第5話 誘拐された者の悪あがき
ぼんやりとした視界の中。
目に映ったものは薄暗い部屋と曇天模様の空を映した窓。部屋の隅に寄せ集められた所々破損した木箱等の木材。小汚い、煤だらけの"元"白い天井。埃っぽいヒヤッと冷たいコンクリートの床。口内もなんとなく埃臭い。
初めは普段見慣れない光景にこれは夢なのかと錯覚していたが、段々と脳が覚醒していく内にこれは現実であるということに気が付いた。それと同時に自分がロープで拘束され、横に倒されていることにも気が付く。
ー今日なのか昨日なのかはたまたもっと前なのかは分からんがおれっちのなかでの今日はいつもの時間に店に来て掃除やら何やらと準備していたのは確かだ。その後どうだったケ?え~っと店は開けてないし、何かあったっけ‥‥誰か来たような気も‥‥記憶が曖昧だな。
藤森錬太郎はは拉致監禁されているこの状況にとても冷静だった。
いや、もしくは現実味のないこの状況こそが彼の冷静さを保たせているのかもしれない。
現に彼は彼自信に降りかかった災難をどこか他人事のように感じていた。
コンコン
後ろの方でドアをノックをされた。此方の返答を待たずにドアは開かれ、外からの冷たい空気が入ってきた。
冷たい空気と共に魚介類の腐敗したような異様な臭いが入ってきた。
一体どんな野郎が自分をこんな場所に連れてきたのだろうと部屋に入って来た人物を首を捻り、確認しようとする。
「お目覚めになられたようですね。おはようございます。気分は如何でしょうか。」
彼はこの人物を知っていった。何故なら彼の記憶の中で最後に出会っていたのはこの黒髪美少女さんだったからだ。
「おっ、おい、ここはどこでなんでおれっちはここにいる!?」
「此処は南埠頭の倉庫です。貴方は人質に選ばれました。」
グレイのロングコートに黒のロングブーツを身に付け、黒い髪を肩まで伸ばした少女は非常に丁寧な物言いで答えた。ただその声に抑揚はなく、彼女の声に温度というものを感じる取ることはできなかった。
顔の表情は窺い知ることはできず、まるで人形のようだった。
普段の彼なら「目覚めの一番に美少女の顔を拝めるなんて最高だなぁ~」というような軽口を叩くところだが、誘拐犯を目の前にしたことで襲撃された記憶が鮮明に思い起こされ、彼女に「そうか」としか返すことができなかった。
そんな彼の反応を見て、彼女は挨拶は終了したと判断し、片耳だけのイヤホンを装着した。
通信機かなにかだろうか、紙に記入したり何かしらの作業をしながら時々会話をしているみたいだった。
片耳のみのイヤホンということは周りの人と会話をすることを想定しているだろう。
恐怖心はあるが、生き残る為の情報、手がかりを掴むために変に刺激しないように下手にでて話し掛けてみる。
「お名前をお訊きしてもいいですか?」
沈黙‥‥
アレ?聞こえなかった??もしかして無視???と心配していると
「大宮氷雨です。」
ーはぁー、よかった答えてくれた。よしっ、次の質問だ!
「氷雨さん。おれっちを誘拐してもあまり意味がないような気がするんですが?‥‥」
「意味は有ります。錬太郎様を心配してくださる方にとっては。」
ーおれっちを心配してくださる方って?もしかして‥‥
「おれっちを心配してくれる奴ってもしかして高倉惣之助ですか?」
「ええ。そうです。」
「何でおれっちを誘拐したんでしょうか?」
「普通にお願いして了承を得ることが出来ないからです。」
「なるほど。ちなみにその内容は?」
「秘密です。」
おれっちはアウトローなお願いをするための道具ということらしい。なんかヤバイ気がする。
時間はまだある筈だ考えろ。この場面を打開するなにかを絞り出すんだ。
今の状況はおれっちは縛られ、身動き出来ずにいる。誘拐目的はソウちゃんに関係あるらしい。
このまま敵の計画通りに事を運ばせるのはまずい気がする。逃げてしまうか?
