1-4.黒い頭蓋
巨石のようなミノタウロスの拳がロザリアへと迫り来る。
「甘い!」
しかし、彼女は冷静だった。
彼女は左腰に差していた鞘を左手で逆手持ちで引き抜き、そのまま横一文字に薙いだ。
≪見えざる護剣≫
魔力で構成された不可視の刃がミノタウロスの残った右の眼球までも奪う。
『がぁああぁあああ!?』
悲鳴を上げミノタウロスが後退し、捕らわれていた剣をその隙に引き抜いた。
鞘から手を離し、魔力を剣へ集中させ≪見えざる護剣≫を展開する。
ロザリアは錯乱するミノタウロスを見据え、踏み込む。
「はぁあああああ!」
魔力により威力、範囲を増強された剣劇がミノタウロスの首を胴から切り離した。
宙を舞うミノタウロスの頭部がロザリアの足下へ転がるのと同時に胴体が重たい音を立て地面へと崩れ落ちた。
その様を確認するとロザリアは剣についた血を振り落とし、鞘を拾う。
「借りは返したぞ」
沈黙したミノタウロスに告げ、刃を鞘へと収めるのだった。
☆
「お姉さん!」
森の中から小さな獣人の少年が現れた。
慌てた様子であちこちに葉っぱや小枝をくっつけ、息も絶え絶えになっていた。
「ロゥくん?」
「お姉さん、魔物が!」
「ああ、安心するんだ、この通り」
「違う! 後ろ!」
その言葉で彼女はすぐに振り返る。
あり得ない光景だった。
首を失ったミノタウロスの胴体が立ち上がっていたのだ。
常軌を逸した事態に彼女の反応は一歩遅れた。
「っ!?」
抵抗ができない強力な攻撃により、ロザリアは吹き飛ばされた。
ミノタウロスの胴体は虫を払うかのような動作で彼女をロゥの頭上を越え、大木へと激突する。
「がはぁ!?」
ミノタウロスの胴体は可視化するほど濃厚な黒い魔力に覆われている。
その黒い魔力は徐々に大きくなり、失った頭部を形作るかのように密集した。
頭蓋とハッキリわかるまでに魔力が形成されると、窪んだ眼窩がロゥを見据え、歪んだ口元が開かれる。
『ぉおぁあぁあああああああああぁあぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁああああぁぁぁぁああああ!』
絶叫。
黒い頭蓋が咆哮をも超えた声を放つ。
「(くそ!)」
立ち上がろうとするがそれは叶わない。
「…………ぐっ!」
言葉にできない激痛が全身を襲い、噴き出る汗、痙攣する指先。
体は火を出しそうなほどに暑いのに汗が止まらない。息ができず、視界がぼやける。
ただし、思考だけは嫌なほど冷静だった。むしろ朦朧としてくれた方が痛みを感じずに幸せだったかもしれない。
『ぉぉおおおおお!』
うねり声が彼女の耳に届く。
「(どういうことだ、やつはなにを、いや、それよりもロゥくんを避難させなければ!)」
しかし、その想いも叶わず、声すら出せない状態だった。
彼女は死ぬことに抵抗はなかった。
騎士として生きることを決めたときにベッドの上では死ねないことを覚悟はした。
「(くそ、ロゥくん…………! 逃げろ、、逃げてくれ!)」
自分のせいで彼の住む森にミノタウロスを連れて来てしまった自責の念が最後まで胸に残る。
どす黒い魔力を纏った異形の存在がロゥの目の前まで歩み寄っていた。
「お姉さんを殴ったね?」
死地には不相応な口調だ。
同時にロゥの右腕に黒い魔力が集中する。
その魔力はミノタウロスの纏うものよりも純粋な黒さだった。
吸い込まれそうなほど、目を惹かれる美しさを持つロゥの魔力は次第に右腕を覆う
「(な……)」
ロザリアは目をむいた。
ロゥの右手から可視化できるほどの濃い魔力が溢れ、腕の形に形成されていく。
ミノタウロスの剛腕よりも太く、荒々しい腕を振りかぶる。
『おぉぉおぉぉおぉぉぉぉおおおおおお!』
それに呼応し、ミノタウロスは両腕を上げ、ロゥを叩きつぶそうとする。
「お姉さんをいじめるな」
ロゥはただ腕を引いて突き出すだけの簡単な動作を繰り出し、振り下ろされたミノタウロスの両腕をいともたやすく砕く。
さらに頭蓋の乗ったミノタウロスの胴体に拳をたたき込み、空気を破裂させた。
ミノタウロスが立っていた場所には、本来の姿の面影を失った下半身のみ残され、後方には砕け散った死骸が広がっていた。
ロザリアはその光景をただ唖然と見ているしかできなかった。
☆
「お姉さん」
倒れているロザリアの体を起こし、兜を外した。
額は汗で髪が張り付き、口からは血が溢れていた。
お世辞にも無事とは言えない有様だが、彼女は気丈にも笑って見せた。
「ああ、ありがとう・・・・・・。また、助けられてしまったな・・・・・・」
「しゃべっちゃダメ」
