第七十九章
第七十九章
駅までの道のりは、住宅街を抜けてしまうとちょっとした田園風景となる。
気恥ずかしさを引きずりながら、その道を銀さんは歩いていた。
隣を静々と進む和服の女性を見る、たったそれだけの事に気力を振り絞らなければならない自分が情けなかった。
「ありがとう、送ってくれて。まだ夕暮れどきだけど、ひとり歩きするにはチョットさみしい道だし。助かったわ」
「…タクシー来るまで待ってりゃいいじゃねぇか、歩くなんてらしくないぜ」
「うん、なんとなく、ね」
軽く笑いながら紗季子が銀さんを見る。
顔に血が昇ってくるのを感じて、彼はますます不機嫌になった。
クソッ!中坊でもあるまいし…
「このあいだはゴメンナサイ。頭を打ったせいだと判っているけど、あの日、玄関に立っていた貴方を見た時、わたし…」
「よせよ。お前は夢中だったんだ。娘を助けたい一心で、目の前の俺にすがりついた。それだけさ。お前は母親なんだよ。加夏子ちゃんの」
クシャクシャのピースに火をつけると、大きく吸い込んで煙を空に吹き上げた。
「旦那とはちゃんと打ち合わせしたようだな。ドンピシャのタイミングだったぜ」
「え?」
紗季子が驚いて足を止めた。
「えってお前、俺が病院に待機してるって旦那に聞いてたんじゃないのか?それであの晩…」
「あの時はとっさに…お医者は前は何も出来なかったし…それでわたし、貴方の名前を…」
「それじゃあ…」
思わず銀さんも正面から紗季子を見た。
景色の一部と化したかのように静止した男と女の間を、夜の気配を含んだ風が渡ってゆく。
細い糸を手繰るように、二つの影が一歩を…
♪チャラチャンチャン、チャラララチャンチャン〜
安物の合成音で「唐獅子牡丹」のメロディーが鳴り響いた。
舌打ちした銀さんが携帯電話を取り出し耳に当てる。一瞬で顔つきが変わった。
「どうしたの?」
紗季子が心配そうに訊ねた。
「小児病棟の患者が一人、見当たらないそうだ。今、職員総出で捜してる。俺も行かなきゃ」
言うなり今来た道を走り出した。
「久我さん!」
「すまねぇ!駅まではすぐだ、じゃあな!!」
どんどん遠ざかる後ろ姿に、紗季子は小さく、あんた…と呟いた。
(続く)