6-1.町へ
「おおー、馬車。馬だ」
「私、初めて見た」
ロゥとアネモネが馬を見て目を輝かせていた。
搬入業者が乗ってきたのは街でポピュラーな帆付きの荷台を引いた馬車だ。
街に行けば取り立て珍しいものではないが森で育った2人とって平野を走る馬は馴染みのないものだった。
「坊やたちは馬を見るのが初めてなのかい?」
「うん、本では知ってたけど」
業者の男は興味深そうだが遠目に見ている2人の元へ馬を誘導した。
「ほら、触ってごらん。後ろには回っちゃだめだよ、蹴られるからね」
「ありがとう、おじさん!」
「ありがとうございます」
2人は馬の顔や胴体を撫で、馬は馬で気にせずに草を食んでいた。
「お嬢様、どうかお気を付けください」
荷台の側ではヘンディとトロワが別れを惜しんでいる。
「わかっているわ。ヘンディもちゃんと帰って来るのよ」
「はい」
彼はまだ魔力切れの影響で満足に動くことができず、今も付き添いの騎士に無理を言ってこの場まで連れてきてもらっていた。
「別れは済んだようですねぇ」
屋敷までの護衛役になったシトロンはすでに台車の中で座っている。
「シトロン殿、お嬢様をお願いします」
「ええ、重々承知しております」
ヘンディは血が滲むほど拳を握りしめている。
トロワの身を守る役目を明け渡さざるを得ない自分自身を許せなかった。
彼の心境を汲み取ったシトロンは真面目な表情で頷いた。
「お世話になりました」
「ロゥくんたちの世話をよろしく頼む」
「次来るときは酒を持ってきてくれ」
メリッサがロザリアとヴァルサガに挨拶をしている。
その後ろではメイド同好会の同志一同が彼女の出発を涙ながらに惜しんでいた。
「ああ、俺たちの清涼剤……」
「……またむさ苦しい生活に戻るのか」
彼らの中ではロザリアとヴァルサガは女性にカウントされていないらしい。
各々が別れを済ませ、出発となった。
ロゥは荷台から手を振り、見送りの騎士達も彼に答え手を振替していた。
「いってきまーす」
ロゥと仲の良かった者が別れの言葉を送る。
「じゃーなー」
「また帰ってこいよー」
お互いに姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
ロゥたちは森の外へと旅立つのだった。
☆
森の外の景色に目を輝かせているうちに森から一番近い町へと到着した。
道中に魔物が出ることもなく予定よりも1日早く予定を前倒しできた。
「町だー!」
ロゥがこれまでに出会った人間の数をすべて足しても、今視界に入るすべての人間より少なかった。
人の数、未知の品々、活気ある音、食欲をそそる匂い、すべて彼が経験したことのないものばかりだった。
「メリッサお姉さん、あれはなに?」
「露店ですね。あそこに陳列している商品を賃金もしくは同等の価値の物と交換することができます」
「あれは?」
「酒場です。賃金を払うことで酒や食事を提供してもらえます」
「すごーい!」
大はしゃぎするロゥ。
「ロゥくん、あまりはしゃぐとお上りさんだって思われちゃうよ」
実際お上りさんなのだが、アネモネはいたって落ち着いていた。
「アネモネは興味ないの?」
「ないことはないけど」
先ほどからロゥほどではないがアネモネも初めて見るものに視線を奪われていた。
「先に宿をとってから町を見て回りましょう」
「はーい」「はい」
3人が宿屋へ向かうと、先にトロワとシトロンが受付で部屋をとっていた。
「おや、皆さんもここにしたんですか?」
「ロザリアさんから教えていただいたので。他は冒険者用の酒場が兼用しているらしいので夜は騒がしくなるそうです」
「そうですねぇ。女性や子供が泊まるにはここしかなさそうですね」
メリッサとシロトンの会話を聞き、受付の店主が申し訳なさそうに言った。
「すみません。あと2人用の部屋1つしか空いてなくて。ベッドが2つしかないんですよ」
「大丈夫です。私が床で寝ますので」
「いえ、それには及びません」
アネモネがメリッサと店主の会話を聞いて割って入る。
「それなら、私とロゥくんが同じベッドに寝れば解決です!」
「お二人にそのようなことをさせるわけには」
メリッサが首を横に振ろうとした瞬間、受付に置かれた花瓶の花が音を立てて爆ぜた。
「うお!?」
店主は驚き花瓶を見る。綺麗に咲いていた花は無残な姿となり、赤い花弁が床に散らばっていた。
「大丈夫ですから。ほら、私達なら2人で寝てもベッドは余りますし。ね?」
先ほどより声のトーンが下がったアネモネが笑顔で告げた。
笑っているのにも関わらずメリッサは彼女から言いようもない圧迫感を感じ、頰に一筋の汗が流れる。
「……わかりました。その2人用の部屋をお願いします」
