47.あの冬から雲は進んでいた
「その靴下はあの箱に入れててください。漫画本はそっちの箱で、あっあとこれとこれも」
「はいよ。手際いいな」
指示されながらイヴの荷物をまとめる。直前に慌てないために。
イヴと過ごせる日々は、もう片手の指で数えられるくらい。ほとんどの生活用品は今のうちに整理しておけた。
「んー、こんな感じですかね。殺風景でつまらない部屋になりました。海さんにはお似合いですね」
「そりゃどうも」
とりあえず一段落付いた。元通りになっただけなのに、なんとなく室内の雰囲気が淋しい。
イヴのいた痕跡が景色から消えていく。それでも残り続けてくれるのは、頭の中で生きる思い出。
「さて、ぼちぼち仕事も終わったわけですし」
「ん?」
閉じた段ボールのふたを開けるイヴ。なにかを物色している。やがて取り出したものは、
「行きましょうか」
なぜか学校の制服。もう使わないだろうと思っていたもの。メイド服の次に似合う格好。
うながされるがまま俺も制服に着替えた。春休み期間中でも、しっかり学校は解放されている。
「この辺でしたね。わたしが海さんを殺害するふりをしたのは」
「う、思い出させるなよ。本気かと思ってすげー怖かったんだからな」
「あはは、わたしは面白かったですけどね。普通の初対面じゃ印象に残らないかなと」
「やりすぎだから」
学校までの道。歩きながら笑うイヴのせいでトラウマが掘り起こされた。
でも、おかげで印象的な出会いが演出された。イヴと向き合う良いきっかけになったと思う。
そのまま進んで学校に着いた。部活動の声を音楽代わりに校舎を進む。
「静かですね。さようなら冬の声。こんにちは春の音。空を飛ぶ鳥たちも、きっと喜んでいますよね」
「………」
「いや、そこはなにか言ってくれないと。すべったみたいで恥ずかしいじゃないですか」
「すまん。微妙に意味が分からなかった」
急に詩人になったからどうしたのかと。向かったのは屋上。もちろん鍵は閉まっているものの。
「イヴ」
「はい。コード一九、放電モード起動」
イヴがいるから心配無用。手からの放電でがちゃりと解錠される。
開放的な空間があった。より近付いた青空と雲。春がちりばめられていて、冬の面影は何処かに。
「何度目でしょうか。海さんとここに来たのは」
がしゃん。イヴが寄りかかったフェンスが鳴く。そのままイヴは黒い瞳を静かに閉じた。
「ここでわたしは、海さんを知りました。やっぱり、昨日のことみたいに思い出せます」
「ああ。ようやく自己紹介できたもんな」
思い出を重ねる。同じ目的地にたどり着けた。
「わたしが渡した説明書、びりーっと破いてくれましたよね。大事なことは書いてないからって」
「やったな。若気の至りだったと反省してる」
「ふふ、許してあげますね。でもわたしは、たしかにあの時――」
姿勢を正して立つイヴ。風が止む。
「――この人なら。海さんなら、大丈夫だって思えたんです。あの時は、本当にお世話になりました」
頭が下げられた。ときどき見せてくれる真面目な姿だった。
最初は、なんて面倒な出会いなんだと思った。一人は気楽で良いものとばかり考えてたから。
「ああ。こちらこそ、いろいろありがとうな」
でも間違いだった。一人は気楽なんじゃなく、背負うものがないだけ。避けるように生きて楽しいわけがない。
イヴのおかげで気付けた。単なる恋人の立場を越えて、大切なことを俺に教えてくれた。
「あの、海さん」
「ん?」
かしこまるイヴ。若干申し訳なさそうな様子。
「いつでしたっけ。わたしから別れ話を切り出しましたよね」
「ん、ああ」
「あれはその、ばかな勘違いでした。どうか、忘れてください」
それは記憶の上書きの知らせ。ひとときの思い過ごしに変える言葉。
「やっぱりわたしは、海さんが好きです。必ず戻るからなんて、たしかなことは言えなくても」
「……イヴ」
「かけがえのない人として、海さんを想い続けさせてください。離れても、大切な人のままでいさせてほしいんです」
奥ゆかしい、哀願するようなイヴの表情。どんな言葉を返せばいいのか分からなかった。
少しは口下手も治ったと思ったのに。好きな人の心を軽くできない自分がもどかしくて。
「イヴ。少しだけ時間をくれないか?」
「え?」
「いろいろ話したいことがあるんだ。だけど、すぐには言葉にできなくてさ。きちんとまとめて、答えを伝えたいんだ」
心にもない気取ったことを言うよりは、自分の心情を正直に伝えよう。
「もちろん、いいですよ。海さんのことは、いろいろ知っていますから」
「そっか。ありがとな」
ふがいない俺を、イヴは優しく許してくれた。隣に並んでフェンスの向こうの風景を眺めた。
にぎやかな街の中で、たくさんの物語が始まって終わる。もうそろそろ自分たちの番が来る。
そのまま陽が傾くまで、俺とイヴはありふれた日常を過ごした。二人で見てきた水彩色に、再び色をともすように。




