42.僕は青空の元で語りかける
「というわけで、家の事情で転校することになりました。みんなと勉強や運動ができたことは、素敵な思い出です」
クラスメイトの前。教室の壇上でイヴの挨拶が終わる。本当の転校理由は俺だけが知っていた。
さみしそうな空気が教室を満たす。イヴはクラスに馴染んでいた。別れを惜しむ生徒も多いはずだ。
「三年生になったら、海さんは一人ぼっちの寂しい子です。もしよかったら、友達になってあげてくださいね」
「そういうのよせって恥ずかしいだろ!」
イヴが俺を名指しする。しまった。つい普段の癖で突っ込んでしまった。
起こったのは和やかな笑い。不思議といい気持ちだった。人前で大きな声を出すなんて、忘れるくらい久しぶりだから。
(してやられたな)
イヴの気づかいに。思えばイヴは、出会った頃から俺をクラスに馴染ませようとしてくれていた。
俺も、心の壁とかそういうものを、なるべく取り払えるように生きてみよう。いつかはイヴみたいになりたいから。
(もうすぐ卒業式、か)
俺たち二年生は三年生になるだけ。だけどイヴとの関係においては大事な意味がある。
卒業式。春休み。区切りを迎えるたびに、確かな色をともなって近付いてくるもの。それは小さな終わりの足音。
昼休みのチャイムが鳴る。俺とイヴは屋上に足を運んだ。残念ながら昼飯を食うことはできない。
「海さんには感心しました。せっかくお弁当を作ったのに、弁当そのものを家に忘れるんですから」
「すまんね」
なぜなら俺がドジったから。イヴの分もろとも家に忘れた。まあ昼飯食わんでも生きられるし。
今日も空は晴れ。気温は少し寒いけど、冬の様相は段々と春の予兆に。
「もしかして、俺に苦情を言うために屋上に連れてきたのか?」
「あはは、まさか。もっと真面目なことですよ」
一定の距離を開けて立つ。イヴの黒髪が風に揺れる。優しい旋律が聞こえそうな姿。
「ほら、わたしたちって恋人同士じゃないですか。それをふまえて、言いたいことがあるんです」
「ん、なんだ?」
いまさら確認するなんて。俺の下手くそな告白を受け入れてくれたのはイヴなのに。
イヴが口を開く。ささやく風の声が止んだ。
「海さん。わたしと別れてくれませんか」
「……え」
すぐには理解できなかった。驚いたからじゃない。イヴがこんなことを言う本当の意味があるように思えたから。
「……どうしたんだ」
我ながら間抜けな質問だと感じた。真っ先に思い当たる理由がある。それはイヴがアンドロイドだということ。
「イヴには『こころ』がある。俺は普通の人だから、深いところまでは分からない。けど、理解したいとは思ってる」
「――わたし、は」
「本気だったらそれでもいい。だけど、もしよかったら、訳だけでも教えてくれないか?」
イヴは沈黙していた。うつむきかけた瞳が俺に向けられる。ほんの少し寂しそうな黒色。
「海さんは、優しい人です。わたしがいなくなっても、わたしの帰りをずっと待ってくれる。そんな気がするんです」
贈られたのは愛情。決別の気持ちとは異なるもの。
「海さんの人生を、縛りたくないんです。わたしのせいで、いい出会いを手放してほしくないから」
つらそうな表情。別れ話を切り出した本人が、俺よりも素直に痛みを感じている。
「……俺は、ん?」
「え?」
「まずいな誰か来る」
「っ!?」
素早くイヴを抱きかかえた。走って死角に隠れる。階段を上がる足音が聞こえたから。
がちゃりと屋上の扉が開いた。すぐに聞き慣れた声が耳に届く。
「あれっおかしいなあ。屋上でねんごろになってると思ったのにー」
「ね、ねんごろ……? 海くんもイヴお姉ちゃんもいないみたいだよ」
「仕方ないねっ。じゃあ二人で食べよっか」
「そうだね」
扉が閉じられる。どうやらセラ君と友香は帰ったらしい。だけどイヴは離してやらない。
「その、海さん。もう抱っこは大丈夫です。なんというか、顔が近くて」
照れたような表情のイヴ。抱っこしたままで、お互いの顔がぎりぎりまで側にあるから。
自分から攻撃するのは平気なくせして、俺から仕掛けられると慌てる。イヴの性格は知ってるから。
「やだ。離さないぞ」
「――海さん」
地面には立たせない。イヴの体を抱きかかえる腕の力もゆるめない。
「好きな人を忘れるとか、そんなことできるわけないだろ。やりたくもないんだから」
「いい、んですか?」
「待たせてくれよ。嫌とか言っても聞く気なんてないからな。おとなしく、あきらめてくれ」
「ふふ――はい」
イヴの頭が俺の肩に預けられた。ようやく安心を取り戻せた。イヴにはおだやかでいてほしい。
「あったかいです。せめて、お昼休みが終わるまではこのままでいた」
ぐううう。なにかが鳴いた。イヴの腹の虫の声。
「と思いましたけど、お腹すきましたね」
「食い気優先かよ」
「さあ売店に行きましょうか。あぁあ、海さんがお弁当さえ忘れなければー」
「わかったよおごるよ! 俺のせいですおごらせてください!」
「しゃあー」
まったりした時間は解除された。いい品物は売り切れるのも早い。これは急がなければ。
買い物の後はセラ君と友香を探そう。一緒に昼を食べて、なにげない雑談を楽しもう。
屋上を後にする。数日後には春休み。扉が閉まる直前に見た空は、はるかまで薄青色だった。




