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最果ての森のハーフコボルト  作者: よよまる
魔人のアネモネ
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7-1.今日からナースさん

7章始まります。よろしくお願いします。

「はじめまして、騎士団の紹介で来ましたアネモネと申します。よろしくお願いします」


 アネモネが病院での見習い初日。

 そつなく挨拶をすると病院に勤める医師、看護師は拍手で迎え入れてくれた。


「アネモネの担当は彼女だ。わからないことはどんどん質問したまえ」


 院長の男が示した先にはアネモネの知った顔がある。


「あらあら、また会えたわね」

「あなたは……クラリスさん」


 アネモネがこの街へやってきた日に教会で出会った女性クラリス。

 お互いに思わぬところで再開することになった。

 クラリスとの再会という驚きがあったものの、アネモネの仕事は最初は洗濯や荷物運びなどの雑用から始まった。

 数日後には仕事に慣れ、病院の間取りや物資の場所を覚えられた。


「アネモネちゃん、疲れてない? 力仕事が多いから筋肉痛とか残ってるんじゃないかしら?」


 クラリスはたびたびアネモネのことを気遣う。

 仕事に慣れない頃も小まめなフォローを入れ、アネモネが早くに仕事を覚えられたのも彼女のお陰だと言っても過言ではない。


「最初の頃は辛かったですけど、今は寝ればどうにかなります」

「そう? 若いから回復が早いのね」


 病院に勤める人間とアネモネを比べてしまえば確かに彼女は若いだろうが、クラリス自身も病院内では若い部類に入っている。


「おや。クラリスさん、こんにちは」

「こんにちは。いいお天気ですね、お散歩ですか?」


 クラリスは病院内では人気者だ。

 院内を歩けば今みたいに患者に話しかけられ、職員一同からは仕事が丁寧ということで評価が高い。

 若く美人なうえにどのような人に対してもやさしく接しており、彼女を悪く言う者はいない。

 アネモネは彼女を間近で見ていて人に好かれる素養に満ちた人だと感じていた。


「アネモネは覚えが早いね」


 さらに数日後、院長が感心したように朝礼で言った。


「時間に正確で一度教えたことはきちんと覚える。若いのに大したものだ」

「クラリスさんの指導のお陰です」

「勤勉な上に謙遜までできる。こんな若さでは中々両方できないぞ?」

「恐縮です……」


 できればあまり目立ちたくなかったアネモネだったが、病院内で一番評判が良いクラリスの元で仕事をしているとそれは叶わなかった。


「今日は新しい仕事だ。今までのものよりもずっと難しく、そしてずっと過酷だ。

 時には辛いこともある、人の死を間近でみることもある、できそうかね?」


 院長は褒めていた時の声色とは打って変わり、低く沈んだ言葉をアネモネに投げかけた。

 おそらく、今までの雑用とは違い患者に接するのだろう、と彼女は推測した。

 重篤な病人や悲惨な死、気がおかしくなってしまった患者など子供が受け入れるには酷な現実がこれから待っている。

 少しでも戸惑うような仕草を見せれば院長は時期尚早として引き続き雑用や別の事務処理の仕事を割り振ろうと考えていたが、アネモネはすぐに頷いた。


「はい、できます」


 地獄ならすでに見た。

 ここに来たのはロゥの役に立つようになるため。

 そのために必要なことはすべて受け入れる。

 アネモネの覚悟は大人でさえも持つことが難しい確固たるものだった。


「うむ、いい返事だ」


 満足げに院長は頷いた。

 心配していたのは杞憂だと分かり、将来有望な若葉を前に目を細めた。


「ガーゼ10枚、急いで!」

「清潔なタオルとお湯はまだか!」

「落ち着いてください! もう魔物はいません! 落ち着いて!」


 病院には緊急処置室と呼ばれる大きな部屋があり、事故などで迅速な治療が必要な人間が運ばれてくる。

 戦場のように医師や看護師が走り回り、凄惨なけがを負った人間がベッドの上で悲鳴を上げている。


「ガーゼ10枚ここに置きます」

「清潔なタオルです、お湯は今運んでいます。扉を開けておいてください」

「鎮痛剤持ってきました」


 アネモネは目を背けたくなるような現場でも自分にできることをする。

 雑用の時に物資の場所は覚えていたのですぐに持ってこれ、小柄な子供故に物があふれる緊急処置室を身軽に移動できた。

 何よりも彼女はこの緊急処置室では重要な要素、『血を恐れない心』を身につけていた。

 生命の証である赤い血。

 けが人は、これほどの量が収まっていたのか、と思うほど大量の血を流す。

 湿った鉄の臭いが部屋に充満し、心の弱いものは嘔吐し、ひどい時には失神する。

 二度と医療の現場に足を踏み入れられなくなる者さえいる。


「処置済みの物は持っていきます」


 空になった箱に血や体液の沁みついたガーゼやタオル、包帯、手袋を詰め込みスペースを作る。

 目の前の患者に集中している医師や看護師は心の隅で驚いていた。

 勉学ができ、血筋の良い人間は多くいる。

 そういった『優秀な人材』は机上と現場での違いに戸惑い何もできない。

 机の上で行った勉強は現場で役立つことは少ない。

 逆に現場での経験は机の上で勉強した何十倍もの力になる。

 騎士団拠点での治療も魔物との戦いも、ロゥとの出会いから彼女の中で蓄積され、経験となり彼女の血肉へ変えていた。



 運ばれてきた3名の重篤患者の処置が終わり、アネモネは後片付けをしていた。

 血で汚れたタオルとシーツを水の溜まったタライに浸し、ガーゼや包帯などの消耗品は補充しておく。


「お疲れ様、アネモネちゃん」

「クラリスさん、お疲れ様です」

「先生たちも褒めていたわ。自分のできることを考えて動いていた、それでみんな助かったってね」

「ありがとうございます」

「ねえ、聞いてもいいかしら?」


 アネモネは手を止めてクラリスへ向き直る。


「どうして病院に来たの?」

「大切な人の役に立つためです」

「それは素敵なことね。

 自分の目標が持てない子が最近は多いって聞くから、アネモネちゃんの揺るがない想いが皆に伝わっているからこそ、みんな褒めていると思うの。

 だから、もっと自分の成功を喜んでもいいのよ?」

「自分の成功を?」

「ええ、大切な人に喜んで貰えることが重要なのはわかるわ。

 きっとアネモネちゃんの全てなのね。

 でも、貴女が得た経験や成功は間違いなく貴女自身の物なの。

 今は結果に伴う過程や副産物に見えるかもしれないけど、それを喜んでいけない事にはならないわ」


 生まれた時から他人のために死ぬ運命だった彼女は心の拠り所を他者へと求めた。

 かつては父と母、今はロゥが彼女の中心だ。

 これまでの人生に自分自身を顧みたことがあるだろうか。

 彼女にはわからない。

 そんな風に考えたことは一度もなかったかもしれない。


「だからね、アネモネちゃん」


 クラリスはアネモネの手を取り、視線を合わせた。


「もっと自分を大切にしてね。そうしたら、これからの人生は素晴らしいものになるわ」

「……はい」


 アネモネにはまだ彼女が言っていることはわからない。

 これまでの人生。

 これからの人生。

 その価値を上げるも下げるも自分自身なのだろうと言うのはなんとなくわかった。


「余計なことだったらごめんなさいね。じゃあ、仕事に戻るわね」

「いえ。ありがとうございました」


 クラリスが立ち去り、残されたアネモネは再びタライに貯まった汚れものに向き直る。

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