34.いつか叶えたい約束のため
「はくしょーん! ……ちくしょう寒ぃ」
「あらら、風邪ですか? これで一勝一敗になりましたね」
引き分けにされた。けど理由は昨日。イヴと友香の雑談終了を屋外で待ってたから。
「意義あり。原因はイヴたちにもある。ああいう会話は俺は気まずい」
「えー、わたしたちのせいっていう証拠があるんですかぁー? どう証明するんですぅー?」
「うわむかつく! その言い方むかつく!」
変な話題で長時間盛り上がりやがって。家の中にいりゃ聞こえるし。
でも、イヴを知る人が増えたのはありがたかった。それだけで孤独は姿をくらますから。
「まぁ、今日は休みなので寝ててください。看病してやらなくもないですよ?」
「ありがとよ。せっかくの休日にすまんな。映画とかに行きたいだろ」
「んー、でも海さんがいないと、いろいろ楽しくないですから」
「イヴ……そんなふうに俺のことを」
じいんと心がふるえた。なんだかんだで深い思いやりが、
「自分でお金を出して観る映画なんて、もったいないですし。海さんのおごりじゃないと」
「財布代わりかよ!」
あるかは微妙だった。かまってたら熱も出る。昼間だけど寝よう。
イヴがタオルをしぼってきてくれた。前言撤回。イヴはいいやつだ。
「どうぞー」
「すまんね、むぐ」
冷たくて苦しい。広がったタオルが顔全体にかけられたから。
「……死体扱いか?」
「正式には打覆い(うちおおい)と言いまして。もし生き返った時、息をしてるか判別するためのものなんですよ」
「いや生きてるから。死ぬ予定もないし」
なかなかの不謹慎ジョークだから。自分でタオルをかけ直した。
「でもあと何回、こんなことが出来るんでしょうか。いつまでも、こうしていたいです」
「な、なんだよ急に。どうかしたのか?」
不意にさまよう黒い瞳。すぐ分かった。思い迷う時だけ見せる感情。
「寝たままでいいので、聞いてもらえますか」
「ん……分かった」
「えと、たぶんわたしは、一緒に高校を卒業できないかもしれません」
灰色の声。留年の知らせとは違う。雪の音が聞こえた気がした。
「わたしがいた会社の名前は覚えてますか?」
「アトラス、だろ」
「紳士さんは会社に、あることを頼み込んでいたんです。本当に必死で、ひたむきな姿でした」
「紳士さんは、なにを」
上半身を起こす。タオルが布団に落ちた。ふたつの針が時間を刻む。
「もしわたしの『こころ』が、人間みたいになれたなら、アンドロイドの破棄について考えを改めてくれないか、と」
イヴも破棄されようとしていた。人の心に寄り添うことができないと判断されたから。
「なくすとまではいかなくても、出来る限り減らしてほしい。アンドロイドも生きている。それが紳士さんの意思でした」
だけど答えは誤りになった。紳士さんの生き方がイヴを変えた。
「海さんと一緒の冬、幸せでした。わたしにも『こころ』があるんだなって思えました」
「……ああ。イヴも俺も、いろいろ変わったよ」
他者を傷付けていたイヴはもういない。冬の日常は本当に早かった。
「だから、その、わたしとしても、わたし以外のアンドロイドが死んでいくのは嫌なので」
たくさんのものを届けてくれた。灯火の形を知ることができた。
「会社に行って、わたしの『こころ』を証明したいんです。すみません、急にこんなこと」
「……そっか。明日とかじゃないんだろ?」
「はい。もう少し先の話です。紳士さんが伝えに来てくれるまでは」
だから俺も、イヴを支えたい。別れの結末が待つとしても、ぽんと背中を押してあげたい。
「また、会えるのか」
「今は、分かりません」
「……会えるといいな」
「――はい」
大切な人を抱きしめる。このあたたかさが教えてくれたんだ。ひとりぼっちの無意味さを。
変わることが怖かったのは昔の話。これからは踏み出せる。そっと腕の力をゆるめた。
「ふふ、風邪がうつりますからね。早く横になって治すべきですよ」
「そうだな」
離れたイヴが浮かべたのは優しい微笑み。かすかな旅立ちの気配。
「イヴ。おやすみ」
「おやすみなさい。ありがとう、ございます」
横になって目を閉じる。まぶたの裏景色もさみしくない。門を開けばイヴがいてくれる。
冬の終わりなんてひとときの寂しさ。生きている限り、風景は変わり続けるから。




