2-5.帰郷
翌朝、アネモネの足は調子を取り戻し歩くことができた。
二人は昨日に引き続き、緩やかな傾斜になっている川辺を歩いていた。
太陽がちょうど一番高い位置になったころ、森を抜け景色がいっぺんに変わった。
「あれ!」
アネモネが声をあげ、ある方向を指さす。その先には岩肌が露出した山が見える。
「あれは私の村が祭っている山だよ」
「じゃあ、そろそろってことかな?」
「うん。あの山の麓に私たちの村があるの」
ロゥとアネモネの視界には地平線の彼方まで広がる草原が映る。今まで辿ってきた川は目印となる山まで伸びている。
草原は歩きやすく、アネモネの負傷した足でも難なく進める。
歩き続けた上に日差しが当たるが、そよ風が心地よく頬を撫で体温が上がった体を程よく涼してくれる。
森の中では湿った土の匂いだったが、草原では青々とした草の匂いが風に乗って微かにする。
生まれてからずっと森で過ごしていたロゥは草原が珍しくに首を右へ左へと何度も回した。
「どこを見ても同じ風景だ」
「あの山の周辺はあまり木とか植物が育たないんだって。だから山の近くのここら辺は開けた草原になっているように見えるけど、実際は森に囲まれているの」
「じゃあ、ここも森の一部みたいなものなの?」
「うん、そうだね。多分、空から見たら森の中にぽっかりと開けた場所に見えるんじゃないかな」
「へえ、森にもこんな場所あったんだね」
二人は順調に進み、夕方には山はずいぶん大きくなって見えた。
そして、山よりは手前の方で煙が上がっているのがわかる。嗅覚の良いロゥにはその煙の匂い、小麦を焼いた時の香ばしい匂いまで一緒に届いていた。
「あ、見えたよ。・・・・・・私の村」
アネモネが煙が上がる方を指差した。しかし、声はどこか不安の混ざったものだ。
嬉しいような、懐かしいような、躊躇っているような、恐れているような。いろんな感情が入り混じった表情をしながら村の方向を見つめる。
「大丈夫」
ロゥはそっとアネモネの手を取る。
アネモネの手にはぎゅっと握られた感触と彼の体温が伝わってくるのがわかった。
「いこ?」
短い言葉でロゥは済ませてしまうが、その手の温もりは力強く頼もしい。
アネモネは孤独を感じながら生きてきた。生まれた時から生贄の宿命を背負い、同い年の子供と同じことはやらせてもらえなかった。
将来、どんな大人になるのだろう、と必死に考えないようにした。自分の命は自分のものではない。そう思い続けた。
誰にも心開けず歩んできたアネモネは獣人の少年と出会い、少しずつ自分が心開けていることに気がつく。
頼もしい。
自分より年下な少年にそんなことを感じるようになっていた。
楽しい。
今までどんなに嬉しいことが起きてもすぐに虚無感に苛まれてきたにも関わらず、この数日は本心から楽しんだ。
「うん」
しっかりと頷き、ロゥの手を握り返した。
自分の足で草原を進む。
昨日の怪我はだいぶ良くなった。
気持ちも前向きになっている。
「(言おう。帰ってみんなに私は生きたいって言おう)」
自分の意思を初めて告げる決意をした少女の横顔は昨日より少し大人びていた。
「ロゥくん」
「なに?」
遠かった村もすぐそこまで近づいていた。
そんなタイミングでアネモネはロゥの目をまっすぐ見て言う。
「私ね、今まで村の掟に縛られて、自分の人生を決められてきたけど、今日から私は私の気持ちを伝えてみたい。
ロゥくんに勇気を貰って少しだけだけど変われた気がするから、だからその少しだけ変われた自分を一人で村のみんなに見せたいの」
「うん」
「ここまで一緒に来てくれたのに・・・・・・ごめんね」
「一人で大丈夫?」
「大丈夫。ロゥくんがずっと私を励ましてくれたから」
「僕、別に励ましてんていないよ?」
「ううん、ずっと一緒にいてくれて、それでずっと大丈夫って笑ってくれたもん。私はすごく励まされたよ!」
ぎゅっと手を握り、お互いの顔が触れそうなくらい近づいた。
アネモネの真剣な声にロゥはつい表情をほころばす。
「わかった。頑張ってね」
「うん。昨日、野宿した岩で待っていて欲しいの」
「あそこで?」
「私の気持ちが受け入れられた時はロゥくんにお礼がしたいし、それに……もし、もしも村の人に拒絶されたら私……」
「そっか。うん、もしその時は僕の村で一緒に暮らそ? そう言ったのは僕の方だもんね」
「ごめんね、ワガママばっかり言って。ちゃんとロゥくんにお礼もしてないのに……」
「大丈夫だよ」
いつものようにロゥは笑う。
それを見て暗い表情だったアネモネは少し胸を撫で下ろした。
「じゃあ、行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
そうしてアネモネは自分の村の方を向き、ロゥは今来た道を戻っていった。
アネモネは昨日受け取った「お守り」を胸の位置で握りしめ、力強く一歩踏み出した。
お互い、振り返らずに進む。
アネモネが村に入ると、そこは自分がいた時と同じ光景だった。
大人は働き、子供は遊んでいる。争いもなく、みんな必死に今日を生きていた。
村人の一人がアネモネに気づき、作業を中断して歩み寄ってきた。
「XXXXXか!?」
驚いた表情で彼女の名前を口にした。
その様子に別の村人も視線をそちらへと向けた。
「生きてたのか!?」
村人が慌てた様子でアネモネへ駆け寄る。
あまりにも驚いたのか手には作業で使っていた桑を持ったままだ。
「村長に伝えねぇと!」
