22.せっかくの機会だったのに
「だーもうべたべたくっつくなよ! 冬の夜なのに暑っ苦しいわ!」
「いいじゃないですかー。彼女ぅとカレシぃの間柄なんですからー」
妙な語尾で喋りながら腕にひっついてくるイヴ。おちおち漫画も読めやしない。
「漫画がいいところなんだ。ちょっとだけ離れてくれよ」
「つれないですねえ。告白してきた人とは思えませんね。イヴがすきだぁ、付き合ってほすぃー」
「真似すんな!」
悪意ある再現だった。好きと伝えなきゃよかっただろうか。ふとイヴと目線を合わせる。
「なんですか?」
「いや、別に」
「んー」
まっすぐな黒い瞳。告白は正しかった。漫画は後にしておこう。
ちょうどよく風呂がわいた。密着から解放される理由ができた。
「わいたみたいだな。行ってきたらどうだ?」
「いいですね。じゃあ一緒に入りましょうか」
「や、やだよ。風呂のお湯があふれるだろ」
「けち。童貞ー」
不満そうなイヴ。その悪口は地味に傷付くからやめてほしい。
「一人の方がのんびり入れて良くないか?」
「でもそれだと、一緒に入ってあわよくば、えっちなことでもしようというわたしの計画が」
「ストレートに言う癖は直らんのな」
そのままの方が面白いかもと思った。同時に素朴な疑問が浮かぶ。
「そうだ。ちょっと聞いてもいいか」
「はい?」
「いいか。これはあくまで探求心であって、おかしな気持ちとかはぜんぜんないからな」
「はあ」
イヴはアンドロイド。どこまでも人間に近い。それを認知した上で、
「イヴってさ、そういう行為ができるような体の構造をしてるのか?」
「え、海さんってそんな変態でしたっけ」
「誤解だ。断じてセクハラなどではない」
若干ひいてるイヴ。さっきまで直球発言だったくせに。考え込んだ後にイヴは言った。
「――できますけど」
「そうか。すごいな」
「やりたいんですか?」
「さ、さあな」
口ごもる。あえて問うなよと感じた。しつこいようだけど純粋な探求心ゆえの質問です。
「引き止めてすまんな。入ってきてくれ」
「えっと、どうすればいいでしょうか」
「なにが」
「どきどきします」
自らの胸に手を当てるイヴ。人と同じ『こころ』が暮らす故郷。
「冗談で言ってたのに。海さんがノって来るから、いけないんですよ」
「……だめだったか?」
「いえその、だめとかでは、ないですけど」
変な沈黙。テレビの音の合間に時計が喋る。
「先に、入ってきてください。このままだと、いろんな回路が故障してしまいそうです」
「あ、ああ分かった。なるべく早く上がるわ」
しおらしいイヴ。なんだよ今夜に限って女の子しやがって。絡みにくいじゃねえか。
立ち上がるが、すぐさまイヴに服をつかまれた。手首が絞められる。
「待ってください。やはりあえて一緒に入って、いまのうち本番に慣れておくという手も」
「いやどっちだよ! つか腕力強えなやばい体勢が崩れ、ってうわ!?」
「あ」
どたんばたん。イヴを巻き込んで倒れた。普通は俺が乗るはずが、なぜかイヴに馬乗りにされていた。
「あれっ。残念ですねえ。お約束なら海さんが上になるはずなのに」
「見事なマウントポジションと言えるな」
後頭部が痛い。コントかよ。でも緊張した空気が適度にほぐれた。
「風呂行ってくる。漫画でも読んでてくれ」
「あれですか? 漫画は子供っぽくて好きになれないんですよねえ」
「いっぺん試してみ」
すっと避けるイヴ。俺は邪念から逃げるように脱衣所に向かった。
準備を済ませてお湯につかる。温かさを感じたのもつかの間、すぐに後悔が押し寄せた。
(イヴの気持ちを無視しちまったな)
真剣にとらえてイヴにからかわれたとしても、そっちの方が何倍も誠実だったのに。
よし。上がったら続きを話そう。やらしい気持ちとは違う。心には心で答えたいだけだから。やらしくないから。
自分でも感心するほどの早風呂を終えた。せっせこ着替えを済ませて廊下を進む。
「緊張するな……」
何度も深呼吸。頑張れ俺ならいける。自然にガラス戸を開けた。イヴは漫画を読んでいた。
「イヴ。さっきはすまなかった。俺は臆病になってたみたいだ」
喋りかける。イヴの視線は漫画のページに向いたまま。でも声は聞こえているはずだ。
「さっきは緊張しててさ、つい断ったんだ。だけどもう大丈夫。だから、もしイヴさえよかったら一緒に風呂」
「すみません海さん」
「ん?」
決死の言葉をさえぎる真面目な声。
「この漫画、むっちゃおもしろですね。これは徹夜せねばなるまいです」
「そ、そうか?」
「なにか用事があるなら、後ででもいいですか? どきどきなんて、もう消えちゃいました」
「あ……うん、いいよ」
イヴの目線は漫画に固定されっぱ。ここから誘う話術を俺は持ち合わせていなかった。
いまだかつて、これほど後悔した現実があるだろうか。せっかくの機会だったのに。
(……もう一回、風呂に入ろうかな)
湯冷めする冬の夜は、熱いお湯で乗り切ろう。無味の涙を入浴剤代わりにして。




