8.小さな思いを贈りたいから
「んー」
「どうしたよ」
「いえ、たまには料理を手伝おうかなと」
晩飯の支度で台所に立つ俺の横にイヴが来た。何を言い出すかと思えば。
「なんでまたそんな」
「セラ君に影響されまして。それに、海さんよりわたしの方が絶対うまくできますから」
「えらく自信あるな」
自尊心が高くて結構なことで。セラ君との交流は良い効果をもたらしたようだ。
まあ中身はアンドロイド。人間より手先は器用なのかもしれん。ここは信用してみるか。
「やってみ」
「任せてください。じゃがいもの皮むきなんて夕飯前ですよ。ぴいらー? なんか使わずに包丁で、あ」
「うわ」
刃がイヴの指先を切った。じんわりと赤い血がにじんで流れる。
「不器用かよ! 絶対痛いだろそれ」
「平気ですよ。血は偽物ですから。それよりも晩ごはんを作らないと」
「いや、でもな」
指先を隠すイヴ。赤色は人間らしさを表現するためのもの。アンドロイドの機能のひとつ。
「放っとけるか。手当てしてやるから」
「え、あ」
だとしても、傷付いた姿なんか見たくない。イヴの手をとって傷口をぬるま湯で流す。
幸いにも血は止まってくれた。廊下の棚から絆創膏を取り出して包み紙をはがす。
「使い道ができたな。アンドロイドでも痛みは分かるんだろ?」
「えと、でもそれは、あくまでプログラムとしての痛覚で、人間とは違って」
「ばか。どっちもおんなじだ。人の『こころ』があるんだから、痛みだって感じるはずだろ」
「それは、その」
無口になるイヴ。絆創膏を巻き終える。誰かの傷の手当てをするのは人生で初めてだった。
「居間に行くぞ。また怪我されちゃかなわん」
「はっ放してください次はいけます。ううう、どうか挽回のチャンスを」
「だめだ」
イヴの服の袖を引いて居間まで来る。部屋に閉じ込めておけば安心だ。
「よし。じゃあ今からここにイヴを監禁する」
「わぁ変態ですねえ」
「まあな。テレビでも見ててくれ」
「わかりましたー」
聞き入れて座ったのを確認してガラス戸を閉めようとする。
「海さん」
「ん?」
呼び止められた。立ち止まる。視線が合ったまま、ほんのちょっと沈黙。
「なんでもありません。呼んでみただけです」
「そうか。台所に戻ってもいいか?」
「はい。早く華麗なカレーを作ってください」
「三十点だな」
冬なのに寒い洒落を言うイヴ。とりあえず辛口評価をしておいた。
戸を閉めてから考える。最近、イヴとの生活が日常になりつつあると。
(いいもんだな。誰かが近くにいるのも)
高校入学と同時の一人暮らし。そんなの平気って強がったりもした。
それでも、帰宅時の静寂や夜中の家鳴りの音。どこかで孤独の鼓動に怯えてたように思う。
(イヴのおかげだ)
今じゃそれも遠ざかって、自分の臆病さに気付けてきた。弱さと向き合う準備が出来てきた。
ほんとはイヴには感謝してる。本人に伝えようとすると、どうしてかうまくいかないけど。
だいたい三十分後。カレーができたので居間に戻る。怪我人はおとなしく着席して待っていた。
「見てください」
「ん?」
と思いきやテーブルを指差すイヴ。小さな雪だるまが座っていた。
「侵入者です」
「それは怖いな」
たぶんベランダに積もった雪から生まれたんだろう。なかなかかわいく作られている。
「俺も出来たぞ。テーブルの上を片付けといてくれ」
「おー、お手並み拝見の時間ですねえ」
こっちも完成した。味には自信ありだ。カレーを運ぶため台所に引き返す。
「海さん」
再び声が届けられる。
「なんだ?」
二回目かよと思いながら振り返った。でも今回は、名前を呼んだだけじゃないみたいだった。
イヴが雪だるまを両手で持っていた。そのまま正面に運んで自分の顔を隠してから、そして、
「――ありがとう」
ぺこり。イヴの声に合わせて雪だるまがおじぎした。子供が披露する人形劇みたいな動き。
テーブルに座り直す雪だるま。照れくさそうなイヴの表情があった。
「イヴ」
「?」
「三人で食おうか」
「そうですね」
かわいいねとか、いっこく堂さんみたいだねとか、そんな軽口を言うべきだったんだろうか。
このままじゃだめだ。素直に気持ちを伝えられるようになろう。難しいけど頑張らないと。
夜が深まる。雪の季節も進んでいく。イヴがいてくれるから、今夜の食卓もさみしくなかった。




