38.だめになる前にどうかして
「どうしました? みけんにシワ寄せちゃって。口内炎ですか?」
「や……そうならどれだけよかったことか」
弁当の最中に尋ねてくれるイヴ。心配はありがたいが、これを話せばシバかれそうで怖い。
セラ君に言われたのが数日前。俺の男性機能について厳かに考えた。
(だめだ思い出せん……俺の兄弟は、もう使い物にならなく……?)
そして戦慄した。イヴとの関係は大切だけど、こっちはこっちで唯一無二で。
「悩みがあるなら、抹茶だんごひとつで相談に乗りますよ」
「いや、いい……イヴには言えないんだ」
「?」
不全までは達してないはず。きっと扱い方を忘れただけ。頼むからそうであってくれ。
授業内容は右耳から左耳に抜けた。イヴと一緒の帰り道。安らぎよりも不安が勝っている。
「海さん、本当にどうしたんですか? 普段以上にだんまり青年ですけど」
「まあ……ちょっとな」
「ずるいですよ。海さんだけが抱えるなんて。たまにはわたしにも、肩を支えさせてください」
「……そうだな。そういう関係だもんな」
忘れていた。イヴは俺の側にいてくれる。殴られるかもしれないけどすがってみよう。
「ありがとう。じゃあさ、手を繋いでくれ」
「? いいですよ」
でも直球はマズいから遠回しに。いつもみたいにあたたかい手。だけど今日は踏み込んで。
「そしたら、俺の腕にしがみ付いてくれるか? こう、なるべく胸を押しつける感じで」
「え、セクハラですか」
「いや、俺は真面目だ。こんなこと話せるのはイヴだけなんだ。きっちりしっかり頼む」
「は、はあ。そういうことでしたら。期待しないでくださいね」
(……うむ)
ぎこちなく密着してくれるイヴ。素晴らしい感覚だけど、兄弟はシカト決め込んだまま。
「いやはや、ありがとうございます。誠に素敵な時間でございます」
「本当に悩みがあるんですよね?」
「も、もちろんだ」
やや疑われた。つい本音がこぼれた。思春期ド真ん中の下半身に何が起きてやがる。
失意と活意の中で帰宅した。げんなり居間に入る。かばんを置いたイヴが振り向いて言った。
「あの、海さんは、わたしを好きでいてくれてるんですよね」
「ん? ああ、もちろん今も好きだよ」
「わたしも、同じ『こころ』を持っています。だから、海さんが悩むのを無視できないんです」
真剣な瞳。イヴの気持ちを感じた。そこまで深く俺の存在を思って。
「わたしでは、海さんの支えになれないんでしょうか。こんなにも、想いを募らせているのに」
「イヴ……ありがとう。最初から話すべきだったな」
たがが外れた気がした。イヴはいつも俺の味方。どんな医者より優しい処方せんをくれる。
人間は視覚の生き物。すなわち情報の八割は目から。
「あのさ」
「はい」
手軽な治療法がある。早く気付くべきだった。ためらうことはない。イヴは俺の味方だから。
「ちょっとさ、裸になってくれないか?」
「――は、えっ」
「イヴの裸が見たいんだ。ゆっくり脱いでくれたらなおいい。恥じらうような感じでな。あと靴下は履いたままで、え?」
イヴは静かにかがんで何かを担ぎ上げる。その物体はもしかして、
「じ、邪気発散っー!」
「ぐっはぁ!」
広辞苑(二.五キロ)が俺の脳天に降り下ろされた。ふらつき状態で手をつかまれる。
「どうして、自分だけで抱えようとするんですかぁ! わたしの気持ちを包み込んでまでっ!」
「いやいや本気だったから! つかイヴも声を荒げられるんだな!」
「とさかに来ました! はあああ、この電撃の痛みは、わたしが感じた心の痛みぃー!」
「んわーー!!」
イヴからの直電流。衝撃に負けて倒れる。ぎりぎり無害な出力な気がした。
「ぐぐ、なにするんじゃ貴様……ん?」
すぐに起き上がろうとした。時を同じく覚えたのは股間の違和感。
「どうしました?」
「ちょっと待った」
「え」
イヴに背を向けて股に手を当てる。かたいものがふれた。もしやこの感じは積年の再会。
(静まれ、兄弟)
念じる。元に戻った。久方ぶりの感覚。冬朝の青空にも似た爽快感。
「う、うおおぉぉ!」
「っ、か、海さん?」
「……イヴ」
「は、はい?」
イヴの両肩をがっしり両手でつかむ。イヴは若干おびえていた。
「俺は元に戻った。いや目覚めたんだ。生まれた時から一緒だった相棒と再会できたのさ」
「え、よ、よく分からないですけどその、おめでとうございます」
「いやあ、世界は輝いてるな! イヴがいてくれて本当によかったよ! はっはっは」
「か、海さんが、電撃のせいで変人さんに。わたしのせいで」
青ざめているイヴ。少し待てば大丈夫。イヴも俺も、いつもと同じ生活を再開できる。
いろんなものにありがとう。そしておかえり。これからもよろしく。できるだけ長い時間を一緒にいよう。