「え? ああ、はい」
花に気を取られていた店主はメリッサから賃金を受け取り部屋の鍵を渡した。
「私とトロワさんは1階の突当りの2部屋にそれぞれ泊まります。何かあったら訪ねてください」
「はい。次の乗合馬車の日程までは各自自由に行動でよろしいでしょうか」
「そうですね。できれば団体行動を心掛けてください。私は護衛なのでトロワさんが外出する場合は一緒に行動します」
「承知いたしました。では失礼します」
「はい。よき旅を祈っています」
2人と別れ、ロゥたちは3階まで登る。
3階には部屋が彼らが宿泊する2人用の部屋のみだ。
メリッサが部屋についてまずやったことはベッドの下、棚裏、天井の確認だった。
「メリッサお姉さん、なにやってるの?」
荷物を持ったまま入口でロゥとアネモネが彼女の奇妙な行為に目を丸くしていた。
「念のため危険がないか確認をしておりました」
スカートに付いた汚れを落としながら、メリッサは当然のように言う。
「お二人は博士から狙われている身ですので、待ち伏せして罠を仕掛けられている可能性も考慮しなければなりませんから。
さて、荷解きを致しましょう。限られたスペースですので必要なものだけ取り出しましょう」
☆
3人は町を見て回ることにした。
目立つのを避けるためにメリッサはエプロンを外し、シニヨンにしていたブルネットの髪を下ろしている。
服装は深緑色のワンピースを纏い、町の人々に溶け込んでいる。
町とはいえメイドの姿は見当たらない。
メイドを何人も雇う貴族はもっと大きな街に暮らしており、この町でメイドとは人手の足りない家に顔見知りが手伝いに行くようなものでしかない。
「メイドたるもの命の危機にあってもメイド姿であるべき…………ですが、お二人のため、ここは信念を折りましょう…………折りましょうとも」
目立たないための工夫であったが彼女の中で大きな葛藤があったらしく、無表情の彼女には珍しく眉間にしわを寄せながらエプロンを外していた。
町の散策は万が一を考え、人通りの多い場所を選んでいる。
初めての町ということもありロゥはあちらこちらへ興味を惹かれていく。
「おじさん、3つください!」
ロゥが硬貨を差し出し、肉を焼いていた年配の男は彼にできたての商品を渡す。
「ほら、大きいの3つだ! たんと食べな!」
「ありがとう!」
ロゥは初めて硬貨を使った買い物をしてご満悦だった。
「ちゃんとできたよ」
「ええ、ばっちりです」
硬貨は騎士団からも支給されてたものだ。
森に住む人間へ立ち退きと町への転居を依頼した場合、道中の路銀を騎士団は負担する。
「はいはーい、そこの奥さん。お野菜いかが? 今朝収穫した新鮮なやつだよ」
「魚来たよー! 早い者勝ちさ!」
3人は串焼きを頬張りながら露店が並ぶ通りを進む。
人の多さに加え、様々な店が声を出し商品を売っている光景は森から来たロゥとアネモネには新鮮でいくら見ていても飽きない。
「そこのお母さん!」
「……私ですか?」
「そうそう!」
露天商がメリッサに声をかけた。
どうやらロゥとアネモネをメリッサの子供と勘違いしている。
「夕飯のメニューにチーズなんてどうだい? ミルクやバターもあるよ。2人のお子さんも大満足間違いなしさ! 子供は大好きチーズミルクバター!」
無表情のまま露天商へ近づき、平坦な声で彼女は言った。
「私は独身です」
無。
彼女の表情はまさに無。
その表情は露天商の顔が凍るほど凄味がにじみ出ていた。
「…………はい」
メリッサの凄味によって露天商は黙った。
何も買わないまま露店を後にし、すぐ近くのガラス細工を眺めていたロゥとメリッサに追いつく。
「何か買ったの?」
「いいえ。行きましょう」
「「?」」
いつもより早い歩調でメリッサは人混みを進んでいった。
☆
次に乗合馬車へ話を付けに厩舎に足を運んだ。
何頭もの馬が一列に並び餌を食べ、水を飲んでいる。
その光景は圧巻の一言に尽きた。
「馬がいっぱいだー」
ロゥは端から端へ馬を眺め始め、アネモネも彼について回る。
メリッサは乗合馬車の出発はいつかと尋ねている。
「それがよぉ、魔物が出て通れねーんだわ」
「魔物、ですか」
厩舎の男の話では数日前から魔物が道を塞いでいると言う。
その道は山の横っ腹にできた狭く足場の悪い道のため逃げ場がなく危険極まりない状況だった。
「騎士や冒険者への依頼は出しているのでしょうか?」
「出してるんだけどよぉ、この町には騎士団の詰め所とギルドがねーんだわ。
普段は商人の護衛でやってきた冒険者くらいしかいねーから、ギルドがある町に応援を出すんだけど山が使えないってことは迂回しにゃならんわけさ」
