16.無理とは言いたくないもので
「まさかアンドロイドが風邪ひきとはな」
「ぐすっ、ありえませんわたしが風邪なわけ――けほっ、ないじゃないですか」
新年早々鼻づまりなイヴ。おそらく原因は雪合戦。イヴだけが体調不良だった。
「いいから寝てろ。まぶしいならカーテン閉めるか?」
「うー、いいです。雪を見ていたいので。冬にしか会えませんから」
「そうか」
おとなしく布団に横になるイヴ。心なしかほんのり顔が赤い。不思議と支えになりたくなる。
「なんか、してほしいこととかあるか? なんでも言ってくれ」
「えっわたしですか?」
「他に誰がいるよ」
なぜそこで意外そうな顔をするのか。
「いえ、海さんも正直になったなあと思いまして。いい感じに変わりましたね。はなまるあげちゃいます」
「そ、そうか?」
言われて気付く。たしかに以前と比べて、伝えたいことを飲み下す場面は減った。
「イヴのせいだな。その性格が伝染したんだ」
「あはは。だとしたら、わたしはとてもいいことをしましたね」
イヴが淡く笑う。本当だ。イヴが来てくれたから、俺は思いを音に乗せられるようになった。
「してほしいことですよね。チーズケーキが食べたいです。例のお店に売ってるやつで」
「え、まじで?」
イヴが言うのは、徒歩で十五分ほどの場所の和菓子屋。普段なら喜んで行く、んだけど。
「いや……見てくれ外を。ご覧の吹雪だ」
大雪だった。ただの散歩も自殺未遂にレベルアップするほどの。
「ほら、もっと他になんかあるだろ? 冷たい水がほしいとか」
「げほっごほっ――ううう、だめです風邪です死んでしまいます。せめて最後に、おいしいケーキが食べたかった」
「や、だからな」
「ああ、ごめんなさい田舎のおばあちゃん。もうわたしは長くありません」
「わあったよ! 少し待ってろ! 雪くらいどうってことねえわ」
しつこさに負けた。というかおばあちゃんいねえだろ。あと田舎も。
完全防備で玄関を開ける。寒気と吹雪の突進が直撃。これで外出を考えるやつはバカだ。
(俺が死んじまうわ)
いざ戦いへ。暴雪に倒されかけながら進んだ。我ながら今年一番の努力を遂げたと思う。
一週間分の体力を枯らして帰宅した。身なりを整えて居間に戻る。外出から二時間が過ぎていた。
「ぜえ……はあ……ほ、ほらよケーキだ、ありがたく受け取りやがれ」
「わあっさすが海さん。いまだにわたしを襲おうとしない紳士ぃー」
「そこ褒めるのかよ」
お世辞になってねえし。ぼちぼち起き上がってケーキの箱を開けるイヴ。
「あれっ」
「どうした?」
そのまま固まった。なんだ一体。きちんと言われた通りの代物を。
「抹茶じゃないですね」
「は? まっちゃ?」
「ほら、わたしって抹茶が大好きじゃないですか。抹茶チーズケーキを買うのが暗黙の了解というか」
「いや知らんがな」
そりゃイヴは抹茶マニアだけど。だったらきちんと外出前に補足がほしかったわけで、
「もう一回買いに行きたくなりませんか?」
「ならねえよ!? 殺す気か!? それだって美味いんだし黙って食」
「げほっくしゅん、ああごめんなさいおじいちゃん。抹茶ケーキがないために、いまやわたしは虫の息です」
「だーもう!! 分かった行くぜこのやろう!」
おじいちゃんいねえし。なんつう都合いい風邪だ。もっぺん防寒して外に出る。暴風と積雪。
つらい。俺なにしてんだろう。店員さん(二度目)に心配されつつ品物を買って帰る。
帰宅するなり玄関に倒れ込む。一ヶ月分の体力を使い果たした。
「痩せた……」
頑張った。身なりを整えて(二度目)居間に戻る。イヴは眠ってた。のんきな寝息がすうすうと。
(いいご身分だこと)
若干むかつきながら布団をかけ直そうとした時、枕の下から手帳が出ていることに気付いた。
(なんだこれ)
拾って最初のページをめくってみる。書かれていた日付は、イヴと俺が初めて出会った日。
十一月二十五日
わたしの不安は思い過ごしだったみたいです。
黒瀬海さんは無口だけど、きっと優しいです。なにも聞かず迎えてくれましたから。
わたしも、海さんと向き合おうと思いました。海さんがわたしと向き合ってくれるように。
(これは……)
イヴの日記。本音を可視化したもの。ぱらぱらめくる手が動いてしまう。
十一月二十六日
説明書を真っ二つ。海さんは意外と大胆な性格をしていました。
でも、不思議です。ばらばらの紙切れを見て、あんなに安心した気持ちになれるなんて。
十二月六日
雪の中で立ち往生。海さんが迎えに来てくれて。どさくさ紛れに手を繋いで。ここで一句。
あいあい傘。ああいい傘ねと、照れかくし。
十二月十八日
海さんはぶきっちょな性格ですけど、あたたかいです。かわいいカチューシャのプレゼント。
たまにはわたしも、海さんみたいにクールになるべきでしょうか。たぶん無理です。
(イヴのやつ、いろいろ考えてたんだな)
そうだとは思ってた。閉じる直前に目に入ったのは昨日の日記。
一月一日
近頃、海さんが以前と違って見えます。うまく言えないのですが。
人の『こころ』があるなら、誰もが抱く感情。二文字の気持ちがあると聞きました。
AIの故障でもいいです。もしかしたらわたしは、海さんのことが
そっと手帳を閉じた。これ以上は反則。ゆっくりイヴを見ていくって決めたから。
(寝かせておくか)
抹茶ケーキは冷蔵庫に入れておこう。甘い寝顔を壊さないように。
アンドロイドと人間。その狭間にある壁は、案外うすっぺらいものなのかもしれなかった。




