6-幕間.街角にて
アネモネは1人街を歩いていた。
時刻は昼下がり。メリッサは清掃の仕事へ出かけ、ロゥも駆け出し冒険者としてあちこちを走り回っている時間だ。
無論、アネモネも何もしていないわけではない。
彼女は病院で見習いをしており、最初のうちは雑用・雑務を覚えるのがどの業種でも一緒である。
シーツ、タオル、包帯を洗い、水を吸って重くなったそれらを屋上まで運び干すだけでも重労働だ。
看護師は動けない者や体の不自由な者を世話する際にどうしても腕力が必要になって来る。見習いの頃からこういった重労働をすることで看護師になっても苦にならないようにするのが目的の一つだった。
「ふう、でも体の良い雑用係よね」
本日は朝早かった半面、昼には病院の仕事が終わった。
病院に勤めてから常に仕事終わりには筋肉の酷使による倦怠感に包まれている。
すぐに回復を行うので大したことではないのだが、肉体労働のせいで腕が太くなるのではないかと乙女的な観点での心配はあった。
「腕太いとロゥくんに嫌われちゃうかな?」
ほっそりと白い二の腕を摘み、些細な変化に一憂する。
他者から見て問題なくとも難しい年ごろの娘は気になりだしたらきりがない。
家に向かい街の大通りを歩いていると見慣れた姿がチラリを見える。
「あ、ロゥくん」
どんなに人がいてもロゥの姿だけは必ず見つけられるアネモネの秘めた特技だ。
この時間は冒険者として活動しているはずだが、偶然街で出会う可能性は0ではない。
声を掛けようと歩幅を大きめに進むと、ロゥの隣に見慣れない人影が共に歩いていた。
「ねぇねぇねぇねぇ」
「僕は依頼中なんだけど」
ロゥと親しそうに拳闘士風の少女と話していた。
アネモネの表情が固まった。
「(……誰?)」
さっと物陰に隠れた。
なぜ自分が隠れたのかはアネモネにもわからなかった。
「お嬢ちゃん、そこ邪魔なんだけど……」
彼女が隠れたのは果物店の積み荷の影だった。
強面だが優しいと評判の店主が困った顔でアネモネに物申すが彼女の耳に届いていない。
人の良い店主は強引にどかすこともできずに彼女を横目に商売を続けるしかなかった。
「依頼って言っても土嚢積みでしょ」
拳闘士風の少女はロゥが手にする麻の袋に視線を向ける。
ロゥは建築を生業にしている職人の手伝い、現場で使う土を入れた麻の袋を馬車の荷台へ積み込む最中だ。
子供にとっては土嚢1つでも持つのがやっとだが、ロゥは魔力を身に纏うことで軽々と片手で持ち荷台へと放り投げる。
最初は依頼主も一緒に積み込んでいたがロゥの働きぶりにその場を預け、別の持ち場へと行っていた。
「そんな依頼より私に付き合って修行しようよ!」
拳闘士風の少女カレン。以前ロゥに助けられた若手冒険者で構成されたパーティの一員だ。
他のパーティメンバーの姿は見当たらない。
「パーティのみんなで冒険にいかないの?」
「それがさー、この前ロゥくんに助けられてから、各自で修行するって話になったわけよ。週に1回はみんなで冒険してるんだけどねー」
「修行? なんでまた?」
「そりゃ、ロゥくんの戦いを見せられたら誰でも修行したくなるわよ」
「ふーん? ならカレンも修行すればいいじゃん。僕は依頼で忙しいの」
「そこよ!」
ビシっとロゥに指を突き立てるカレン。
「トーマはあんなに嫌がってたお父さんと一緒に冒険して色々教わってて、リュークは入るのも難しい弓の流派に入門しちゃうし、オルテシアは必殺技の開発だって言って難しい魔導書を何冊も読んで家から出ないし!」
「それでカレンは?」
「私だって修行したいけど! でも、拳闘士の先輩もいないし、大人だけのパーティに私みたいな子供が入れるわけないじゃない! 修行したくてもできないのよ! わかる!?」
もう片方の手でもビシっと指を突き立てる。
鼻の先に2本の指を出され、邪魔になって困っているロゥを尻目にカレンは熱弁を振るう。
「そこで、私より強くて私と同じくらいの年で私と同じ冒険者がいるじゃない!」
「僕のこと?」
「YES! YES! YES!」
今度は顔が近づいてきた。
指2本とカレンの顔面に前を塞がれ完全にロゥの作業の手が止まる。
「他当たってよ。僕だって冒険者としてお仕事しなきゃいけないんだから」
「そんなこと言わないで助けてよー! 私だけみんなより弱っちくてパーティから追い出されたらどうするのー!」
とうとうロゥの腰に抱き着き泣きが入る。
腰を掴まれ、とうとう物理的に行動を止められてしまいロゥはカレンを迷惑そうに見下ろす。
しかし、なりふり構わないカレンは尚をもわめく。
「わかった、わかったよ。もう。これが終わったら修行に付き合ってあげるから邪魔しないでよ」
「ほんと!」
駄々をこねて顔を皺くちゃにして泣き叫んでいたがすぐにカレンの表情に花が咲いた。
あまりに現金なその姿にロゥは閉口する。
「じゃあ、こんな仕事ちゃちゃっと終わらせましょ! ほら、私も手伝ってあげるんだから! って、重! なにこれ、なんで片手でホイホイ持ってられるのよ!」
「うるさいなぁ。魔術だよ。ほら、腕のところ黒いでしょ、これ魔力で覆ってるの」
「ずるい」
「ずるいって言われても」
「私なんて女の子なのに毎日腕立てとかして太くなるのを我慢してるのにロゥくんは魔術に頼っちゃうわけ?」
「そんな事言われても知らないよ。僕は腕が太くても気にしないし不健康に痩せてるよりは全然好きだよ」
その言葉がアネモネの耳に入り、鼓膜を震わせた。そして、振動は細胞が電気信号に変換し脳へ伝達され、脳が電気信号を解析しその意味を理解する。
「!」
カレンがロゥの腰に抱き着いたあたりから無意識に大量の赤い花弁を生成していたアネモネだが、その言葉を聞いた瞬間に脳内に春が訪れた。
最近の悩みが解消されるどころか、むしろプラスへと好転したのだ。
思わずガッツポーズして自分の大腿二頭筋あたりを見つめてしまう。
「うふふ」
不審な行動をしていたアネモネが突如笑い出し、近くにいた果物屋の店主はびくりと肩を震わす。
「なんか、修行と言ってたし冒険者の仲間よね。そうよ、きっとそう。私は余計な寄り道をしてないでロゥくんが帰ってきた時のためにメリッサさんのお手伝いでもしようっと」
人生の絶頂とも錯覚できる幸福感に満ちているアネモネは隠れるのをやめ、鼻歌交じりに家の方向へ歩いていく。
奇妙なものを見るように果物屋の店主は彼女の後ろ姿を見送るのだった。




