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29.あの日君がしてくれたこと

『あら海君☆ 平日の夜に電話してきてどうしたの? イヴちゃんとは仲良くしてる? ちゃんとご飯食べてる?』

「ああ、うん……仲は良いし飯は食べてるよ。それよりも」


 母さんからの連続質問を受け流す。声が聞きたいよりも用事があるから電話をかけた。


「母さんさ、紳士さんって知ってるか?」


 問いを口にする。当人に言われた通りに。

 複雑な背景だったらどうしよう。もしもに備えて心構えてたのに、


『ん、もちろん。昔付き合ってたからね。お母さんが十七歳の頃の、素敵な思い出よ♪』

「え、元彼なの!?」


 軽い理由だった。二十くらいの年齢差があるのに。つか何年前の話だよ。年上好きかよ。


『その頃の紳士は、ロボット学者の卵でね。海外に行って有名になる! 必ず戻るからなー! なんて言って。それで、本当に行っちゃったの』

「へ、へえ」

『でも、久しぶりに会ったら本当に有名になっててね。お母さん嬉しくなっちゃった♪』

「そ、それはそれは、まことによきかな」


 心底楽しそうに話す母さん。前向きな形の別れだったらしい。

 紳士さんが口をつぐんだ訳も納得できた。男は未熟だった時の自分を語りたくないから。


「じゃあ、イヴが俺の所に来た理由ってのは」

『紳士なりに、決意を果たしたんじゃないかな。イヴちゃんの存在そのものが、紳士の探してた答えなんだと思う』


 母さんは真剣に話してくれた。本当に大切な記憶なんだと感じた。

 紳士さんは母さんとの約束を守った。アンドロイドとの正しい向き合い方を証明した。そしてそれは今後も続く。


「俺さ、イヴに教えられたんだ。どんな始まりでも、知らない人から大切な人になれるって」

『ふふ、素敵ねっ。じゃあ、お母さんからもひとつ話していい?』


 用も済んだので切ろうとした所に追加注文。


「なんだ?」


 またいつものくだらん内容だろう。気楽に聞くつもりだったのに。


『海君とお母さんね、血が繋がってないの♪』

「…………は、え?」


 時間が止まる。空気が固まる。何を言ってんだと思った。鼓膜が故障したのかと感じた。


「ちょ、ちょっと待て、えっなに? 俺たち親子じゃないの? え?」

『ほら、海君が小さい頃、お父さん死んじゃったでしょ? お父さんの連れ子だったのよ☆』

「だーもう! いちいち語尾に☆とか♪付けんなよ集中できねえ!」


 頭がぐるぐるする。たしかに父さんは、俺が二歳の頃に病気で亡くなったと聞いた、けど。


『でもほら、母さんは海君が大好きよっ。世界の誰よりも愛してるし、海君のゲロだってがぶがぶ飲めるし』

「いや飲まんでいいから! ……あれ? じゃあ俺を産んだ母親はどこにいるんだ?」

『さあ? お父さんに聞かなかったからね♪』

「…………」


 果てしなく明るい声。俺の混乱はどこにぶつければいいのか。

 母さんとは赤の他人で。本当の父親は死んでいて。産みの親は行方も生死すらも不明で。


(ばかやろうかよ)


 適当言って電話を切った。急に、自分自身が冬に溶けてしまいそうな感覚にとらわれた。

 テレビを見てたイヴが俺の様子をうかがう。俺は、どんな表情をしているんだろうか。


「海さん」

「……ん、なんだ?」

「すみません、聞こえちゃってました。高性能アンドロイドなので」


 打ち明けられた。でも、イヴになら聞かれてもよかった。


「びっくりだよな。そりゃ母さんのことは大事だけどさ。言い方がな。いきなりすぎだろって」

「――海さん」

「……すまん。ちょっとだけ、散歩に出てきていいか? すぐ戻るから」

「えっと、はい」


 イヴの前では冷静でいたかった。防寒着も持たず寒空の下へ出た。

 暗く冷えた景色。そびえる外灯が夜道を薄く照らしている。向かうべき場所なんてないのに。


(なんだろう。俺は)


 誰もいない小さな公園。さびれた青いベンチに座る。橙色の明かりも気だるい線に見えた。

 電話をする前と後。なにも変わっていないのに。くぐもるような肺の圧迫感はどこから。


(……寒い、な)


 時間から置き去りにされる感覚。雪が降り始めていた。さすがに普段着だと体温がつらい。

 たぶんこの気持ちは、すぐには消せない。急いで排出しようとしても腹痛を起こすだけ。


「……母さんは、母さんか」


 かろうじて、答えを口にした。母さんは俺を思ってくれてる。口うるささは愛情の証明。

 今日まで健康に育ててくれた。学校に通えてるのも、母さんが毎日を張り切ってるおかげ。


(……ん)


 足音が聞こえた。耳に慣れた歩調。顔を上げてみると、防寒着を持ったイヴが立っていた。


「二時間も散歩するなんて。ここがアラスカなら凍死してますよ」

「……すまん。探しに来てくれたのか」

「はい。まだ海さんには、多額の死亡保険をかけてませんから」

「そっち目的かよ」


 分かってる。イヴの気づかい。冗談の森の中でも見付けられる本音。

 俺は人間でイヴはアンドロイド。名前も知らない相手だった。それが今じゃ大切な恋人。

 母さんのおかげで俺がある。俺も母さんを本当の母親だと思ってる。


「帰りましょうか。こごえちゃいますよ」

「そうだな。来てくれてありがとうな」

「ふふ、水くさいです」


 立ち上がってイヴの手を握る。体が冷えているからか、いつもより大きなぬくもりに感じた。

 考え方の違いか。肩書きなんて飾り。なにを信じて生きるかが大事。

 迎えに来てくれた黒い天使は、そんな当たり前のことを、折れかけていた俺に教えてくれた。


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