48.長い夜には細やかな副旋律を
「なあイヴ」
「はい?」
「こんな夜中だけどさ、散歩でも行かないか? どうも寝れなくてさ」
三月十三日の深夜。布団の中から天井を見つめたまま、隣で横になるイヴに問いかけた。
いつも通りに過ごすつもりだったのに。今日が最後かもと考えると、不安感は増すばかりで。
「ふふ、だらしないですねえ。でも本当は、わたしも眠れなかったんです」
「おんなじだな」
二人で起き上がる。閉じていたカーテンを開けると、まあるい月の明かりがこぼれ落ちてきた。
防寒着を着て外に出る。家からは少しだけ遠くの、広い公園に足を運んでみようと思った。
「不審者が出たら守ってくださいね」
「大丈夫だろ。スタンガン内蔵されてるんだし。その台詞は似合わんぞ」
「なにをぉー」
「いてて」
腕に電気を流された。俺が守るぜなんて本音を言うのは照れくさい。
着いたのは静けさの満ちた公園。誰もいない。外灯の明かりが草木や遊具を照らしている。
「あれにしましょう」
「そうだな」
隣合わせのブランコ。慎重に座る。そのまま足を動かすと、鎖のきしむ音に伴って風景が揺れた。
きい、きい、きい。小さな声が沈黙を埋める。二つのブランコが止まる。
「明日か」
「ですね」
「まだ先だと思ってたのにさ、早かったよな」
「はい。今までのどんな時間よりも、ずっと速く景色が過ぎました」
声を贈り合う。春虫の合唱も遠かった。
「ありがとな。イヴと出会えなかったら、今の俺はいなかったよ」
伝えそこねていた言葉を、涼やかな夜風に包んで届ける。きっとイヴは聞いてくれるから。
「俺さ、否定されるのが怖かったんだ。だから言葉を飲み込んで生きて、あんまり本音を言わないようにしてた」
もう昔みたいに、口に出すことは恐れない。音に乗せることの意味を分かっているから。
「でも、イヴは俺を知ろうとしてくれた。……生きていてくれて、俺のところに来てくれて、本当にありがとうな」
それは人生を描くための音色。自分の心を分かりやすい形で伝えるための、唯一の方法。
「イヴのこと待ってるよ。だから、もしまた会えたらさ、一緒に暮らそう」
いろいろ話したけど、俺から繋げておきたいのは結局これだけ。
「かっこいい大人になれるように頑張る。社会人になって、一人前に稼げるようになってみせる」
「海さん」
「いつか、結婚しよう。イヴじゃなきゃだめなんだ。これまでみたいに、おだやかに生きよう」
「――ふふ。そう言われたら、帰らないわけにはいきませんね」
淡い光。この月明かりを覚えておこう。夢物語じゃ終わらせない。
ちょっと強気すぎたかななんて考えたけど、イヴの表情を見たら、正解を紡げたんじゃないかなと安心できた。
「あれっ」
「どうした?」
「あそこに、誰かが」
がさがさ。草を踏み分けて歩く音。イヴが差す方に視線を向ける。何者かが接近していた。
黒いロングコートに黒いサングラス姿。外灯に照らされた白く大きなマスク。正直かなりおっかない。
「か、海さん」
「こ、怖くねえぞ。震えてるだけだ」
立ち上がり臨戦態勢。不審者は無言のまま近付いてくる。第一声は不審者からだった。
「なあんだ、やっぱりイヴちゃんたちかぁ。ごめんねおどかしちゃってー」
「ん?」
お気楽な挨拶。なんか聞いたことあるな。不審者はマスクとサングラスを外した。友香だった。
「わあっ友香さんじゃないですか。イカした格好で驚きましたよー」
「うんっ。不審者対策になるかなって」
むしろあんたが怪しい奴だよ。普段どんな格好で散歩してんだ。
「でも、ここでイヴちゃんに会えてよかったかも。明日なんだよね」
「えっと、はい」
「なんか、さびしくなるね。よかったらお話ししようよ! 待ってねいまセラ君も呼ぶから」
(深夜なんだけどな)
慌ただしく携帯を取り出す友香。電話をかける。数回コールの後に誰かが出たらしい。
「もしもしセラ君ひま? じゃあ例の公園まで来てほしいなっ。急いでね! 緊急なんだからね!」
おおげさな口調。なんと強引な誘いなんだろう。でもありがたい。
しばし待っていると、道の向こうから走る音が聞こえてきた。ねぐせ頭のままで息を切らしたセラ君が現れた。
「ど、どうしたの友香さん、もしかして変な人に絡まれたりし……あれ?」
どうも友香を助けるつもりで来たらしい。三人揃いだからか意外そうな表情のセラ君。
「やほっセラ君。せっかくだから呼んでおきたくて。寝てたのにごめんね。迷惑だった?」
「……ううん。ほんとに緊急だね。ありがと友香さん。こんばんは海くん、イヴお姉ちゃん」
和やかに挨拶をするセラ君。まさかみんなで夜を過ごせるなんて。嬉しい誤算だった。
「やっぱり、人のあたたかさっていいですね」
「ああ。そうだな」
イヴと二人、ブランコから離れて歩き出す。みんなが並んで座れるベンチに行くために。
あと何時間だろう。もう決心は付いた。ここからは余韻にひたろう。
月からこぼれた砂は、春の長夜の副旋律として、語らう俺たちを照らしてくれていた。




