦から冒険者まで人気の商品だ。


「はい、味見して」


 渡された小皿には鍋からひと掬いしたスープが揺れている。

 メリッサはスープを口に含むと驚いた。


「おいしいです」

「ほんと? よかった」


 ロゥは嬉しそうに笑うと棚から2人分の皿を用意し、順番によそい始めた。


「じゃあ、食べよっか」

「はい」


 ロゥとメリッサは向かいに座り、少し遅い晩御飯にありついた。

 アネモネがロゥの隣に座れば定位置に納まるのだが、彼女は『遅番』なので帰って来るのはもう少し後になる予定だ。

 遅番の日は待たずに食事をして欲しい、とアネモネの願いだったので2人は先に食べ始める。


「本当においしいですね」

「即席調味料ってすごいね。お店の味だよ」


 白いパンにたっぷりとスープを染み込ませ、スプーンで掬った野菜と一緒に頬張る。

 濃い目のスープと白いパンの組み合わせは鉄板だが、野菜や肉といった多くの具材のお陰で味が単調にならずに次々と口に運べる。


「今日はどうして遅かったの?」

「雇い主の方に別の仕事を紹介されておりました。条件的にお受けできないと言ったのですがなかなか理解して頂けなく、この時間になってしまいました。申し訳ありません」

「それはメリッサお姉さんのせいじゃないよ」


 また後日に同じような問答があると思うと気が重くなるメリッサだった。

 資産家の男とのやりとりは多少疲れるが大した問題ではない。無駄な時間を過ごし今日みたいにロゥに迷惑をかけることがこの上ない苦痛だった。

 メイドとしての責任感と本来の真面目な性格から自分の失敗は自分で補い、他者へ何らかしらの手間を取らせたくなかった。

 しかし、今日の様子を考えるとまた起きてしまいそうだ。

 表情の変化に乏しいメリッサの心境がほんの小さな機微として表に現れたのをロゥは気が付いた。


「メリッサお姉さん、どうかした?」

「……いえ、何も」

「ほんと? ほんとにほんと?」


 黙っていることに罪悪感を覚えさせる顔でロゥはメリッサに詰め寄った。

 鉄面皮の彼女でもこの猛攻には耐えきれず、心境を話さざるを得ない。


「……実はまた今日みたいにお手間を取らせてしまうかもしれません」

「んー、別に大したことしてないけど、お姉さん的には落ち込んじゃうことなんだね」

「……はい、申し訳ございません」

「よし、ならいいものがあるよ」

「いいもの、ですか?」

「これ」


 ロゥは棚から酒瓶を取り出した。

 メリッサが調理に使うような料理酒ではなく、嗜好品としてのアルコールだ。

 買い出しを担当しているメリッサは知らないものだ。


「今日、報酬とは別にボーナスだって言って依頼主のおじさんがくれたんだ。

 大人の人はお酒を飲めば嫌なことを忘れるんでしょ?」

「そういう飲み方もありますが、ご迷惑をおかけした上にお酒まで頂けません」

「でも、飲める人ってうちにはメリッサお姉さんだけだよ?」

「そうですが、主を差し置いて自分だけお酒を飲むのはメイドとして」

「僕たち家族でしょ? メリッサお姉さんに元気になってほしいんだよ」


 真っ直ぐの視線。YESという答えしか返って来ないと信頼しきっている表情だ。

 メリッサもこれには参った。

 この顔を向けられNOと言える人間がいるのだろうか、いや、いない。


「わかりました。ご厚意に甘えて1杯だけ頂きます」

「はい、どうぞー」


 グラスに並々注がれたアルコール飲料を口に運んだ。


「(そういえば、お酒を飲むのは人生2度目ですね)」


 口の中に広がるアルコール独特の苦みと芳醇な香りが初めて酒を飲んだ時を思い出させる。

 飲み込むと酒が通った場所が熱を持ちほんのりと暖かくなる。


「(あの時の記憶はなぜかあやふやですが、とても楽しかった気がします)」


 あっという間にグラスを空にし、ロゥはその飲みっぷりに喜びの声を上げる。


「おお、良い飲みっぷりだね」


 ぼーっとした表情のメリッサが彼の顔に手を添える。


「お姉さん?」


 返事はない。

 だが、彼女の視線はしっかりとロゥを捕らえている。



「ただいま帰りました~」


 アネモネが家路につくと室内は真っ暗だった。

 不思議に思いランプを見ると油が切れている。

 普段ならメリッサが切れる前に継ぎ足しているはずだが、そのメリッサは見当たらず加えてロゥの気配もどこにもなかった。

 すでに就寝したのだろうか。


「(寝るにしては早すぎるよね)」


 ひとまずキッチンの棚に常備してある油さしでランプに油を足し、マッチで火をつけた。

 明かりが灯った室内は不可解な状態になっている。

 リビングのテーブルにはつい先ほどまで食事をしていた様子が残っている。テーブルの上にはスープ皿に盛られたシチューのようなものと、千切られたパンが転がっている。

 就寝時には閉めているリビングの窓は空きっぱなし。

 椅子がキッチリ定位置に納まっていない。


「(もしかして敵襲?)」


 争った形跡はないが、2人の不意を衝いて一瞬にして捕獲するような能力を持ったメイドがいてもおかしくはない。

