涙夢
『……もし、私が……』
……君は
夢の中で、女性を見た。夕日に照らされ美しく輝く髪に、優しい眼差しが自分を見つめている。
『きっと……』
何を、言っている?
何か大切なことを言っている。
忘れてはならない……忘れたくない………。
そんな風に思わせる何かが、心をざわつかせる。
君は……誰だ
『きっと……』
そう言いながら俺に手を差し出す女性に、無意識に手を伸ばした。
……きみ、は
「…………」
「あら、起きたのね。お寝坊さん♪」
目を開けてまず目に入ったのは、此方を見つめるマーラの顔だった。
マーラは俺の鼻先を一度突くと、直ぐに準備しないと、ご飯できてるわよ~。と言ってベッド脇から立ち上がる。
「………マーラ、か」
「そうよぉ~。朝ごはんできてるから起こしに来たの。本当は側近ちゃんの誰かに行って貰おうと思ったんだけどねぇ。血で血を洗うことになりそうだったから、代表して私が起こしに来たのよ?
ってあら、アヴァニールちゃん。泣いてるの?」
笑いながら振り向いたマーラだったが、今度は眉をハの字にさせ首を傾げて尋ねてくる。
「………?」
最初何を言われているのか分からず、俺もマーラと同じく首を傾げるが、その瞬間手の甲にポタリと何かが落ちた。
見ると、手の甲には水球がのっていた。それを見てから一度瞬きをすると、上からまた一つ、一つと零れてきた。歪む視界を不思議に思い、手でそっと目元に触れるとぽろぽろと零れた。
「……なみだ」
「アヴァニールちゃん、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫……でも……何か…………俺、何か大切な事を、忘れている気がする……分からないが」
目を擦りながら言うと、マーラがそのうちに思い出すわよ、きっと。と励ましの言葉をかけてくれる。
そして、まだベッドにいる俺の目元を白く長い指で涙をすくうと、そのまま自身の口に運び舐めた。それはまだ覚醒しきっていなかった俺の頭に衝撃を与えた。その様子を見ていたマーラは悪戯に成功したような笑みを浮かべて、先に下に行ってるから早く来てね♡と言って部屋を出て行った。
俺はベッドから起き上がり、顔を洗い歯を磨いた後、部屋にかけてあった服に手を掛ける。その服には、マーラの手紙が添えられていた。どうやら服も持って来てくれていたらしい。
用意された服は寝巻と同じ様な白いシャツだった。マーラからはかけ離れた服に一瞬だけ驚いたが、変に派手な服を着せられるよりはいいかと思い、シャツとズボンを着て部屋を出た。
「おはよう」
「おはようございます。アヴァニール様」
冷静でいて透き通るような声の主、サミエルはいつも通りの微笑みを見せた。その横ではラオルが口を覆う布を取ることなく朝食を口にしている。
そして、ラオルと向き合うように座っている女の子、ミリアの隣の席に腰を下ろした。おはようと声を掛けようとミリアの横顔を見るが、その横顔は何だか元気がないように見えた。
「ミリア、おはよう。どうした?具合でも悪いのか?」
「え、あ、アヴァニール様……おはようございます。昨日、マーラ様達が私の部屋に来て……あまり睡眠時間がとれず……」
かなり疲弊しているミリアは、隣で朝食を食べるメイド服のセバスチャンを見つめた。だが、セバスチャンは特に変わった様子もなく、逆にミリアを見て何故そんな冷たい視線を向けているのかと聴き返していた。
いつの間に仲良くなったのか、セバスチャンとミリアはしっかりと会話のキャッチボールをしている。そんな姿を見ていると、後ろからマーラが俺の目の前に料理を置いた。
マーラの出したものは、黄色いスープにサラダ、メインに紫の卵の目玉焼きが皿に乗っていた。それが美味しそうに見えるかどうかは別として、身体的には食べなくても特に問題は無い。
だが食べ物を食べれば腹が満たされる感覚というのはあるのだ。さて、そこで問題なのはこの料理を食べるか食べないか、だ。
これは、食べても大丈夫なのか……
不審に思いつつ、周りを見渡すと全員このメインディッシュを食べ終わっているようで、皿には紫色のドロッとした液体が残るのみとなっている。
そして俺がマーラに視線を向けると、どうぞ召し上がれ♡と言い残し、俺の左側にあった一人席に座る。
まぁ……死にはしないだろ……
俺は恐る恐るその卵を切り分けてから、口にいれ咀嚼した。
……意外と上手い
俺が食べているとマーラが嬉しそうに、それコカトリスの卵なんだけど、中々手に入らない高級品だから、味わってね♡と言った。
その言葉に首を縦に振ると、マーラは先程セバスチャンと会話していたミリアに話しかける。
「ミリアちゃん昨日はごめんなさいねぇ。私達、インキュバスは夜に強いというか、夜が本領発揮って感じだからつい。ゴリランヌはいつも私たちに付き合ってるから、夜更かし大丈夫なの。
本当にごめんなさい」
マーラが言うと、ミリアは、いえ……別に。と若干引きつった笑みを見せる。その表情でどれだけ大変だったかが伝わってくる。
「ご飯食べ終わったら、アヴァニールちゃん達をディーレ伯爵邸に連れて行くわ。私は店番があるから、セバスチャンとゴリランヌに道案内させるわね♡」
「別に、どっちか一人でいいんじゃないか?」
「二人とも連れて行けば、伯爵邸にはノーチェックで入れるから、そっちの方がいいでしょ?」
確かに、一々チェックされて万が一にでも(無いとは思うが)魔族だとバレれば、面倒な事になるのは何となくだが想像ができる。
そうか。と俺が独り言を呟くと、マーラがサラダを食べ微笑んだ。