「どうしても時間がかかる、というわけですか」
「そだな」
話を聞いていたロゥが厩舎の男に拳を突き出しながら提案した。
「じゃあ、僕たちがやっつけるよ。それなら冒険者を待たなくてもいいんでしょ?」
「ははは、頼もしいのぉ。でもあぶねぇから、今は大人に任せえ」
男は笑う。ロゥを元気の良い子供と思い気を良くして男は笑う。
結局、魔物がいる間は乗合馬車は休止のため3人は宿へと戻ることにした。
夜になり、トロワとシトロンを混ぜて今後の話し合いを設ける。
「道に魔物ですか…………」
トロワは顔に影を落とす。
「狙われている身としては同じ場所に長くはいなくないですねぇ。しかし、戦える者で魔物の討伐に出向けば残った者が無防備になる。ここは素直に『待ち』でしょうかね」
「シトロンさんのご意見は誰もリスクを負わない前提のお話かと思います。手段は他にもあるかと」
「リスクを負えば事態を解決できる、ということでしょうか?」
「はい」
「私は護衛の任を命じられているので、トロワさんから離れるような案はお受けできませんよ」
「ええ、承知いたしております。簡単なことです、ここにいる全員で魔物退治に出向けばよいのです」
「それは……」「ほほう」
メリッサの発言にトロワとシトロンはそれぞれ表情を変えた。
相変わらず柔和な笑みを浮かべたままのシトロンはメリッサの案にある欠点を指摘する。
「リスクを負って状況を打破することは否定しません。
しかし、その案では私の護衛対象であるトロワさんが晒される危険は大きいですね。魔物の数や種類が不明ならなおのこと賛成できません」
彼の意見に対し、メリッサは視線を動かす。
同席はしているが話に参加していないロゥとアネモネ。
メリッサは隣に座るアネモネと目を合わせた。
アネモネは意図を汲み、一旦肩をすくめて見せるが頷く。
「アネモネ様は治癒魔術を使用できます」
「素晴らしい才能ですけれど、いくら多少回復の手立てがあるとしても私が納得できるだけの」
「これをご覧頂けば納得するでしょう」
メリッサは刃物を取り出す。
調理用のものではなく、護身を想定して作られた立派な武器のナイフだった。
そのナイフを躊躇することなく自分の首へと突き立てた。
「……っ!」
「おや……」
トロワは息を飲む。シトロンはあまりにも唐突な行動に唖然としていた。
メリッサの首から血が噴き出す。頸動脈を引き裂き、噴出した血潮は床や窓へ散布する。
力なく椅子から落ちそうになった彼女の体をアネモネは手で支えた。
「無茶しますね」
「いえ、これぐらいは必要経費かと」
アネモネの言葉に青白い顔で答えるが、メリッサは平静を装った。
「このように致死の怪我を負っても即座に回復できます」
メリッサはシトロンとトロワに傷が消えていることを見せつけた。
彼女の首や部屋には血が残り、誰かがこの場を見れば凄惨な出来事が起きたと思うだろう。
しかし、その原因となる怪我はどこにも存在しない。
「アネモネ様の治癒魔術とロゥ様の戦闘力があれば問題ないと思われます。リスクは承知の上でこの状況を打破するのが得策かと存じますが如何でしょうか?」
シトロンは視線をトロワへ向ける。
「私はシトロンさんに従います」
シトロンは笑みを消し、顎に手を当て、熟考する。
しばしの長考を経て彼は指を4本立てた。
「そうですねぇ、4つほど申し上げましょう。
1つ目は魔物の種類、数を聞き込み、把握すること。
2つ目は1つ目を踏まえた作戦を用意すること。
魔物討伐を行う場合、この2点を抑えれば勝算がグッとあがります」
シトロンはメリッサがこの2つを揃えられるか試していた。
パーティには戦闘をしない代わりに別の何かに秀でた者がいることもある。
馴れ合いではなくギブアンドテイクで成り立つ関係だからこそ、与えられた役割を全うすることで信頼に繋がるのだ。
「3つ目は忠告になります。
無闇に能力を見せるのはお勧めしません。
殺し屋に限ったことではなく、冒険者、魔術師、騎士など戦いの場に身を置くものとして自分の手の内は公にならない方が良い。
手の内を知られることはつまり自分の自衛手段を無効化される可能性が上がります。せいぜい信頼のできる者のみに開示するのに止めるべきでしょう。
特に私のような殺しを生業にする人間に知られることを避けなければいけません」
強靭な肉体を持つ戦士といえど対策を取られれば命を落とす。
戦いに身を置く者は常に心がけ、実力の高い者ほど隠すのがうまい、というのが世の見識だった。
「そして、4つ目。メリッサさんの決死の覚悟とアネモネさんの能力開示の覚悟に応え、私の能力をお教えしましょう!」
シトロンは嬉しそうに顔へ皺を刻んだ。