 息を殺し、足を忍ばせ、ゆっくりと移動する。

 まずは1階から順繰りに。

 一番近いメリッサの部屋の前まで歩を進めると扉が少し空いていた。中は暗くて見えず、音はしない。

 ドアノブに手を掛けようとした時に扉に何か布切れが挟まっているのが見えた。


「これ……エプロン?」


 いつもメリッサが身につけている白いエプロンだった。

 几帳面な彼女が大事なエプロンを床に置きっぱなしにしているのはおかしい、いよいよ敵襲の可能性がアネモネの中で濃厚になっていった。

 意を決して扉を全開にするとそこにはベッドで寝そべるメリッサとロゥの姿があった。


「…………何してるの?」

「アネモネ?」


 ロゥはメリッサに抱えられおり、かつ後頭部をがっちりに両腕でホールドされた状態だった。

 そのため、顔をメリッサの胸に埋めており視覚を封じられておりアネモネが声をかけるまで存在に気が付けなかった。

 一方、メリッサは寝息を立てて眠っており、深緑のワンピースのままベッドで横になっている。

 その吐息はアルコールが微かに混じったものだった。


「お酒の匂い……」

「僕が貰って来たお酒をメリッサお姉さんに上げたらすぐ寝ちゃったんだ」


 ロゥのくぐもった声で聞き取りにくいが、アネモネは敵襲でないことに胸を撫で下ろした。


「はぁ、何かあったかと思って心配したよ……」

「ごめんね。あと、ついでに助けてほしいなって」

「はいはい」


 ロゥを掴んでいる腕を外そうとメリッサに近づいた瞬間、目にも止まらぬ速さでロゥを拘束している腕が動いた。


「え?」

「へ?」


 一瞬のうちにアネモネは捕獲され、2人を抱えやすいように先に掴まっていたロゥはいつの間にか体制が変わっている。

 2人はメリッサの肩の付け根あたりを枕にした状態で抱っこされており、背中をメリッサの腕で押さえられ身動きが取れなくなった。

 ロゥとアネモネはメリッサの双丘が間にあるが、互いに顔を見合わせる。


「アネモネも捕まっちゃったの?」

「そうみたい……全然びくともしない」


 いくばくかの抵抗を試みるが2人が脱出できる兆候もメリッサが起きそうな気配もない。


「……」

「……」


 ロゥとアネモネは再び顔を見合わせる。

 メリッサの胸がが邪魔でお互いに顔の半分しか見えていない状況だった。


「もしかして朝までこのままかな?」

「たぶん……まだご飯食べてる途中だったのに……」

「……私なんてお風呂も入ってないよ」


 2人諦め早々に意識を睡魔へと手放した。

 そして、朝。

 一晩中同じ体制で眠り続けた2人は体中に不自然な凝りを感じながら、ベッドの下、つまり床で土下座をしているメリッサを眺めていた。


「申し訳ありません……」


 消え入りそうな声でメリッサは土下座をしたまま謝罪した。


「主を差し置いてお酒を頂いたばかりか、それが原因で職務を放棄して寝る等という愚行……さらにお2人を一晩中抱きしめていたなどど死ねと言われれば即座に自刃致します」

「大丈夫だよ。昨日は疲れてたみたいだし。僕は気にしてないよ。ね、アネモネ?」

「そうですね。いつもお世話になっているのでこれくらいのことは気にしてません。お酒で見っともない姿を晒すのはどうかと思いますけど」

「アネモネがそれ言っちゃうんだ」


 森での送別会で見っともなく酔っぱらった姿を晒したアネモネを思い出し、思わず口が滑った。


「ロゥくん、何か言った?」

「……ナニモ」


 メリッサはそこでようやく顔を上げる。


「本当に申し訳ありません。もう二度とお酒は飲まない事を誓います」

「暴れたわけでもないから、そこまでしなくてもいいんじゃない?」

「そうなのですか……私は昨日の晩の記憶もあやふやでして。とても気分が良くなったのは覚えているのですが……」

「赤ちゃん言葉で僕を抱っこして、自分の部屋に入ったらすぐ寝ちゃったんだよ」


 ドゴ、っと頭を床にたたきつける音が聞こえた。


「大丈夫? すごい音したけど」

「……殺してください」


 弱々しい声で今にも消えてしまいそうだった。


「ちなみにどんなこと言ってたの?」


 アネモネが興味本位で聞いてみた。


「『ろーちゃまは良い子でちゅね~。めりっちゃと一緒にねんねしましょうね~』」


 ゴンゴンゴン。

 メリッサが床に穴をあけそうな程頭を叩きつけている。

 さすがにまずいと思ったのかロゥは口を閉ざし、アネモネはメリッサへ近づき治癒を施す。


「落ち着いて、お姉さん!」


 魔力を纏い、メリッサを床から引きはがす。

 真っ青な顔色で彼女は虚空を見つめうわ言を繰り返している。


「死なせてください。死なせてください」


 それから落ち着くまでしばしの時間が必要だった。


「はぁ~、もうお酒はコリゴリだよ……」


 身近な人間が酒に酔って普段からは想像もつかないような姿になったのを2回も見てしまい、飲んでもいないのに酒に対し抵抗が生まれてしまったのだった。

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