「ちょっくら行ってくる」
それから徐々にアネモネの生還に気づき始める者が増えていく。
家の中から顔を覗かせる者や好奇心を抱き駆け寄る者など現れた。
「さぁて、XXXXXを村長のところに連れていくか。いくぞ」
桑を持った男が頭をかきながら、やれやれと言いたげな顔で独り言ちる。
「あ、はい」
村長の家は村で一番高い場所にある。
しかし、今回のように問題ごとが起きると村の中心にある広場に集まり、村人たちで話し合いが設けられる。
今回も通例に従い、先ほど駆けて行った男が村長を広場まで連れてきていた。アネモネは中心にいた村長の前まで歩んだ。
「生きていたか」
「はい」
「ここまで一人で来たのか?」
「…………はい」
嘘をついた。彼女はロゥの存在を隠した。
ロゥのことを話すのは「生きたい」という自分の気持ちが受け入れられた後だと彼女は思っている。
この村は孤立した環境で集団生活をしていく上での確固たる結束を生むには全員が同じ思想を持ち、行動している。生け贄という風習に関して、村人全員は疑問を持たないのが何よりの証拠だ。
それは危険なことだとアネモネは思う。全員が同じ考えを持ってしまっては、道を踏み外した時に間違っている事に気が付く人間がいないからだ。
そんな村がロゥを知ればどうするのか? 彼女は検討もつかなかった。
ロゥに言った言葉は嘘ではない。しかし、村を前にして分かれたのは彼を守るためでもあった。
アネモネの「生きたい」という望みが叶うのであれば彼を村に呼び、叶わないのであれば彼女は逃げようと考えていた。
「どこまで流された?」
「ここから少し川を下った森の中です」
「そうか。あそこは川幅は広いが流れはゆるいからな」
村長は表情を変えることなく、淡々とアネモネに言葉を投げかける。
周りの村人はその二人の問答を静かに見守る。
「魔物は平気だったか?」
「え? はい、平気でした」
「そうか。あの森は魔物がいるはずだが運が良かったのだな」
ざわり、とアネモネの背筋に冷たいものが通った。
平静を装い続けた表情に焦りが生まれ、落ち着いていた心が乱れる。
「(魔物? 昨日は影も形もなかったのに? 大丈夫、大丈夫、ロゥくんはあの腕がある。逃げることはできる。大丈夫、落ち着いて・・・・・・)」
自分に言い聞かせるように心を無理やり落ち着かせていく。
幸い、村長や村人たちはそのことに気づかない。
「(早く迎えに行きたい)」
そのためには言わなければいけない。
自分の気持ちを、これからどうしたいのかを。
「あの」
「おお、来たか」
アネモネが口を開いたときちょうど村長が村人の方を向いた。
彼女もつられてその方向を見ると、そこには十数年ともに暮らしていた両親の姿があった。
「XXXXX……!」
かつて母と呼んでいた人が駆け寄ってきた。
「生きていたのかい?」
「お母さん……」
再び母と呼ぶことになるとはアネモネは思ってもみなかった。
女性は水仕事のせいでカサついた手でアネモネの手を取った。貧しい生活の中で長い間積もった疲労が顔の皺へと現れている。
その表情は悲しみに染まりアネモネを見ていた。
「生きていたんだね……」
「……うん」
うっすらと涙を浮かべた母の顔を見て、アネモネの目尻にも涙が現れた。
「あぁ……」
母だった女性はくしゃくしゃにした表情でアネモネの手を握りしめ、言葉にならない声を絞り出した。
その隣には顔を伏せる父と呼んでいた男性が立っていた。
「お父さん……」
アネモネの呼びかけには答えず、父と呼んでいた男性は村長の方へ顔を向けた。
「…………村長」
ゆっくりと母と呼んでいた女性とアネモネの横を通り、村長の前まで進む。
「申し訳ありません」
父と呼んでいた男性が頭をさげる。ただ下げるのではない、膝をつき額を地面にこすりつけていた。
アネモネはその行動に理解できず、声を出す。
「どうしたのお父さ……っ!?」
そのとき、アネモネの手がキツく握られ、思わず苦悶の表情となった。
「どうして……どうして……」
手を握る母と呼んでいた女性を見据え、アネモネは驚きを隠せない。
涙を流し、悲しみに暮れるその女性を見て彼女は心がざわめく。
「どうして生きていたの!!!」
「っ!?」
見たこともない剣幕で母と呼んでいた女性が叫ぶ。
目は吊りあがり、口は大きく開き歯を見せていた。刻まれた皺が古い大木のように不気味だった。
「あんたは死ぬはずだったでしょうが!!!」
心臓が掴まれた錯覚に陥った。
背骨に冷水を流れた気がした。
足を杭で縫いとめられたようだ。
真っ白になった頭で目の前のかつて母と呼んだ女性が叫んでいる言葉が理解できなかった。
いや、語弊がある。理解はできた。しかし、受け入れることができない。
ジワジワと心臓が高鳴る。震えが止まらない。息が荒い。
「あんたに生きていられたら、私たちはこの村でどんな扱いになるかわかっているのかい! この親不孝者!!」
「あ、・・・・・・あ、そんな・・・・・・そんな」
両親は断腸の思いでアネモネを生贄に差し出したと思っていた。
かつて母と呼んだ女性が涙を流した理由は嬉しさから来るものだと勘違いした。
胸の奥にあった不安が現実のものになってしまった。
「(私は生きていてはいけない? 誰か、誰か助けて・・・・・・誰か)」
目の前の現実から逃れようと視線を反らすと、彼女は子供の頭ほどもある大きな岩を振り上げた人影を見てしまう。
その人影はかつて父と呼んでいた男性だった。