否、駄目だろう。たとえロープを切り、この場から逃げだせたとしても、この部屋の外はどのようになっているか全く分からない。外に出たら敵がいっぱいいて残念でしたとなるかもしれない。情報が欲しい。
幸いなことに質問はOKらしい。だけど慎重にしなければ、「煩い」と言われ、喋れなくなるかもしれない。
最悪核心をついて口封じのため始末されることだってあり得る。
だが、おれっちに何も無いという訳じゃない。切り札はある。このパンツの中だ。
この代物はいざというときに主に助けてもらうための切り札だ。【大体がソウちゃんにだが‥‥】
この切り札は使い方がとてもシビアだ。
いつどこでどのように使うかによって最高の結果にも最悪の結果にもなる。
おれっちはプロのコーヒー屋のマスターでもあり、コミュニケーションにおいてもプロでもある。切り札を最大限活かすために今まで培ってきた経験、知識全てを動員して情報を引き出してみせる。
数を喋って疑いを掛けられてもいけない。当たらずとも遠からず、命を懸けた駆け引き‥‥
「今日はいい天気デスネ!」
「今日は曇りですよ。」
「綺麗な髪ですね。」
「セクハラですか?」
「俺には俺の帰りを待っている子供が」
「子供が居るのにナンパですか?」
ーぐはっ、ダメだ。話が膨らまない。
プロのプライドもへったくれもない。
他愛ない会話も、距離を縮めることも、泣き落としも効かない。
これはおれっちのフラれるタイプの女子の反応だ。諦めるか?今なら色々な意味でダメージは少ない。
相性が悪い。手強すぎる。精神的ダメージもある。しかしここは勝負だ!!
なにもしなければ、確実に殺られちまう。
最低でも情報を流す。次の会話で勝負が決まる。この会話に答えてくればイケる。ダメであれば口を閉じることになる。
心臓がばくばくする。ギャンブラーはいつもこうゆう気持ちなのかもしれない。
「どんな方と協力して今回の作戦を実行したんですか?」
ーどうかお願いだ。答えてくれ‥‥。
「アラクネさんです。彼女は私の命を救ってくれました。」
ーよっしゃ!いった、イケた!!
「そのアラクネさんはあなたにとって掛け替えのない恩人なんですね。」
「はい。彼女には助けられたのでその恩を返さなければならない。例えどんなことだとしても。」
アラクネとかいう奴に対する彼女の忠義は異常だ。それを分かっていてアラクネは氷雨を利用しているのかもしれない。
「その方に協力している人はほかにもいるんですか?」
「必要ありません。何故なら操ることが出来るので。」
情報を順調に引き出せているのでこの勝負には最早勝ったも同然だと思った。だが、勝負とは最後まで何があるか分からないのが常である。
ピロロロロと携帯が鳴り響く。
「もしもし。こちらからのヒントは不要でしたね。」
ーんっ、なんだ?
「申し訳ありませんでした。失礼を承知で貴方を試させて頂きました。お願いします。助けてください。」
ー誰と何を話しているんだ?
「実は私たちは貴方達と同じく、普通の人間ではありません。詳しくは言えませんがどうかチカラを御貸しください。指定する場所まで来てくだされば、ご友人の錬太郎様もお返しします。」
此処まで聞いていて話している人物が分かってしまった。それから、さっきの電話の内容を聞いて先程の氷雨の解答にも府に落ちた。
「承知しました。」
氷雨が「お友達の惣之助様です。」と携帯を耳元に近づけてきた。
ーヤバイ!! 惣之助がこのまま敵の指定する場所に来たら今までの情報戦が無駄になっちまう。なんとかしなくては!!
