46.正しい形にうつろうために
「ごめんください」
「おお、来ましたな。お待ちしていました」
自宅の玄関を開けてくれたのは紳士さん。時刻は午後になったばかり。
今回イヴはいない。単独で実行したい用事があるから、イヴには自由行動させておいた。
「わざわざすみません。俺の都合で時間を使わせてしまって」
「いえいえ。私の若い頃を思い出しますなあ。あれはそう、まだバナナがごちそうだった頃……」
廊下を歩きながら紳士さんの回想が始まった。いつの時代の話なんだろう。
案内されたのは台所。この広さはありがたい。これからちょっとした薬品も使うから。
「ところで、作り方はご存知なのですかな?」
「ええまあ、調べては来たんですけど、とりあえずやってみるしか」
道具と材料が入った袋をテーブルに置く。大事なページは携帯でブックマークしておいたけど。
「ふふふ、そう言われるのではと思い、助っ人を用意しておりました」
「え、助っ人ですか?」
自信ありげな紳士さん。期を図ったように居間の扉を開けて現れたのは、
「はろぉ海くん♪ 私が来たからには安心していいからねっ」
「って母さんかよ!」
母親だった。もう紳士さんの家に上がる関係かよ。いや個人の自由だからいいんだけどさ。
「でも、手作りでバレンタインデーのお返しね。ふふ、海くんかわいい☆ ほっぺたつんつんしちゃう」
「頬を突つくなぁ! つか紳士さんと仲良すぎだろ。もはや夫婦に見えるぞ」
「え、そう!? 私は別に嫌じゃないけど、ほらねえ、紳士が迷惑してるかもしれないし」
「い、いえ、私はいいと思いますぞ。明美が、歳の差さえ気にしないでいてくれるなら」
見つめ合う母さんと紳士さん。たぶん二人の間では背景にバラの花びらが舞っている。
「明美……」
「し、紳士……」
(もう自分の世界だ)
呼び捨てだし手を握り合ってるし。元恋人だからか、心の距離を詰めるのも早いのかもしれない。
もしかしたらいつか、紳士さんが俺の父さんになるんだろうか。想像したら、笑いがこぼれた。
「……あの、もういいか? いちゃつくのは、俺が帰ってからにしてくれ」
「あ、うんそうよね。もぅいいところなのにー☆」
「いてっ」
ひたいをつつかれた。ともあれ、手作りプレゼントでイヴへのお返し大作戦は始められた。
結論だけ言うと苦戦した。母さんの教え方がうまいのに俺が不器用だから。どうにか完成したら日が暮れていた。
二人にお礼を伝える。完成品は紳士さんに預かってもらい、急いで俺も帰宅することにした。
(すっかり暗いな……イヴはなにしてるかな)
暗闇。点在する外灯。昼間は春めいていても、まだまだ夜は冬の気配。
イヴは漫画でも読んでるかな。それともゴロ寝かな。いろいろ考えながら玄関の鍵を開ける。
「ただいま、ん?」
「あっおかえりなさい。見てください、どうですかこれ」
イヴが台所に立っていた。まな板の上に何か乗っている。靴を脱いで隣に並んで見てみる。
「できないままじゃ、いけないかなと思いまして。今回は怪我なしでした」
じゃがいもの皮がきれいにむかれていた。前回は指を切ったのに。イヴの手はきれいなままで。
いびつなじゃがいも。にこにこしてるイヴ。その組み合わせが無性におかしく感じて。
「……ここ、緑色だろ? じゃがいもの芽なんだ。毒があるから、深く切り取らないとな」
「べ、べ、べつに知ってましたけど? 海さんを試しただけですけど?」
「そうか」
いじめたくなった。悔しそうにしてるイヴ。これが見たかった。
「うー、まだまだみたいですね。これじゃ海さんに褒められる資格なんて」
「いや」
イヴの頭に手を乗せる。からいものの後は、とびきり甘いものを。
「ありがとな。よくできたな。どうして、どこにも出かけないで留守番してたんだ?」
「それは、その」
肩の力をゆるめたイヴ。ひそやかな声が届く。
「おかえりが、言いたかったからです。ただいま。おかえり。ありふれていて、だけどかけがえのないものですから」
それはイヴが抱いている気持ち。俺も同じ。これからも伝えたい声。
イヴの頭をなでた。言葉はいらないと感じたから。きちんと届くから。
「晩飯のおかずが増えたな。ポテトサラダにでもするか」
「いいですねえ。仕上げおねがいしますね。見て勉強しますから」
「うむ。では始めよう。イモの芽を取るときは、包丁の根元を使って円を描くようにだな」
昔はできなかったことが、時間が流れて叶うようになる。だから時が刻まれていくのは、きっとすごくいいこと。
受け入れる準備が、少しずつ出来てきた。さみしさに迷うのは後からでもかまわない。
いつも通りの毎日を感じよう。ありふれていても、やがてかけがえのないものに変わるから。




