1.なぜか君は僕を殺そうとする
「はじめまして。株式会社アトラスから来ました、感情学習式アンドロイド・イヴと申します。今日からあなたの家で暮らすことになりましたので」
「……は?」
それがそいつの初発言だった。おかしな奴だと誰もが思うだろう。もちろん俺もそう感じた。
高校からの下校途中の道。宣言したのは黒メイド服姿の少女。誰か今の状況を説明してくれ。
「さて帰りましょうか。いやあ助かりました。歩くのも疲れたところだったんですよねえ」
「おいちょっと待て。誰が一緒に行くと言った」
俺の袖をつかむ少女の腕をはらいのける。盗人にしては正々堂々としすぎだった。
だいたいアンドロイドとか実在するわけがない。目の前の黒髪泥棒は人間そのものだ。
「あれっ帰らないんですか? もしかして友達と待ち合わせ? ってそんなわけないですよね」
「どういう意味だ。いいから立ち去れ。詐欺やろーに付き合ってられるか」
信用するやつがいたとしたらとんでもなく暇なやつか単なるばかだ。
季節は初冬。長く外にいると体が冷える時期。早く帰宅して一人のんびりあったまりたい。
「俺は信じてやらないぜこのやろー、ということですか?」
「ああそうだ。犯罪からは早めに足を洗えよ」
「んー」
なにか考えてるらしい。無視して帰ろうと決めた矢先、少女はスカートのポケットから何かを取り出した。
人くらい余裕で刺し殺せそうなサバイバルナイフ。ぎらりと光る鈍銀色に本能が戦慄した。
「なっ!!?」
「でしたら納得させるしかありませんねえ。すぐ終わりますからこらえてつかぁさい」
「ちょ、うわあああ!」
ナイフを構える少女。とっさに走り出したおかげで距離をあけることに成功した。
わけが分からなかった。同居を申し込まれたと思ったら殺害宣言。こんな現実がどこにある。
「待ってください逃げないでください不安なのはわたしもですでも大事なのは相互理解ですからねえふふふふふ」
(こええよぉ……)
ぴくりとも表情を変えないまま背後を追走する少女。負の意味でアンドロイドらしかった。
路地を曲がり続けたおかげか、少しずつ距離がひらけてくる。複雑な道に隠れて奴をまいた。
「はっ……はっ……な、なんなんだあいつ、頭おかしい系なのか」
位置をうかがいつつ呼吸を整える。少女は息も乱さず、きょろきょろと俺を探していた。
大体なぜアンドロイドとか妙な嘘を付くのか。当然だけどイヴなんて名前も知らな、
(……待てよ)
ふと思い直す。たしかあれは三日前だ。母さんからの唐突な電話で告げられたのは、
『もしもし海君元気してるぅ? あのね、何日かしたらかわいいアンドロイドちゃんが行くから、あたたかく迎えてあげてね☆』
『は? おい母さん!? って切れてやがる』
みたいな感じだった。説明が少なすぎて発狂しそうだったが、まさかあれが母さんの話してた。
(かわいいのか……?)
きれいな黒髪に白い肌。高めの身長。そして右手に銀色ナイフ。あらゆる長所が凶器のせいで台無しだった。
(帰るか)
たとえ母さん公認でも、あんなのと暮らすなんてごめんだ。観察はやめて帰宅しよう。
が、ふいにぴたりと動きを止める少女。それまで黒かったはずの瞳が赤く光った。
『コード五八――対象詮索モード開始。黒瀬海さんの現在地を特定します』
「!!?」
ただならぬ声と電子的な発信音。再三びびっていると、少女の顔がぐるりとこっちに向けられた。
「見いつけたー」
「ぎゃあああ!?」
不器用な笑顔の少女が近距離まで来た。絶望の中で走り出す。やばいヤツは人間じゃない。
しかし俺は冷静さを欠いていた。たどり着いたのは行き止まり。袋小路。逃げられない。
「えへへへやっと追い付きましたあきらめなければ叶うものですね頑張ったかいがありました」
「くっ……最悪だ。こんなところで終わりかよ」
疲労と恐怖から座り込む。こつ、こつと迫る足音が目前で止まる。
痛みは襲ってこなかった。どうしたんだ。おそるおそる視線を上げる。
「よいしょ」
「は」
少女がナイフの刃先をつまんで上に持ち上げた。かちゃりと音がして刃は外された。
「え、あれ?」
柄の部分から取り出されたのは小さくて固そうな紙。見てみれば肩書きが記されていた。
「名刺です。さっきからこれを渡したくて」
「凶器じゃなくて名刺入れかよ! 紛らわしい真似すんなや!」
「いやあ怖がってるのが面白くて。てへっ」
「てへっ、じゃねえ!」
怖かった反動で必要以上に当たり散らした。冗談にしては本気すぎだ。なにこの自由な性格。
「でも同居は本当ですよ。そんなわけで、今日からよろしくお願いしますね」
「よろしくできるかぁ!」
母さんには、アンドロイドの性能は最低とだけ報告しておこう。
かくして俺の平穏な一人暮らしは、初雪よりも先に現れた同居者により終わりを迎えた。