自分が思っていたよりも時間は無かったらしい。相手もそれを見越して話したのかもしれない。
自分にはもう苦し紛れの長引かせしか思い付かなかった。
「よお~、ソウちゃんコッチは天国みたいなところだぜ。が~ハッハッハッ~!!」
「元気そうで何よりだ」
惣之助の声は疲労していた。なので、意味が無いかもしれないが、彼がこれ以上心配しないようにとそれと、焦って此処に来ないようにつよがりを言っておくことにした。
「助けになんて来なくてもイイゾ。おれっちはここでキレイな女の子にお世話されているからよお。なっ、お、ね、い、さ、ん!!」と縛られながらも彼女に飛び付く。
ゴツン!!!!
裏拳に近い軌道で繰り出された右ストレートは顔面にクリーンヒットした。
彼女は軽く放ったつもりかもしれないが受けた本人にとっては物凄いものがあった。
顔面は陥没したかと思ったし、首はゴリゴリという音をたて、骨が二、三本逝ったのではないかと思った。
ーっ~イテ~死ぬ~!! でもこれで幾らか遅らせることが出来ればいいけど‥‥。あと、惣之助の野郎大丈夫か?あいつ意外と弱いからなぁ。
「~~~~~。」
殴られたショックで難聴になってしまったのか、うまく言葉の内容が聞き取れない。
だがそれも一時的なものだったらしい。徐々にではあるが、言葉が聞き取れるようになってきた。
「~~あっ、それから妹様もどうぞお二人でお越しください。」
ーなに!?ソウちゃんだけじゃなくて美晴ちゃんもターゲットになってしまったのか?ん~、どうするか‥‥。
その後、すぐに電話は終了したらしい。氷雨はくるりとこちらに向き直る。
「先程の行動はどのような意味があったのですか?」
ーくっ、面倒なことになってきやがった。まぁ、おれっちが悪いんだけども‥‥。
「簡単な話だ。おれっちは君に惚れた。アイ・ラブ・ユー!!」
告白を言い終えて瞬きをした瞬間、鈍く光る何がすぐ喉元まで伸びていた。
それが刀であると気がついたのは数秒経った後だった。
ロングコートに忍ばせていた刀を氷雨が眉ひとつ動かさず抜刀したのだ。
「ひぃぃ~~!!」
「言葉と態度は考えたほうがいい。私は何時でもその首を落とす事が出来る。」
殺される前にここは正直に話したほうが良いだろう。
ただ、素直には話さない。ここでひとつ芝居を打つことにした。
「すいません!!友達がここへ来るのを長引かせたかったんだぁ!!」
「そんなことで長引かせられると?」
「少なくとも焦っては来ないかと」
「何故長引かせようと思ったのですか?」
「初めはなんとかして逃げようと考えたけど思い付かなかったんだよお~。おれっちには長引かせるのが限界だった。負けました。」
錬太郎が降参する素振りをしたところで氷雨は刀を収めてくれた。彼の降参は"ふり"なのだが。行動を起こす前に一つの確認を行う。
「冥土の土産に一ついいかな?」
「どうぞ。」
「あんたの所の親玉さんは人間じゃないんだろ?人間を操ってなにをするつもりなんだい?」
「食糧とこれから行う仕事の労働力の確保です。」
「その仕事はどんな仕事?」
「貴方に言う必要はありません。ただ言うなれば世界を少し変えて人ならざるものを住みやすくするというところです。」
「その仕事は別に俺の友人でなくとも良いだろう。」
「誤解していらっしゃるみたいですけど特殊な人間を食すと、あの御方の寿命とチカラがより強力になるのです。勿論、貴方様も召し上がりになると思います。」
ーチッ、使い終わったらみんなで仲良くお腹の中ってか。冗談じゃない!!