ロゥはミノタウロスの攻撃によって破損している鎧を剥がし、ロザリアは徐々に身軽になっていく。
腹部には大きな青あざ、内出血ができており骨が折れて内臓を痛めている可能性があった。
「お姉さん、僕の家まで運ぶね」
ミノタウロスを倒した、黒い大きな腕を形成しロザリアを優しく包む。
黒い手は彼女を簡単にすくって持てるほどの大きさだった。
「ぐっ……!」
ゆっくりと持ち上げたつもりだったが、些細な振動でもロザリアから苦しむ声が漏れる。
無理に運べば悪化しかねないため、ロゥはロザリアを元の場所に横たわらせ、黒い腕を解除した。
「お姉さん、ごめんね」
「だ、大丈夫だ」
その時、茂みが揺れる音がした。獣人だからこそ聞き分けることのできた小さな音だ。
「(大勢の何かが近づいてきている……)」
魔物だった場合、ロザリアを抱えたまま戦うことは難しい。彼女に負担がかかるが、全速力で逃げようかとロゥが考えた時、新しい音が聞こえた。
「隊長!」
「いらっしゃいませんか!? 隊長!」
「ロザリア隊長!」
複数の男の声が聞こえ、中にはロザリアの名を呼ぶ者もいた。
その声は徐々に大きくなり、ロザリアの耳にも聞こえるようになった。
「この声って?」
「・・・・・・ああ、仲間だ」
☆
ロゥは形成していた黒い腕を解除し、ロザリアを木の根元に寝かせた後に茂みの方へと隠れ動向を見守ることにした。
ロザリアの仲間、騎士団の隊員たちが合流し、状況はめまぐるしく動いた。
「後は私たちに任せてくれ」
隊員の一人がロザリアを心配そうに見ていたロゥにそう声をかけた。
「要救護!」
「救護入ります!」
副隊長の男が指示を出し、他の隊員たちはそれに従いロザリアに治療を始めた。
ミノタウロスの死体が近くにあったので、臭いを嗅ぎつけてきた動物や魔物を追い払うため、数人の隊員は辺りを警戒している。
「骨折複数、一部内臓に達していると思われます。エリクシール使用の許可を!」
「エリクシール許可!」
「エリクシール使用します!」
衛生兵である隊員が背負っていたリュックから革製のポーチを取り出した。
ポーチは厳重に紐で縛られており、解いた後も何重にも布が巻かれている。布を取り外すとようやく小さな小瓶が姿を現した。
「隊長、エリクシールです。飲んでください」
衛生兵に抱きかかえられ、ロザリアは小瓶に口を付け中の液体を体へと流し込んだ。
赤い液体が数滴唇を伝い顎から滴り落ちるが、衛生兵は気にせず中身をロザリアが飲み終わるまで小瓶を傾け続けた。
「う、っぐ…………!?」
激痛に見舞われロザリアが苦痛で声を漏らす。しばらくの間、苦しそうに息を吐いていたがゆっくりと平静になっていった。
そして、再び瞼を開け、周りにいる隊員の顔を一人ひとり確認した後に口を開いた。
「すまない。もう大丈夫だ」
「隊長! ご無事でなによりです!」
衛生兵が喜びのあまり大きな声を出すが、すぐに我を取り戻し努めて冷静に話した。
「しばらくは安静にする必要があります。安全な拠点に移動しましょう」
「ああ、そうだな。全員、拠点まで移動だ!」
『はい!』
ロザリアの号令により、隊員の声が揃う。
まだダメージが完全に抜けきっておらず近くの木の幹にしがみつきながらやっとの思いで立ち上がると、隊員の一人が肩を貸そうとするが手でそれを制した。
彼女は近くの木に手を添えながら歩いた。その先には木の陰からひょっこり出ている犬耳がある。
「ロゥくん」
「うん」
ひょっこりと顔を出す。
「隊長、あの獣人の少年は?」
副隊長の男は少し警戒した声色でロザリアに耳打ちした。
「森で私を発見し、今日まで世話になっていた人物だ」
「それでは、隊員一同でお礼を!」
副隊長がロゥに歩み寄ろうとし、ロザリアはそれを手で制した。
「いや、今回は私一人で良い。皆は先に行っていてくれ」
「そうですか、わかりました」
ロザリアは彼に最後にちゃんと別れを告げるため、自分の足で彼のもとに赴いた。
「私は予定通り、仲間と拠点へ戻るよ」
「うん」
「最後にまた助けられてしまったな。あんなに強いなんて知らなかったよ」
「えへへ」
「お陰で私は生きていられる。絶対に私はこの恩を忘れないし、返しに戻ってくるよ」
「うん、また会おうね」
「ああ、絶対だ」
そして、最後にロザリアは鎧の籠手を外し、ロゥに差し出した。
彼女は今までのように子供として扱わなかった。
戦場では戦友と別れを付ける際、握手をする。
ミノタウロスを倒した勇敢な人として、命を助けてもらった尊敬できる人として、ロゥを認めたからこその握手だった。
「えへへ」
ロゥは嬉しそうに再開の誓いを込め、ロザリアの手を握り返した。