50.また雪の続きを二人で描こう
電車は夜景の海を泳ぐ。スーツの袖をあげて腕時計を見る。七時半を過ぎたところだった。
運よく席に座れたせいで、ついうとうとしていたらしい。緩んだ意識の中で流れていたのは、恋人との日々だった。
(懐かしいな……あの頃は、俺も高校生だったか)
もうじき社会人四年目。まだまだ二十一歳の小僧だけど、俺だってそれなりに大人になった。
ネクタイの結び方も完璧だし、革靴も足に馴染んでる。スーツの適度なしわ加減とか、カバンのくたびれ具合とか。
(みんな元気かな)
懐かしい気持ちにひたりながら揺られる。やがて電車は目的地で急ぎ足を止めた。
帰宅時で少しばかり混雑したホームを抜けて、静寂の街に解放される。初冬の空気が肌をなでた。
(冷えてきたか)
歩き出す。そういえば恋人と出会ったのも、寒くなり始めた冬だった。
彼女が来てくれなければ今の俺はいなかった。だからこそ、別れの日は本当にさみしかった。
でも人間は不思議なもので、いつまでも悲しめないようにできていた。元の毎日を過ごすうち、いつしか思い出になっていた。
(社会人だもんな)
すれ違った自転車の高校生を見て、ふと懐かしくなった。ちょっと前まで俺もああだったなと。
やがて自分のアパートに着いた。広くはないけど住み心地がいい。おまけに駅から近いという最大の長所付き。
部屋の鍵を開けた。真っ暗な空間。カンを頼りに居間まで向かい、室内の明かりをつける。
(静か……だな)
かばんを置きネクタイを外す。ポケットから携帯を取り出すと、緑色のランプが点滅していた。
「メールか」
画面を開いてみる。母さんからだった。
『海君お仕事お疲れさま☆ 今日、紳士と日帰り温泉旅行に行きました。近いうち、おみやげを持っていきたいと思います♪』
(なにしてんだよ)
添付された画像には、母さんと紳士さんとゼロが仲良く。もう結婚しちゃえよと思った。
時間の流れは先生みたいなもの。厳しい時もあるけど、変わるためのきっかけをくれる。だから俺も、
「いつまでかくれんぼしてるんだ」
そろそろ声をかけよう。昔と変わらない性格のままの、大切な人に。
「――あらら、ばれてましたね。どうして分かったんですか?」
「このパターン五回目だからな。というか暖房つけてなかったのか」
「いやあ、二人であったまろうかなと思いまして。節約もかねて」
廊下からひょっこり顔を出したのは、黒メイド服を着こなしたイヴ。一緒に暮らしている大切な人。
「それより聞いてください海さん。お仕事の話なんですけど、なんとわたしの時給が上がりました」
「まじか。すごいな。いい会社じゃねえか」
「これもわたしの努力のおかげですね」
誇らしげなイヴ。こういう直球な発言も高校生の頃のまま。
社会人になっていろんな不安も生まれて。だけどイヴと再会できて、そんな気持ちはどこかに消えた。
「あっあとですね、友香さんたちからメールが来ました。こんな感じで」
「どれ」
イヴが差し出した携帯を見る。大学の食堂を背景に、セラ君と友香が並んでくっついてる写真が表示されていた。
二枚目は大量の料理を前に嬉しそうな友香。三枚目は大量の料理を前にげんなりしてるセラ君。
「おあついなあ」
「ですねえ」
あっちも順調そのものみたいだった。また今度会ったら語り合おう。
スーツを脱ぐために移動する。窓の外を眺めると、なにかちらちらと白いものが空から落ちていた。
「イヴ」
「はい?」
「初雪だ」
イヴを窓辺まで呼んで、部屋の電気を消す。街の明かりに映し出されたのは、淡くはかない冬の色。
大人になるのも、悪いことばかりじゃない。子供の頃より大きな手で、君を包むことができるから。
「あーそうですね。さて晩ごはんにしましょうか。おなかすきましたー」
「情緒がないな。もっと感動してくれよ」
「大丈夫ですよ。雪なんて、これからたくさん海さんと見れますから」
「ん、それもそうか」
軽く言って、イヴは小さく笑った。途切れた記憶を繋いでくれるように、昔よりも自然な笑顔で。
先に台所に向かったイヴ。俺も手伝おうと着替えていた最中、目についたのは壁際の棚の上。
(すっかり枯れたな)
イヴに断られたプリザーブドフラワー。俺の作り方が悪かったのか、枯れないはずの花がしなしなに変化していた。
その隣には、ほつれてしまった赤いマフラー。イヴの編み方が甘かったせいだろう。見事に真っ二つに分かれていた。
「海さーん、今夜は一緒にお酒でもどうですか?」
「よし、飲もうか」
急いで着替える。思い出の品は壊れてしまったけど、ふれられる君が近くにいてくれる。
かじかんだ指で線を書くような、慌ただしさの残る恋だった。あの頃よりもおだやかな、寒くてあたたかい冬が始まる。
また二人で、雪の散歩道を眺めに行こう。これからは俺がずっと、君の隣にいると誓うから。
《了》