「あの~ちょっとお手洗いに行きたいんですが?」
「いいですよ。」
氷雨はロープをほどいて、青いポリバケツを指差した。
どうやらこれで済ませろということらしい。
「いや~、人生最期にこんな美少女にまじまじと見つめられながら済ますなんて、夢みたいだなぁ!!」
「さぁどうぞ見てください」という感じで目の前でしようとすると少女は無言で部屋から出ていった。
ーよっしゃ!!!!チャンス
パンツのなかの切り札炸裂!!
こんなこともあろうかと超小型のガラパゴス携帯をパンツの中に仕込ませていたのだ。
携帯の操作音をカモフラージュするため用を足しながら文字を打ち込む。
制限時間は放尿時間。
文字の変換もせず、ひたすら打ち込むスプリントタイピング。
よしっと送信
携帯は部屋の隅にあった木箱に隠した。
「終わりましたよ。」
呼び掛けて彼女が入室したところでお縄に掛かるポーズをとりながら近づく。
油断したところをそのままチェンジオブペースで体を入れ替え抜き去った。バスケしてて良かったと初めて感じた。扉を閉め鍵をかける。
がっゴぉぉぉーーーん!!!!
扉ごとおれっちを貫こうとしたらしい。おれっちの体があと右に数㎝づれていれば鉄製の扉ごと刀で串刺しになっていただろう。背筋が凍りつく。
急いで逃げた。足をもつらせながらも逃げた。金属音を響かせながら折り返しの錆び付いた階段を数段飛ばしで駆け降りる。
ーそれにしてもなんだ?この臭い
初嗅ぎは腐った魚かなにかだろうと見当をつけていたが、どうやら全く違うらしい。今まで嗅いだことがない。
階段を降りた所で引き戸を発見した。安全を確認しながら開けるとその臭いが更に強くなる。
ーっっ!?なんつークセー臭いなんだ。 アレ?なんかある。
部屋の中央に長方形のステンレスのテーブルがあり、その上にごっそりと様々な形の謎の塊が乗っていた。
その塊からは赤黒い液体が滲み出てきて、テーブルから下へと滴り落ちていき排水口に流れていく。
今までの経験と知識でこの物体に一致するものを脳内で当てはめていくが"止めろ"と己の勘が叫ぶ。いや違う、初めから気付いていたのだ。今までその現実から目を背けていただけだ。だけどももう無理だ。
理解してしまった。不快感が押し寄せる。吐き出してしまう。
この塊は元人間だったものだ。色々細かくバラバラになってしまっているが、手足の指等から人間のソレだと分かった。
顎がガクガクし始める。嫌な汗が出る。心臓か胃或いは両方がギュルリと恐怖によって締め付けられる。全身の皮膚がビリビリする。キケン、キケンと全身のセンサーが警告を発している。
死がすぐそばにある。一刻も早くこの屠殺場から離れたい。
「こんにちは」
突然掛けられたその言葉は脳みそに直に響き、脳から体へと味わったことのない快感が全身に染み渡ってから体全体に痺れが残る。
振り返るとそこにはこんな場所に似つかわしくない妖艶な美女が立っていた。
その者は異様であった。美し過ぎるのだ。欠点が見当たらない。女神のような微笑みはなにかで張り付けているように感じる。
まるで世の男性の理想の顔を創ったかのようだった。
「妾の言うことを大人しく聞いてそこに足危くのじゃ。」
恐ろしくも美しい女の命令に身体が勝手に従ってしまう。逃げなければいけないのに身体がまるでいうことを利かない。一人の体に二つの正反対の魂が入っているみたいだ。
「うふふ。良い子じゃ」
ブスッと錬太郎の腕に鋭利な黒い棒が刺さった。するとあっという間に糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
彼はなにが起きたかよく分からぬまま恐ろしいほど美しい女の顔を眺めていた。
そして最後になにが起きたか自分の目で確認した。
黒い棒だと思ったのはでかい蜘蛛の足だった。それがあまりにも現実離れしたものだから幻覚かもしれないなと思いながら視界が暗くなっていった。