第八章
第八章
たゆたうだけの日々に変化が生じていた。
それは加夏子にとって心地良い変化ではなく、どちらかと言えば苦痛を伴うものだった。
「オハヨウ! いつまでもベットの中でグズグズしてちゃ駄目よ。食事をとったら遅れているリハビリのメニューを沢山こなさなきゃならないんだから。人参残したら、銀さんに言ってトレーニングを倍にしてもらいますからね、ちゃんと食べるのよ」
衣笠恵美子と名乗ったその看護師は、初対面で加夏子のことを嫌いだと言ってのけた。
反発や嫌悪感を抱くより先に、余りにアッサリキッパリした態度に彼女は毒気を抜かれてしまっていた。
むしろ逆に、年下の加夏子のほうが「(この人、こんな調子じゃスグにクビになっちゃうんじゃないかしら…)」
と心配してしまう位であった。
変わった人だ。
そのままズルズルと彼女のペースに乗せられて数日が過ぎてしまった。否応無くペースアップしてゆくリハビリメニューに嫌気が差し、何度か反抗を試みてはみたが、まるで石仏にあられをぶつけるように跳ね返されてしまう。
そしてシブシブ、普段に倍したメニューをこなす事になってしまう。
要は加夏子は、完全に恵美子にペースを握られているのだった。
何でこんな目に会わなきゃならないの!?
今日は大好きな詩を読みたいのにっ!
不意に強い怒りが湧いてきて、加夏子は朝食をトレイごと恵美子の顔めがけて投げつけた。
ガシャアーーーッン!!!
病室中に食器と内容物が飛び散った。
食器をぶつけられた恵美子は、顔を押さえて前屈みになったまま動かない。
自分のしてしまった事の重大さに、加夏子は漸く気がついた。
ゆっくりと躰を起こした恵美子の額がパックリと切れ、白い肌に太い鮮血の条が幾つも流れていたからだ。
顔から血の気が音を立てて引いていくのがわかった。
その時…
「今までで一番のヒットね、それだけ元気なら病人扱いしなくていいかな」
血まみれのまま、恵美子がニッコリと笑ったのだ。
血の涙を流す聖母マリア
フトそんな言葉が、加夏子の脳裏に浮かんだ。
(続く)